○ 邂 逅
 
 《センター》というのは、正確には国立科学者養成学校(J.S.E.S.)のみを限定して指す言葉ではない。同じく国立の、広大な敷地と予算・人員とを持った 科学・技術開発研究所  科技研  全体をもひっくるめて云うのである。正しくは、《センター》の中に2つのセクションがあって、それが実験室の集合体である“科技研”と その将来をになうエリート研究員の養成所たるJ.S.E.S.である  と説明する方が速い。
 したがって科学者の卵たちの授業の何割かは実際の研究の一端を担う  といった形の実地演習として行なわれ、また既に《センター》の研究員として働いている者が、時間をやりくりして専攻以外のジャンルを習得しようとするのもさして珍しい事柄ではなかった。そういった手合いも含めて、J.S.E.S.には現在10歳前後から30代半ばまで、約200人近い学生がいる。彼らは主として理数系統の学問  地学・天文学・宇宙工学・量子物理学等のビッグ・サイエンスから医学・薬学・生体工学・ソフトウェア・ハードウェアに至るまで  を それぞれの適性・指向に合わせて選択し、徹底的な専門・集中教育をほどこされるのだ。
いくらかは人文科学・社会科学系統を志す人間もいるのだが、これも最終的にはデスクワーク中心の専門バカになってしまうという点で大同小異だった。特にこの分野では、《センター》は有機的組織の編成・管理法に関して、目覚ましい成果をあげ得ていた。
 
 
 「…… 《センター》へ行くわ。手続きしなさい、北沢」
報告書の最後の1行に目を通し、既処理のマークを捺(お)しながら云う。
 「視察ですか、何日ほど」
 「引っ越しよ。当分むこうに居つくわ。出発は明後日。」
 「承知しました。」
 北沢は軽く一肯してすぐに出て行く。慎重190cm近い、痩身の、非常で有能な男。奈津城(ナツキ)への忠誠心に少し欠けるとさえ思える、だからこそ信頼のおける、筋金入りの武人。
 「  なにか不服でも!? 遠野!」
 うっそりと部屋のすみからこちらを見ているのは、いつもこの男の方だ。
 「……別に。」 低い声でぼそりと答える。例によって百万言も不平をためこんでいるのは目に見えているというのに。
 「だったら早く行って あたくしの荷物をまとめなさい!」
 ダン!! ぶ厚い書類の束を机の上でそろえて、ひきだしに放りこむ。
 「わかりました」
 いんぎん無礼きわまりない大時代的な辞儀。それから無愛想に背をむけて、皮肉にゆったりした足どりで歩き、扉をあける。
 「お待ち。」
 イライラと爪を噛みながらにらみつけ、よっぽど怒鳴りつけてやろうかとも考える。それからひと呼吸おいて気を鎮めて、
 「これはもう下げていいわ」
 傍らの盆を指さす。
 遠野はかすかに微笑したようだった。比較的小柄で横幅のがっしりした、山男めいた印象を与える彼である。素早く歩み戻って来て飲みさしの茶器を取りあげた。
 「ナツキさま。」
 他には何も云わず、ただそう呼びかけただけで男は一礼して部屋を出て行った。
 「……まったく。妙な男!!」
 奈津城と呼ばれた彼女はまた新たな書類の束を取り出すと、判や文献などを片手に手速く処理を始めた。
 野々宮奈津喜  実はまだ13歳のほんの少女である。没落の一途をたどる旧華族・野々宮家の、戸籍上の唯一正当なる嫡子。
そして、《センター》にゆかりの子供だった。
 
 精子銀行、というものをご存知だろうか。1900年代も後半になってU.S.A.にて設立され、ノーベル賞科学者の精子と遺伝的に優秀な女性の卵子の人工的なかけあわせ実験を行う、一種非人道的でもある研究機関のことである。
《センター》でもそれに相前後して、純国産で極秘裡に同種の実験が行なわれていた。
 そう、野々宮姓を名乗るこの驕慢な少女は、その生きた実験結果であり、数少ない成功例の一人だった。消えゆきつつある旧家の当主・野々宮子爵は、借金のカタに実の妻の生殖機能を売却したのである。世間体のために書類でだけ実の子としてナツキを扱いながら。
 野々宮奈津城を成功例であると書いたが、実際にはそれが成功であるのか、失敗であるのか、判定が難かしいところだった。IQで云えばその異常なほどの高さは確かに成功と言えた。が、優れた後継者、より有能な科学者の出現を期待した当初の実験目的からすれば、《センター》としてはナツキを全くの失敗作と断定せざるを得なかったのである。
おそらくは卵細胞からの影響をより多く受けてしまったのだろう。
奈津城は、小児期から今日に至るまで、自然科学的なものに対しては一切の興味も適性も示そうとしなかった。彼女が激しい魅力を見いだすのは芸術作品に対してであり、哲学や思想・複雑に入り組んだ政治状勢などにであった。その生まれついての自負心は己れを意に染まぬ方向へ誘導しようとする環境に、あえて順おうとはさせないようだった。
 以上のような推移から9歳の冬にこの早熟な少女は戸籍上の実家へ帰されたのである  莫大な養育金つきで。
そして無能な義理の父から家政の権限を奪いとるや、世間一般からは注意深く自分の姿を隠したまま、傾むき切った野々宮の財政を奈津城はたちまちにして建て直してしまった。
 更に4年。
 少女は次第に大きな力を身につけつつあり、それにつれ、何か莫とした野望めいたもの、大胆な計画が、心の奥底で形を成し始めているのが 彼女自身にもはっきりと解るのだった。
 
 
 「……ふん。」
 自ら指定した、出発の日の朝である。北沢も遠野も昨夜のうちには全ての手配をおえていて、あとは主人が出掛ける気になりさえすれば いつでも出られる状態。待機時間である。
 それでもゆったりと優美な細い肢体をソファに埋もれさせて、奈津城は遅れて届いた最後の書類に目を通していた。  これより後のものは直接《センター》あて転送されるよう、手筈はついているはずだ。
片手に紅茶のカップ。
 「この前打った手はどうも無駄になってしまったようね、K物産の株は上昇一方。野々宮K.K.系列のかなりのダメージはこの分だとふせぎ切れないでしょう。  北沢!」
 「は。」
 「後で古物商の大井戸に電話を入れて、3日以内に例のものの買い付けを始めるよう云っといて頂戴。……いつまでも杉谷の好きにさせときゃしないわ。」
 最後の部分は独言で、少女はつぶやきながらペロリと血の色の唇をなめる。対象的に色の薄い淡桃色の舌が、未だ子供の体型から抜け切っていない美少女の顔に、奇妙に妖艶な表情を与える。双眼が光をはじいてきゅっと細められる。
狩るべき獲物を与えられた時の、野性の猫族の微笑み。
 「出掛けるわ。遠野、上着を」
 目的地までは専用のジェットで3時間ほどだ。
 
 
                                  

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