「個別指導における方法論と効果に関する実験はほぼ終了したので」
 鋭(えい)の学習内容や生活スケジュールの設計とその効率の資料収集を担当している、まだ若い研究助手・西谷がある日そう告げた。「全生徒の教育進度のそろう来週初めをもって、集団指導制に切り換えることになりました。」
 それは少年が《センター》へ着いてからほぼ丸1年たった頃で、その間に彼の知識と能力は驚くほどに増大していた。すでに並の大学生程度の課題なら何の苦もなくこなすようになっていたし、彼の興味にそったものとそうでないものと、2〜3の独自の研究課題と研究室とが翌日から与えられることになっていた。それも普通の人間のようにある専攻課目についてのみ、というのではなかった。むろん、《センター》の優れた教育設備や個別に綿密に練られるカリキュラムの効果にも注目するべきだが、むしろ、少年自身の高いIQと超的な記憶力によるものの方が大きかっただろう。
そしてその一方、生まれつきよくしゃべる子供というのではなかった彼はますます無表情となり、抑制の利いた声で必要なことだけを話す  行儀の良さとよぶにはあまりに完璧すぎる傾向を強めていったのだった。
集団指導制への切り換えにあたって、スケジュール調整上1日の空白が生じた。西谷助手が何かしたい事はあるかと尋ねるので鋭は外出したいと答えた。  ここへ来て以来、休日をもらったことがなかったのだ。
そこでその週の木曜日、少年は西谷につれられて初めて《センター》の外へ出ることになった。

 
 「  あれがそうですの? ドクター・嶋崎」
 長い回廊の端にあるラウンジの中央に腰かけて少女が言った。
 「ずいぶん線の細い  ……まだまるっきりの子供だわね」
 「まだまるっきりの子供……!」
 
 誰かに見られているように思って、歩きながら本を読んでいた鋭はふと顔を上げた。廊下の向うから数人やってくる、その先頭に立っている少女が無遠慮に彼を観察していた。
 少女の歩き方はひどく真っ直ぐで高飛車に頸がもたげられ、比較的貧しくつつましい心の暖かい世界で育てられた鋭にとっては見なれないもので
 少年もその無感動な瞳で少女へ視線を返す。少女の、くっきりと細い形の良い眉が心持ちつりあがり、白い陶器のような頸がくいともたげられた。一瞬間、2人の子供たちの間に火花が  それとも砕けちる氷のかけらのような閃光が  飛んだ。
そうこうするうちに、2人は、長い廊下の中途に向きあって立っていた。
 「……清峰 鋭?」
 なおも子細に値ぶみを続けながら、少女は初めから相手を呼び捨てにした。
 年のころは12・3歳。未だに女にならない透き通った体躯。顔だちはあくまでも白く、華奢、とか繊細という他に形容の言葉がない。
少し神経質そうに見開かれたすばらしく大きな漆黒の瞳。愛らしい、小ぶりの鼻。匂いたつような眉のあたり。  完璧、という単語をさえ想起させる、紅い、光沢のある、血の色の唇。
しかし、そのひとつひとつ全ての造作が完全無垢な“永遠の少女”像を具現するかのようでいながら、彼女にはどこか権高さ、なまめかしさ、といった似つかわしくないもののかげりがまつわりついているのだった。
もちろん、つややかにすぎるほど黒々とした髪を、大人びたクレオパトラ・カットにしていることからくる錯覚であったかもしれないが。
 だがこの時、少年がそれらの事実に気がついたというわけでは無論ない。鋭が何をみ、何を感じ、何を考えて  あるいは考えずに  いたにせよ、それは決して彼の表面に表れはせず、ただじっと2つの淡い色の瞳で、頭半分ほど背の高い対峙する少女の眼を見かえしているだけだった。
 「  ええ。そうです」
 鋭は肯きながらゆっくり答えた。ゆっくり  慎重と言うべきかもしれない。完全に無表情と言っていいほどの、ポーカーフェイス。
 少女は矢つぎばやに幾つか問題を出した。基準を大学生におくのなら比較的初歩ではあるが、正確な計算値が必要とあれば専門の研究者でも電子計算機の助けを必要とするだろう。
鋭はしばらく  実に1・2分の間  黙ったまま心持ち目を伏せていたが、やがて顔を上げると与えられた問に、正しく、与えられた順に、複雑だが整理された答を出しはじめた。
 「  結構よ、全問正解」
 少女がかすかに首肯しながら「妾は満足じゃ」といった態で云うと、頬にかすかな赤味がさして、初めて本当の愛らしさに近いものがその口もとに浮んだ。
 だが、それっきりで彼女の少年に対する興味は失せたようだった。
 「手間をとらせました、博士(ドクター)。参りましょうか」
 
