1.その男
 
 その男がやって来たのは僕がちょうど小学校の4年生だった時の19××年の夏休み、7月31日のことだった。男は痩せぎすで、眼つきが変に鋭く、セミの声が一面にやかましいほど響きわたっている中でダークスーツの三つ揃いを着こんで更にその上から目が痛くなるほどのバリバリの白衣を羽織っている。
その一見して科学者か医学教授と解る男がボディーガードを従えて園の前の砂利道を歩いてやって来た時、鋭(えい)はちょうど門の前の木陰に店をひろげてハンドメイドのラジコンに挑戦していた。
無論、設計図から自分で引いたのだ。
 「  きみが清峰 鋭 (きよみね・えい)君かね、坊や」
 男が僕の目の前で立ち止まる。
 「そうですけど」
 「自分のIQを知っているかね、きみは」
 「                           」
 何か用かと鋭は云ってやりたかった。なんでこいつは僕のことを知っているんだろう、どこか気にくわないところのある人だけど。
しかし鋭は年長の者には礼儀正しくしなければいけないと園長先生に注意されたばかりだったし、はんだづけが一刻も気の抜けない所にさしかかったせいもあって、尋ねられた通りに大人しく園長先生の居所を教えて再びラジコンの方に注意を戻した。
 鋭、清峰 鋭 10歳。この時まだ小学校の4年生である。へその緒も取れるか取れないかという頃に雪の積もった門の前で拾われて、以来ずっとこの青光愛育園で育てられている。
 一目見て欧亜混血児らしいと知れる美しい顔だちの子供である。真っ直ぐで素直な髪も、そっくり同じ色合いの瞳も、やわらかく明るい薄茶色、肌は少し陽に焼けて、内側から光が透けてみえるような淡い象牙色に輝いている。ただ、その表情だけはいかにも子供こどもした可愛らしさにはおよそ遠く、みごとなオデコやよく動く大きな目でさえが、見かけ以上に大人びている少年の頭脳的な性格の方をより一層良く表現していた。
 
 数10分か、それとも1〜2時間は経ったのだろうか。鋭が一段落終えてさあ川へ泳ぎに行こうと思いつつなんとはなしにぐずぐずしていると案の定園長室の方から奥さん先生が呼びに来て、何か緊張した顔でお客さんの話を聞きに行くようにと告げた。
勘が当たったな、少年はそう思いながら  彼の予感はいつでも大抵的中するのだが  少年は漠然とそう思いながら敏捷に立ち上がり、散らばしたままの部品の山にちらりと一瞥をくれて落ちつかない原因へと歩きだした。
 雑木林の上に純白の積乱雲が盛り上がっている。  ゼミが泣き止んで、今は  ゼミがうるさく   と騒ぎ始めていた。
 
