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 大地の国(ダレムアス)物語・「皇女・緑の炎」
 第一部 地球  森の少女

 
 どうどうとたけぶ荒れ狂う嵐の森の中を、少女は必死で逃げていました。
雷(いかづち)が天をさき、風が木をひき倒し、大つぶの雨は横なぐりにたたきつけて、闇の中、一寸先も見ることはできません。
枝の先や鋭い下草が、少女の手足を刺し、衣服をとらえてひきちぎります。
冷たい雨に打たれて、少女はすでに感覚を失っていました。
あるのはただ恐怖と、少しでも遠くへ逃げなければというあせりだけです。
追手があるのか、ないのか、どちらへ行けばこの樹海から抜け出ることができるのか。今の少女にはそんなことは何もわかりません。恐怖に耐えるにはあまりに幼なすぎて、無我夢中で遠くへ、遠くへと走って行く以外、他に何ができましたろう。たでしょう。
   安全な所へ
 足を踏みはずしたその一瞬、自分をかばうために後に残った、おそらくはもう殺されてしまったろうトルザン卿の、最後の声が頭に響きました。
「お逃げなさい。少しでも遠くへ。安全な所へ。そして身を隠すのです。
 けっして御身分をあかしてはなりませんぞ。けっして
けっして けっして けっして ....
がんがんと割れるような頭の中に最後まで残っていたのはそれだけでした。
濁流に足下を大きくえぐり取られていた崖のふちは、少女の重みに耐えかねて、ぐらりとばかりに傾くと、少女を乗せたまま数メートル下の激しい流れの中に落ちて行きます。
遠のいてゆく意識の中で、少女は渦巻く水面(みなも)に見えかくれする黒くなめらかな腕が、稲光りの中にぼうっと浮かびあがるのを見たような気がしました。
腕の主たちはとても美しく、猛々しくて、かみつき、ひきさき、踏みにじって、およそ思いつく限りの乱暴をしながらも、なぜか少女にだけはその荒々しい手を出そうとはしませんでした………。

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 次に気づいた時、少女は川の中州にうちあげられていました。
嵐はいっこうにおとろえる気配を見せず、川の水位はどんどん上がってきます。
このままここにいれば、再びこの濁流に飲み込まれてしまうでしょう。
そうなったらおしまいです。
少女の体は冷えきっていて、これ以上川の中にいて、生きのびられるだけの体力は残っていないのです。
少女にはそれがわかりました。
それでもいいような気もしました。
全ての望みを失ってしまったように思える今、幼ない少女にとって死ぬということはそれほど怖しい意味を持たなかったのです。
 少女の心の中に、死人(しびと)の霊魂(たましい)を冥界へ運ぶ者たちの誘う声が響きました。
   おいで。おいで。少し体をずらして、川の流れに身をまかせるのだ。
   おまえの肉体(からだ)は川がいいようにしてくれるよ。海へ運んでゆくよ。
「海へ?」 少女はなんとか体を持ち上げて尋ねました。

   そうさ、この世界では人間の肉体(からだ)は海から生まれ、海へ還ってゆくのだ。この丸い地の国(ティカース)ではな。
「……ここは大地の国(ダレムアス)ではないのね……」
   そうだ。ここはおまえの故郷からは遠くはなれているよ。
「大地の国(ダレムアス)へ帰りたい。お母さまの所へ帰らせて。」
“声”たちはしばらく答えませんでした。そのうちに一つの“声”が言いました。
   残念だがそれはできない。……わしらにその力は与えられていないのだ。わしらにできるのはおまえを冥界へつれてゆくことだけなのだ。
「そこにはなにがあるの。」

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   なにもない。冥界にいるのは魂(たましい)の司(つかさ)たちと、たくさんの眠っているたましいだけだよ。
 “声”の語る言葉を夢現(ゆめうつつ)に聞きながら、少女は川の中へ体を入れました。冷たい水がすぐに少女の心を肉体からひきはなします。
   そうだ。それがいい。おまえの背負った運命(さだめ)はおまえには重すぎる。別の世界へ行った方が良いのだ。 さあ、もう足下に道が見えるだろう。真直ぐ行くのだよ。
言われた通りに少女は歩きはじめました。
気がつくとすぐ隣になにか明るいものを掲げた人がいます。
それが少女を導く“声”の主(ぬし)でした。
暗くて悲しい闇の中の道にぽつんぽつんと同じようなかすかな明かりが動いてゆきます。
すぐ前にいるのはトルザン卿なのでしょうか?
それは自分自身を送る死者たちの葬列でした。
「これからどうするの?」
   なにも。冥界では人はなにもしないのだ。ただ、眠って自分の過ごしてきた一生の夢を見る。
   夢が終った時、また別の世界へ、新しい人生に向って船出する……。
   おまえの次の人生が今より楽なものであることを祈っているぞ。
   ……ほら、あそこじゃ。
前の方に死者と生者を隔てる大いなる扉がありました。
いかなる賢者、魔法使いといえど、生きてあの扉の内に入ることはかないません。
「あれは……?」
少女は扉のわきを通ってはるかにのびていくもう一本の道を指して尋ねましたが、答えを得ることはできませんでした。
扉が音もなく開かれました。
   ここへ入れば、今までのことはすべて忘れられる。眠って心の傷をいやすがいい。
 