 /////////////////////
 
 鋭に対しては一言の挨拶もなく、ここ《センター》では最高の権力を握っている独立研究者  《センター》は一般の学界とは無関係に成り立っているので“博士(ドクター)”というのは単に便宜上の通称である  の1人と対当に肩を並べて、少女は廊下の反対端へと去って行った。後ろから、帽子の記章でそれとわかる個人の護衛の任につく緑衣隊員が足音ひとつ立てずに従う。
そのうちの数人  少なくとも2人  は、少女専属のボディガードとして配置されているらしかった。
 「清峰君。」
 いつの間にか西谷が追いついて来ている。
 「あの人は?」
 鋭は目で後姿を追いながら一言尋ねた。
 「彼女は  
 西谷、分厚い眼鏡をはずし、まっさらのハンカチでしきりにこすりはじめる。
 「野々宮奈津城(ナツキ)といって、頭脳銀行の人工交配実験の第一号です。IQで云うなら清峰君と匹敵、数年前までここにいて一旦実家  と云えるかどうか、卵子提供者とその親族の事ですが  の方へ戻られたんですが、今度集団指導制に切り換わるのを機会にまた当分こちらで暮すつもりでいるようですね。ま、気まぐれな方ですから。昔わたくしも彼女のスタッフの一人でしたが」
 「なぜ敬語を使うんです?」
 「戸籍上、元華族の家柄の出ということになっていまして、ま、卵子提供者の夫の家、野々宮家自体は今では没落して見るかげもありませんが、まァ、それでも色々とあるわけですよ、上層部とのコネとか何とか。……あなたも今後顔を合わせることも多くなるでしょうが、ま、そう言うわけですから、くれぐれも態度には気をつけて  ま、清峰君ならもちろん余計な心配は必要ないでしょうが」
 《センター》こと、ここ《国立科・化学技術開発研究所》  は、表向きこそ国立で、裏を返せば更に根強く“国家”というもの(例えば防衛庁・JCIAといった)が介入していたが、日本のおけるそういった機構のご多分にもれず、裏の裏では古(いにし)えの“お家”の力関係が依然としてものをいう所なのだ。(※ JCIA= Japan CIA )
 拭きおえた眼鏡をかけ、西谷は左手で神経質に位置を直した。
 窓の外には陽光が照っている。銀色無彩色の合理的な建物の中には、空調(エアコン)の低いうなりと人工照明が、年中無休で稼働を続けている。
 鋭は一旦閉じた本を開き、低く声に出して呟きながら長い廊下を歩きはじめた。
 
 

 院長・岡山一朗

 姫小路宮子
 野々宮飛鳥
 野々宮奈津城(なつき)
    無津城
 
 「神無月に生まれたからナツキだそうよ。」
 
 それはきつい眼ざし、というのでもなかった。
 何かはるけきものをだけ、ずっと見つめつづけている者だけが
 もつ瞳をかれはしているのだった。
 人によってはそれを夢を見ているような、とも云ったが



※ カバ、ナナへ。とこどこ  いや、しょっちゅうか、設定変わるから気にせんといて。(<注:と、書いてあるところを見ると、高校入学後に文芸部で回覧しながら書いていたらしいです……☆ <どういう高校1年生なんだっ!? (^◇^;)"""""" )

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