 「  さて。きみはきみ自身の能力を知っている。わしはきみの好みや考えを傾向として知っておるつもりだ。そこで  じゃ、つまらん前置きは抜きにするとしよう。
 きみは国立科技研究所について何か聞いていることがあるかね」
 案に相違して園長先生が席を外してしまっている部屋の中で、男は鋭が腰をかけるなり睨めつけるようにして話し始めた。
 「科技研  わしらは単に“センター”と称しておるが、数年前に設立されたばかりの国立科学技術開発研究所のことじゃ。これは世間にもあまり知られていないことじゃが、ただ国立と言うてもこれは政府の直轄になっておってな、設備資金面研究内容共にその充実度は他の弱小研究所群に較ぶべくもない」
 男  その話し振りから見かけよりははるかに年寄りであることが知れる  は続けてその科技研とやらの具体的なアウトライン、敷地面積・年間予算額等を列挙してみせたが、それは“他の弱小 ”を知らない鋭にも容易にその秀度を理解できる内容を示していた。
研究所と云うよりは、むしろ何かの基地であると形容した方がふさわしい。
 「研究者にはどんな人がいるんですか? 僕は近所にいる大学生のおかげで普通の科学雑誌だけでなく各学会の会報なんかも良く読ませてもらっているけど、それだけの規模を誇る研究所にしては何の記事も見た覚えがないですね」
 仕付けられてきた通りに行儀よく腰をおろしている奇妙に冷静な眼をした少年が、やはり仕付けられた通りに丁寧な質問を返す。少し開いた膝の上にきちんと両手を組み、背筋を良く伸して、対峙している大の大人の尊大さにも負けない落ちつきぶりである。それでも一応興味を引かれてはいるのだろう、心持ち前に乗り出して、熱心に科学者からの答を待っていた。
 「わしらの予測通り、なかなかに抜け目のない性格のようじゃな」
 男が、それこそ抜け目の一片も無さそうな双眼を満足げに光らせる。
 「名を挙げてみたところで君は知らんじゃろう。指摘の通り、わしらは  左様、一般の学会とは殆ど関係を持たずにやっておる。何故なら我々の知識・技術は彼方と比較すべくもなく発達しておるし、“センター”の豊富な予算は他の研究施設との協同を必要とせん。多岐にわたる研究部門が相互に協力しあうこともできるしな。実際、“センター”がここ数年に仕遂げた業績を一般学会の輩が嗅ぎつけた日には、わしらは賞 よりもまず混乱と反論、 難と  を受けることになるじゃろうよ。
それが何よりもまず  という原始的な感情に基づいたものであることは疑うまでもないが。」
 「“センター”は、わしも含む30余名の独立研究者によって運営されておる。独立研究者は各々多岐に渡る学識と研究分野を持ち、
 いつの間にか窓の外には積乱雲が発達し、一人の老科学者と一人の子供のいる清潔だが擦り切れた感じのする室内は薄暗くなりつつあった。
遠くで雷の音がしている。
 男は更に生物科学、原子物理学、宇宙工学等、《センター》における研究分野とその研究課題を説明し、概略が握めたかと尋ねた。「ええ」鋭はうなずく。
 「では本題に入ることにしよう。
 わしらは  つまり《センター》における主要な研究者たちの事じゃが  は、ここ数年各部門の共同研究として、心理学・電子工学・生化学などを基盤に教育科学とも云うべき新分野を開発しつつある。
今や理論的には9分通りの完成を見たと言ってよいのじゃが、未だ実験データが足らん。とりわけ高知能児における専門教育課程がどの程度効果を上げ得るかについての  な。それというのも、IQ250以上・指導者による早期教育を施されていない学齢以上12歳以下の子供、という条件にあてはまる者が、殆ど見つからぬからじゃ」
 男は話す間中ひとときも目をそらさずに鋭の表情を観察していたのだが、しばらく言葉を切って巧みに誘いをかけてみても少年からの反応は何ひとつ得られなかった。無論、その頭脳の卓抜さからして科学者の云わんとしている事を悟っていない筈がないのであるが、見事に自制し切って眉ひとつ動かさない。
わずか10歳の子供にして、これは恐るべき精神力だった。
 ややあって、少年はわずか10歳の子供とはとても思えない、奇妙に疲れ切ったような重々しさでゆっくりと立ち上がった。そのまま戸口の脇の、電気のスイッチの方へ歩いて行く。雷鳴がすぐ近くまでせまり、世界は暗く蒸し暑く耐え難い程になっていた。
 電気をつける。
 鋭は今、男に背を向けて立ちつくしていた。
 カッ! と一瞬、部屋の外が青く白く輝やき、空気をつんざいて音が光を追う。
 「僕をモルモットにしたいというわけですか」
 美しいボーイ・ソプラノは、しかし震えたり怖えたりする気配もなく、むしろ悠然として事態を楽しんでいる感があった。「僕の方にメリットは?」
内心の動揺を 覚えた のは老獪な科学者の方だった。
 「  ふん。……まず第一に、正規の科学教育が受けられる。それも最高・最新の内容と方法でじゃ。第二に、まず第1に、思うような結果が得られるか否かに関ず、わしらは十分な額を礼金として支払う気でいる。第2にきみは卓越した指導者陣の管理のもとで正規の科学教育をうけることができる。それも最新・最高の方法と内容でじゃ。加えて希望通りの実験成功が得られた場合には、きみは実験終了と共に、特に優れた研究者の一人として《センター》に迎え入れられる事になっておる。」
 「  ……“正規の科学教育”ですか。あなたは僕の弱点をご存じなんですね。他の2つは後で考えることにするとしても」
 苦笑しながら振り向いて鋭は言った。
 
