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 机を直したりなんだりでいっとう遅くなってしまったリツコは、思い牛乳びんのケースを一人で運び上げなければならなかった。
 5時限目は音楽で、音楽室へ移動して音楽の先生の授業だった。6時限目、教室へ戻ってしばらくしてからも細貝先生はあらわれなかった。生徒たちがみんなして騒ぎはじめた頃になって5組の楠本先生が来て、4組は自習だから帰ってもいいと云った。
 みんないなくなってしまってもリツコは帰らなかった。楠本先生にきけば何か教えてくれるかもしれなかったが、リツコは男の大人の人はどうも苦手で、話しに行くのが恐いのだった。
 あっというまに学級文庫の『世界の名作』シリーズ、残り3巻を読み終ってしまう。はっと気がつくと外はもう暗く、西の方の雲が少し切れて赤い光がさしこんでいた。雨がやんだのだ。時計を見ると6時45分。とうに門限を過ぎていた。……また食事ヌキだ。
 ((まァいいや。))
 リツコは少し首をかしげて考えた。清峰クンはどうしちゃったって言うのかな。細貝先生だって毎日下校時間には、いのこっている生徒を帰すために(たいていの場合リツコ1人だったが、)教室へ見まわりに来るハズなのだ。
 ((おかしいな。今日はおかしいことばかり。))
 首を振ってリツコは教室の中を見わたした。それから校庭を。もう一度室内を。
 何がいつもと違うというわけではなかったが、やはり何かが見慣れた世界とは喰いちがってしまっているのだった。それともそれは今までもずっとあったもので、ただリツコが気づかずにいただけかも知れない。
危険、とか不気味、とか云うのではなく、ただ何かしらあやしくて、間違った、あってはいけないような雰囲気がぴったりとあたりをとりまいているのだ。
 すぐに真っ暗になってしまったが、別に電気をつけたいとも思わなかった。昔から不思議と暗闇を恐がらない子供だったのだ。お腹がすいたけれどそれも慣れていた。清峰クンの席から上着と(鋭はいつでも非常に準備の良い子だ。)枕がわりにザブトンを借りると、リツコは机の上につっぷしてそのまま寝入ってしまった。
 
 翌朝、朝一番の光で目が覚めると5時10分前だった。そうすると清峰クンも先生もついに戻ってこなかったらしい。戻って来てもしリツコを見つければ、先生なら大慌てで送って行ってくれるだろうし清峰クンなら自分の所へ泊めてくれるだろう。リツコはあくびをし、寝ちがえてしまった首をぐるぐるまわした。
 どうりで一晩中風の音がうるさいように感じたわけで、窓の外はすっかり晴れてしまっていた。よい天気だ。
 ((夏が来たのね……))
 なんとはなし そんな風に感じながら清峰クンの荷物と自分のとをまとめ  今日はもう学校へは戻って来ないつもりだった。それどころではない気がするので。  ザブトンをもとにかえし、上着は羽織ったままリツコはそっと学校を出た。校門はもちろん3ヶ所とも閉まっているが、鉄柵が子供1人抜けられるくらいの幅で壊れている所を知っていたのだ。
 一旦ある場所へ寄って隠してあるお財布を持ちだしてき、一軒だけ開いていた牛乳販売店でパンと牛乳を買う。おばさんになんだという顔をされたけれど別に気にもとめなかった。
 公園で朝食を済ませる。午前5時31分。
 それからリツコはてくてくと街はずれへ向って歩きはじめた。
 
