1週間というものはあっという間に過ぎた。その間に鋭は自分で荷物を造り、部屋を片づけ、学校の先生と世話になった院生とにきちんとあいさつをしに行った。そのどちらも《センター》というものの存在を聞かせられるのは初めてで、とりわけ鋭の天才に最後まで気づかなかった人の好い教師には鋭は自分の能力がどんな経路をたどって《センター》に知れたものか不思議に考えた。草深い地方の片すみにいるせいもあり、幸いマスコミ種になるような派手なマネをした事は一度も無かったのである。
院長は院長で、法律上の手続きとか称して妻と子を東京へやらなければならなかった。そのくせ彼は自分で市役所まで鋭の移転届を出しに行った。
 最後の日に愛育園の中でささやかなお別れ会が開かれ、窓を開け放った食堂にジュースとお菓子、わずかばかりの花を挿した花びんなどが並べられた。
子供たちも職員も、当然、話し好きの院長が「はなむけのことば」を一席ぶつものと期待していた。しかし、院長は気分が悪いといって部屋から出て来ようとはしなかった。
予定より早く例の男が緑の制服のボディガードを従がえて迎えにき、会は盛り上がらないままに解散となった。
 「これ。」
 「おちぇんべいだよ」
 「バッカ、おせんべつだろ」
 「体に気をつけて。辛い事があったらいつでも帰って来ていいのよ」
 「みんなでお金出して買ったの」
 ぎりぎりの瞬間に大きな紙袋が鋭の手に押しこまれ、口々の別れの言葉を少年はただ静かに肯ずいて受けた。
 園に続く小道の向う側に、小型バスくらいの大きさの緑色のボディガードの制服と同じ色の車が待っていた。
 「囚人護送車みたいね」
 誰かが窓のないその型を評してつぶやく。
 「早く乗りたまえ、清峰君」
 男は鋭に後部ドアを指し示し、自分は前部のゆったりしたシートにおさまった。
 鋭が乗り込むすぐ背後で2人のボディガードが左右から扉を閉ざす。彼らが前部の運転台に納まる震動が伝わったかと思うと見送りへの挨拶も残さずに緑色の車は走りはじめた。
 
 (※緑色の「囚人護送車」の簡単なイラスト。)
 
 背後からドアが閉じられるお急にひいやりし、ひっきりなしの蝉の声の途断えてしまったことが少年にかすかな異和を感じさせた。車内はそれこそ囚人護送車さながらの造りつけで、両脇に(つくりつけの狭くて低い)腰かけ。前半部とのしきりの壁についているひとつの他には  それとて非常に小さいうえにおそらく向う側からしか開けられない構造のようだが  窓もなく、紫白色の明るすぎる人工照明がスチールの床や壁に反射して、寒々とした非現実的空間を作りだしていた。
車が走り出してしまったので鋭はしかたなしに落ちつかなく手近かの椅子にかける。
 しかし何よりも意外だったのはこの車室に既に先客が乗っていた事だった。
 彼は鋭とは反対側のベンチの上にさも窮くつそうに横たわり、驚いたことには熟睡してしまっているらしい。今年9歳の鋭よりも確実に7〜8歳は上だろうか? 腕も脚も太く発達し、ケンカと云わずスポーツと云わず、反射神経の練度よほどのものであるだろう。ただその寝顔だけは未だに子供っぽい無邪気な気真面目さ、といったものをとどめていて、少し開いた口元の闊達ないたずらっ気などと共に現われつつある少年らしいはにかんだ優しさを ただその寝顔だけは未だに子供っぽい熱心な/無邪気な?/誠実さ、といったものをいくらかとどめていて、口元の闊達ないたずらっ気と共に少年の乱暴さ、生年の荒っぽさ、といったものを 鋭に恐怖感を与えなかった。
 「優しい野蛮人」  どこかで聞いた、そんな表現が思い出された。
 車はどこか急な曲り坂にさしかかったらしい。幾度か左右にかしいだ挙げ句、特に激しくカーブを切った瞬間に、その少年はなにか寝言をつぶやきながら寝返りを打った。
 「痛(て)っ!!」
 「……うわ☆」
 見事にころがり落ち、したたかに腰を打ったらしい。更に車の動きにつられて反動がつき、通路をころげて、鋭が座っている側のベンチの下に頭を突っこんでしまった。
 「……あの、大丈夫……」
 鋭が腰を浮かしかける途端、ガン、と鈍い音でベンチがゆれた。
 慌てて飛び起きようとするあまりに頭上の障害物を失念したのだろう。こうなればもう、何をか言わんや、であった。
 「ぐえ〜〜」
 ところがそいつはようやくの態で椅子の下からはいだしてくると、もうけろりとした様子で、ひょいと元の席へ戻った。  あれあだけ手ひどくぶっつけたのに、こたえていないのかな……鋭はちょっと目を大きくして彼の顔を見つめる。と、彼の方でもまじっと視線を合わせてきた。
 「ヨ、ご同輩。おたく男、女?」
 「え?  なっ☆」 ……絶句数秒……
 「あ、わりーわりー、気ィ悪くしないでっっ」
 彼は慌てて手を振ってつけくわえた。
 「女の子だろーとは思ったんだ。ただあんまり髪短くしてるんでサ」
    鋭はもう、潰れてしまいたい気分  ……
 「いや〜〜、美人だねェ、ホント。ちょっとボーイッシュなとこがまたかわいいよ。今度デートしない?」 は、本気であるらしい、どうやら。
 「僕……男なんですけど」
               …………
 「 !!   悪い。」
 青年が素直に謝ったので、憤慨というよりはまだ唖然、呆然に近かった鋭の表情も、さして長びかずにいつものポーカーフェイスに戻る。が、「でも、おまえ、ほんっとーに美形だぜ。あと4・5年もすりゃ女も男も放っておかなくなる」  と彼があまりに悪びれずに続けるのを聞いて、思わず微かな笑みを浮かべてしまった。
 「しつっこいんですね。でも、男もって、どいう意味なんですか?   女の子みたいに可愛いい  とかは前にも云われたことがあったけど、面と向って間違われたのは初めてだし。第2成長期に入って体型が変わってしまえば、もうそんなことはないんじゃないですか? それとも僕はそんなに女みたいな顔立ちをしていますか?」
 「あっ、いやっ、そういう意味じゃない! そういう意味じゃっ……っっ
 ガキには通じない冗談なんだった☆ 忘れてくれっ」
 彼はひとりでジタバタと赤くなっている。
 「……へえ、……」
 鋭は心持ち片目をすがめ、唇をきゅっと結んだ。
 慣れた人にしか解りはしないが、何か新しいものごとに興味をひかれた時の、彼の癖である。彼がわずかなりと表情を表すのは気の許せる相手に対した時だけである。
 「ときに、オレ、燎野正明(りょうの・まさあき)。おまえは?」
 「あ、僕は  ……」
 切り換え  と言おうか立ち直りの速いのがこの面白い人の特性らしいな  と頭のどこかでは冷静に観察しながらも、いつの間にか打ちとけた相互紹介に引きこまれている自分を発見して、鋭はためらいにも似たかすかな驚きを覚えた。
 