 
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少女が恐るおそる扉の内へ踏み込むと、とたんになんとも言いようのない安らかな眠気があたりを覆います。
少女がその中に自分を委ねようとした、その一瞬。    扉の外から一本の腕がのびて、ぐい、と少女を引き戻しました。
扉の外のもう一本の道から、不意に現われた影があったのです。
「無礼者はなしてっ
突然の事にかっとなって少女が叫びました。
いまだかつて手荒な扱いを受けたことのない高貴な生まれの者に対して、なんというまねをするのでしょう。
心地(ここち)良い眠りから引き戻された怒りと相まって、激怒している少女の頬に、ばしり と 平手打ちが飛びました。
「お目をお覚ましなさい!」
厳しい口調にはっとして顔をあげると、そこには、少女の故郷の衣服をつけた女戦士の姿がありました。
どこかで見たことのある女性です。
そしてその人は生きていました。
少女を追って、生きたまま、世界の外へやってきていたのです。
「おまえは……」
女戦士は片ひざをついて少女の手をとりました。
「皇女…」
深いまなざしがまっすぐ少女にそそがれているので、おのずから視線をかえさずにはいられません。
いつのまにか、少女は女戦士に対する怒りを忘れていました。
「皇女。あなたにはまだ、この扉を越えることの意味がわかっておられないのです。この扉の内側に入った時、人は全ての記憶を失ってしまわれるうのですよ。」
信念を持って話しているのは確かでしたが、なぜかひどくつらそうな顔をしていました。
「今現在あなたがその事をどう思われようと、あなたは皇の御息女としてお生まれになられました。そしてそれは過去の幾多の人生の中
 
 
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の行動を通して、あなた御自身がお選びになられた事なのです。
行末の困難が案じられるからといって、今になってそれからお逃げになるのですか? あなただけの事ならばともかく、皇女は国の存亡の鍵を握る方なのです。あなたがいなくなれば、大地の国人(ダレムアト)たちはどうなるのです。……皇女、幼ないあなたに対してむごいことだとは思います。思いますがどうか、どうかお戻りになられますよう…………。」
戦士が言葉を切った時、冥界への導びき手が吼えるように叫びました。
    ならん。ならんぞ。いかな不死人(ふしびと)のおまえでも、一度(ひとたび)扉の内に足を踏み入れた者を連れ帰ることはできぬ。来るのが遅かったのじゃ。その娘は既に冥界の人間ぞ
「わたしが連れ帰るのではない。御自分の意志で帰られるのだ」
戦士はきっとなって言い返しました。
「皇女にはそれだけの“力”がある!」
    力があってもそんなことはせぬ。おまえたちがこの娘に負わせた運命は重すぎるぞ。好き好んで身にあまる重荷を背負おうとするものがどこにいる。
戦士はうなだれて、言い返す言葉を持たぬようでした。
    これで決まりだな。……さ、こちらへおいで。おまえはもっと自分にふさわしい人生を歩むべきだ。
少女はなおも扉に目をうばわれながら必死で後ろへさがりました。
あの安らかな眠りの中に入りたくて入りたくて泣きたいくらいです。
でも、でも……。
「辛い所より楽しい所に行きたいと思うのは逃げることになるのね」
    逃げることは罪ではない。おまえにはそうする権利があるのだ。
少女は懸命にかぶりをふりました。
だめだめ
涙があふれて扉の姿がぼやけました。
「わたしは皇女なの。皇の娘はどんなことがあっても逃げてはいけないって、
 