 濡れたまんまのバス停のベンチで始発の時間を待つよりも、リツコはこの道をのんびり歩いてゆくのが好きだった。
 朝まだきの白っぽく明るい光のなか、まだ古びていない舗装道路の両脇に新旧とりまぜて小ぎれいな住宅街。朝もや、朝露、なごりの雨滴に虹の色どりをそえられて、紫陽花、緑樹、バラの花などが歩道にのりださんばかりに生き生きと息づいている。
 駅前広場へ通じる国道との交差点を通りすぎて、右へ左へゆるくカーブをえがきながら道は続いてゆく。市街地を外れ果樹林とわずかばかりの段々畑を抜け、となり町との境にあるゆるやかにうねるような山地にさしかかるあたり、リツコの道はバス道路からそれて美しい林のなかへわけ入っていった。
 鳥の声がする、葉ずれの音がする。ひいやりと心持ちうす暗く涼しい木立ちのなか、雨続きで表土をすっかりはぎとられた黄土色の小径が、山頂へと登っている。車のわだちの跡が小川になっている。
 澄んだ黄金色の光が雑木林の中へとさしこみ始めていた。少女の行く手で紗幕  とばり  をひくかのように朝の白い化粧着(ガウン)が姿を消してゆく。
 鳥の声がする。蝶がとんでゆく。
 みどりの空気のなか
 
 すでに小一時間ほども歩いていたがリツコは一向に疲れた様子を見せなかった。むしろ小気味よく息をはずませ、頬を紅潮させて急勾配の坂をはずむように登ってゆく。山頂が近い。
特に枝の繁ったやぶのわきを抜けると目的の場所が見おろせた。清峰鋭のいる、聖光愛育園。キリスト教系の私設孤児院である。自然に足が速くなる。
 と、その時、眼下の渓流の勢いのよい響きにまじって、どこかすぐ近くから人の話し声めいたもの音が聞こえてきた。
 ((え、))
 リツコが足を止めるのと、
 「ほお〜〜〜、ほけきょ!」
 間の抜けた鳴きマネと共にヒョロッとした男の子が道の真ン中に飛び出して来るのとが、ほとんど同時だった。
 みァお〜〜〜!! 男の子は今度はネコのまねをした。ウグイスに比べればはるかに堂に入っていて、身振りも加えて警戒する時の猫の感じが実によく出ている。
ヒョロッとして見えると云ってもそれはむしろ痩せているせいで、実際にはそう背が高いわけでもなく、歳も、せいぜい2つか3つリツコより上というぐらいのようだった。リツコは安心して、少し微笑った。
 「なんだなんだ」
 「なによ、へったくそな合い図ね」
 男の子が飛び出して来た(正確には斜め上くらいの木の枝から飛び降りて来たのだったが)側のやぶ陰から、さらに何人かの子供たちがドヤドヤとかけ出して来た。
 「どうした、登校時間にはまだ早いだろ。それとももう  
 しんがりになった背の高い男の子が、リツコを見つけてひどく慌てた顔をした。「誰だい、その子」
 「ミーちゃんが知ってるワケがないんだもんネ」
 「どっちから来たのよ」
 「逆ホーコー」
 「みはりィ〜〜〜、発見が遅いじゃないか!」
 まぁまてよ、とか云って背の高い大人っぽい男の子を中心にワヤワヤと何やら相談し始めるのを、リツコはキョトンとした面持ちで傍観していた。
 彼ら6人の子供たちは、議題にされている少女には知るべくもないが、昨日小学校脇のアジサイの陰に集まっていた例の連中である。
 「きみ、名前は?」
 すぐに意見はまとまったらしく、6人はリツコの方へ振りかえった。
 ((あの、……))
 「ダメよォ! 礼儀しらず。」
 リツコがあいまいに笑ってすぐには答えないのを見て、すらりとした体つきのカッコ良い女の子が質問した子を叱りとばす。
 「ヒトに名前きく時はまず先に自己しょーかいするもンだって学校で習ったでしょーが。」
 それから、
 「あのね、あたし、ゆりや。こっちのコが“ノッポ”ってってあたし達(ら)の班のリーダーなんだ。で、そっちが“ふたご”のマークとレーニ。後ろにいるのが、ミーおミソ。あたしたち、ちょっとワケがあって、あそこの  (と、あいまいに手を振って聖光愛育園の赤い屋根を示し、)  キヨミネ、って子が登校するのを待ち伏せしてるんだ」
 

 

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