 (「清峰 鋭 9歳」のイメージイラストあり。)

 
 結局、好きな喰いモンは何かとか100m何秒で泳げるか  など他愛もないおしゃべりを続けるうちに鋭はすっかり相手に気に入られてしまい、幾度かちょっとした話題で議論した挙げ句、鋭の方でも青年の知性はかなりのものだと内心認めざるを得なくなった。
 
 鋭がまだ9歳だと告げると燎野はひどく驚いたようだった。
 
 何時間かが経ち、2度停車して鋭たちは用を足すために車から降ろされた。どちらもただのドライブインなどとは明らかに様子を異にしていた。2度目の停車の際にアルミパックの弁当がさし入れられ、いい加減しゃべり疲れた2人は黙ってもそもそとそれを詰め込んだ。弁当というよりは軍用の携行口糧に近く、鋭は初めその開け方が解らずに慣れた様子の燎野に教えられなければならなかった。
 
 「  今、何時ですか、燎野さん」
 食べ終わってしばらくして鋭はそう尋ねた。既に夜の8時を廻り、3度目の小休止があって毛布を2枚、手渡されていた。
 「車の揺れ具合いから推して、渋滞や何かにぶつかった様子ってありませんよね。ってことは、もうとっくに県境のひとつやふたつ、越えた頃だと思うんですけど……」
 「そりゃ、だろうな。それがどうかしたン?」
 燎野は早くも毛布をひろげ、寝る仕度を始めている。
 「いえ。ただ、僕の越境届、自分で持っているんです」
 「オレだってさ」

 3度目のやや長い小休止で2人は毛布を与えられた。スイッチを探しあて、車内を薄暗くしてすぐに燎野は寝入ったらしい。
 鋭は狭く固い長椅子の上で長い間、寝つかれなかった。夏の盛りの宵の口だというのに毛布一枚では肌寒くさえ感じる。
 

 月光の中を、奇妙に目だたない色の車は静かに走り続けていた。
 人気のない片田舎を縫う、一本の、白い細い道。アスファルトではなく、ただのコンクリとも、見えない。一本の道。
 その道に沿って、えんえんと幅広の草地が続いている。
 その意味するものを、まだ、誰も知らない。


 
 
     ×     ×     ×
 
 
 翌朝、目覚めると目的地に着いていた。考えてみると鋭はそこが何処であるのかを知らない。  車内から一歩踏みだすと涼しく、真っ青な空がどこまでも広がっている。
 「あばヨ」
 軽く片目をつむると燎野はあっさりと離れて行った。
 昨日の親しさが嘘のような  ……鋭は何かそぐわない感じで、ボディガード達に伴われて去って行く後ろ姿を見送る。
 「来たまえ清峰君。こちらだ」
 例の男が少し離れてから呼びかける。 「はい」
 少年は無表情に振り返り、ついて行った。
 

 ティシール / ティシーレ / ティシーリア
 レティシーレ / レティシーリア /
 
 燎野正明

 真汝
 
 沙姫子
 冴夢
 冴子
 沙貴子
 砂貴子
  

 

 
 そう  「わたし/ぼく」は出られる。
 
 ※「檻の中の自由(ティシール)」のイメージイラストあり

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