 「もう1つ質問をいいですか? 僕のことをどこで調べたんです? 僕はマスコミとかに名前が載るようなことはしてないし、学校の成績も中の上より上には行かないように気をつけてました。僕があなたの云う高知能児  そういって良ければだけど  だということをはっきり知っているのは、園の先生達とさっき話した近所の大学院生だけの筈なんです。」
 「5月の  表向きは文部省主催ということになっている……」
 「ああ、あのIQテストですか? でもあれはちゃんと、113になるように計算して  ……」
 「手を抜くべきではなかったな」
 男は、鋭の反応の早さを喜ぶような、憎むような、奇妙にゆっくりした言いまわしで一言云った。
 「あれの出題と解析は実は《センター》によるものだったのじゃ。あれだけ明確な解答パターンは、単なる偶然から出てくるものではない」

 
 「しばらく、考えさせて下さい」
 
 男が無言のまま立ち去ってゆくと、先ほどの威厳はどこへやら、まだわずか10歳のか細く華奢な少年は全身の力が抜けてしまったかのように手近な椅子に座りこんだ。ドアの外で心配げな院長の声と横柄な  言葉こそ丁寧だがハナから相手を見下しているとはっきり解る  男の声とがなにやら言い交わすのが聞こえ、やがて二人の護衛を従えて帰ってゆくらしい気配。
 雨が降り始めたようである。
 それでも鋭は両手に顔をうずめたままじっと座り続けていた。
 コンコン、と遠慮がちなノックの音。しかしドアを開けて入って来た院長の目に入ったのは、いかにも分別臭そうな顔にちらりと茶目っ気のある笑顔を浮かべて、
 「どうぞ」と大人のように椅子を指し示す、いつもの通りの少年の姿だった。
 「あの人と何を話してたんですか?」
 「一週間したらまた来ると言っていた。来る気があるならそれまでに荷物をまとめておくようにと。鋭  きみは、行きたいのかね?」
 「はい  たぶん。なんでそんな顔をしてるんです、院長先生まっ青ですよ」
 「あの男は  その  何と言ったか、きみを連れて行きたいと言っていた施設の事を、“日本のNASAのようなもの”と表現していたよ……いや、それはともかくとして、わたしはきみを朝日ヶ森学園へ遣りたいと思っていた……。鋭、考え直してくれないかね……」
 予想外な院長の態度に鋭はわずかにたじろいでいた。蒼白になった顔に、ほとんど悲痛とも云うべき表情を浮かべて話しかけてくる。
 「朝日ヶ森……ああ、あの、全額免除の奨学制度があるとかいう学校ですか? 先生が昔、通ってた。でも、そこは確か文化系の授業が中心なんでしょう。僕  僕は、科学者になりたいと思っているし  そりゃ……でも……」
 少年はもごもごと口ごもると下を向いてしまった。これはいつでも大人顔負けにきちんと話す彼にしてはとても珍らしい事だったが、なぜか怖えているとさえ思える院長にはそれに気づく余裕がないようである。
 「それになぜ、“NASAのような施設”というのがいけないんですか? NASAは宇宙開発にかけてはずい分進んでいるし、宇宙工学っていうのは僕が一番やりたいと思ってる分野です」
 話をわざとそらすように口早にしゃべってしまうと、顔を背けるように立ち上がった鋭は「失礼します」とも言わずに部屋から出ていった。
 廊下のつきあたりから一歩外へ踏みだそうとするといつの間にやら激しい夕立ちが降り始めていた。鋭はけぶりたっている雨をすかして先刻までいた門の脇の木立ちを見る。  どうやら、誰も鋭のラジコンの存在に気がついてはくれなかったようだ。きびすを返して自分の部屋へ戻る。
来月のお誕生会でプレゼントにしようと思っていたのだが、どのみち一週間では仕上がらないだろう。
 
 古くなった蛍光灯がみすぼらしい調度類を照らしだしている。
 院長は窓わくにしがみつき、声にならないうめき声で何事かつぶやきながら我を忘れてすすり上げていた。
 院長夫人である“奥さん先生”が1人娘の三重子を抱いて静かに入ってきた。
 今年3歳になる三重子の胸部には、たくみに整形された手術の後が3回分、薄桃色になってまだかすかに残っている。
 
 




マーリェ・エンゲル
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 独立研究者(30余)

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