たぶんサキはその、一生のうちでも最も古い記憶を、死ぬまで忘れることはないだろう。
 サユリの前から逃げだしてきたその足で、サキは川べりの土手から砂利を水面につかみたたきつけていた。
 ざっとつかむ、ぶんと腕ごと放り出す、石が跳ぶ。
10個、20個とまとめて空を切っていくうちのいくつかは、毎回きまっておかしな飛び方をした。
自然な放物線をえがかず、定規をあてたようにまっすぐ、他の石をたたき、追い落としながら直進すると、あるていど行った所から不意に、ほとんど垂直に落下するのだ。
どうやらサキが興奮すればするほど落下開始点が遅くなるようだが、サキは、学校で力学から相対性理論までもマスターしているにもかかわらず、別段その奇妙さには気がつかなかった。
 ただ、投げている。
彼女は熱心に投げる事にだけ専心しようとした。
つかんで、投げる、つかんで投げる。
とうとう春の川べりのサキの右手のあたりだけ、砂利がうすくなって湿った砂地が出てきてしまった。
「ツァッ!」
サキはまたもや舌うちして、少し上の草地に身を投げだした。
頭上はるか、かたむき始めた陽の光の空のどこかで雲雀が鳴いている。
サキは心を落ちつけて「いつもの幻想」の中に溶けこもうとしたが、あまりに自分の中味の人間臭さが鼻について、ひばりのように空の中には飛びこめなかった。
サキは目をつぶった。
涙があふれ流れてくるのを止められなかった。
始めて空高く心を飛ばしたのは3歳の時。
姉さんの心の中にある、どろどろしたものが、なんとはなしにただ恐ろしくて哀しくて、母がその時期再々入院を繰り返していたからかもしれない、その頃住んでいた、人家一つない高原の、お花畑の真っただ中で、大地にくるまって火がついたように救いを求めて泣き叫んだことがある。
その時はまだ何も知らなかったから、ただ純粋に悲しかっただけ、ひとしきり泣いた後には、気がつくと母から教わった古い古い、「本当の幸福になれるよう願う」呪文の唄を、いざまづいて唄っていた。
その時、  サキ自身にはよくわからない  一陣の突風か光かが吹いてきたように感じると、次の瞬間に彼女は、どこだか大宇宙の涯(は)ての、涯ての、一番はずれからとびだして、おびただしい数の“魂”の流れを見た。
後で父が倒れているサキを見つけた時、死んでいるのかと思ったという。
サキが母  もう逝ってしまったサエム  にこの「幻想」のことを打ちあける気になったのは、まる一年たった4歳の秋。
母は以前から知っていたようにうなずいて、12歳になったら読むようにと、古い伝承の本を一冊くれた。
そうして、それから母が死ぬまでの2年間、サエムは折にふれてはサキに、心を澄ませ腹をすえて、そうしたいと思う時に見たい所へ心を「飛ばせる」術を教えてくれた。
サエムは  サキがくれを「空想」とか「幻覚」と呼ぶたびに、とまどうような悲しいような、幽かにあいまいな微笑をうかべるのだった。
 
いつしかサキは寝入っていた。
いや、寝入ったのはサキの体が、だろう。
思考に没頭するあまり、サキはしばしば自分の体の世話をするのを放りだしてしまう。
死んだように横たわって空虚(うつろ)に空を見あげたまま、見る人が見れば、サキの瞳の中をサユリと、生前のサエムの姿が交錯してゆくのが見えたかもしれない。
サキは、幼ない頃からの思い出を全てひっくりかえして、母の一言一言、姉の一挙一動の中から、自分自身への解答を見出そうとした。
 
 
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