 
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お母さまに言われたの……」
「皇女!」
戦士は叫び、導びき手は低くうなって扉を閉じました。
「行きます! 帰ります! つれて行って下さい! ……もう、もう道がわかりません!」
少女はそのまま泣きくずれてしまいました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(☆大学ノートにシャーペン書き。翌頁に鉛筆と色鉛筆で、多彩な闇黒の中に聳える「扉」と宝珠のついた「杖」を掲げる「導びき手」と、幼い少女と、ひざまずいて少女の手をとる女戦士(黒百合)の「挿し絵」あり。……たぶんに山田ミネコの影響が散見される……☆(^◇^;)☆”)
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 冴子(さえこ)夫人は嵐の窓辺に立って森の荒れ狂う様をながめていました。
繰り返し聞こえる悲しい呼び声は、いくら幻聴だと自分に言い聞かせてみても激しく心をゆさぶります。
  助けて  。ママ   暗くて寒いよ。恐いよォ!」
 それは、遂に産声(うぶごえ)を聞かせてくれることのなかった冴子夫人の娘、真里子の救いを求め泣き叫ぶ声です。
結婚5年目に待ちに待った最初で最後の子供を流産し、二度と子供は持てないと宣告された時、夫人は半狂乱になって三日三晩泣き続けたものでした。
以来、朝に夕に真里子の泣き声が遠くから聞こえてきました。医者は、ショックによる精神衰弱から来る幻聴だと言い、勧められるままに森の奥深いこの小さな別荘へ療養に来てから1年が過ぎ、今、冴子夫人は辛い決心を固めようとしていました。
 ピカッと稲妻が走り、寸暇をおかずに雷鳴が地をゆるがし、また一陣の突風が窓ガラスに大粒の雨をたたきつけて来ます。
が、その一瞬、冴子夫人は確かになにか動くものを見ました。
彼女の方をふいとふり返って見た透(とおる)氏は、そのひきつった表情を見てぎくりとしました。
「どうした!? また発作なのか!」
  もう、治ったと思っていたのに……。
彼の言葉にはそんな悲痛な想いがこもっていました。
「いいえ、いいえ違うの。幻覚じゃないわ。あそこ……柵の所に、なにかがいるの」
「まさか、この嵐の中を出歩ける奴がいるものか」
 その時、ひときわ明るい雷が空全体を紫色に浮かびあがらせました。
「まちがいないわ、透。ほら!」
 
 
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 とめる間もなく、冴子夫人は嵐の中へ飛びだして行きました。
「冴子!? おい冴子!!」
一足遅れて、透氏が追いかけてみると、柵の外に全身泥まみれになって小さな女の子が座っていました。
その傷だらけの姿を見て、透氏は冴子夫人が悲鳴をあげるのだろうと思いました。
が、冴子夫人も根はしっかりした心の強い女性です。
蒼ざめた顔できっと目を見開いてはいましたが、けっしてうろたえた真根はしませんでした。
「あなた、あなた! しっかりしなさいっ! 眠るんじゃないわよ!」
 冷えきった体でぼうぜんと空を見つめていた少女は、冴子夫人に頬をたたかれてはっと我に帰りました。
「アルテス! アルテス ダレマヌウク!」
  助けて。助けて、お母さん。
聞いたこともない言葉でしたが、言っていることは容易に理解できました。
少女は冴子夫人を自分の母親とまちがえて必死ですがりついてきたのです。
「スタクアラム ドル マリーク イマルスア?」
  どうしたらこの森から出られるの……
それだけ言って再び沈み込むようにくずおれた少女の瞳は恐怖でいっぱいになっていました。
 
 少女を暖かい家の中に運び込んだ時、透氏はまず夫人に服を替えてくるように言いましたが、彼女はがんとして聞き入れませんでした。
壁の中央に切り込みになっている古めかしい暖炉に、どんどん石炭をくべて部屋の中が暑くるしく感じられるほどになりました。
泥だらけの服を脱がされて、かわいた暖かい所に移された少女は、額も頬も燃えるように熱く、それでいて手足は冷えきったまま、少しもぬくもりが戻ってきません。
   もし、この子がこのまま死んでしまったら……。
 
 
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必死で少女の看病をしている冴子夫人を見て透氏はぞっとしました。
どこから来たとも知れないこの少女が、もし、このまま死んでしまうような事になったら、彼女は今度こそ本当に気が狂ってしまうのではないでしょうか。
 夫人自身もやはり同じことを考えていました。
少女が夫人にしがみついた時の顔が、夫人の心の中で、死んだ真里子の幻影と重なります。
生まれる前に死んでしまった娘、と、今ここで生死の境をさ迷っている見知らぬ少女と、面影が似ているというわけでは決してないのですが、どうしても、もう一人の自分の娘、さもなければ死んだ真里子の生まれ変わりのように思われてしかたがないのです。
 
               …………続…………
 
 
 
             .

◎就学年齢の年に、皇女は隠れた館で
 育てられるため大つ森に向かったが、
 ボルドムにおそわれ(!?)絶体絶命の
 ところを白狐に引き入れられ、
 夢が夢中で反対側に飛び出してしまった…… 資料No.1

 
   一、
 
 少女が森の中の有澄(ありずみ)夫妻の別荘に現われたのは、昭和の時代が終って新しい天皇が即位してより六年目のことだった。
十月の高地の嵐の晩に、別荘の裏手を流れる急流の天然のダムに打ちあげられていた所を有澄夫人に発見されたのである。
三日三晩の生死の境をさ迷う高熱が引いた後、小女の心の中には過去の一切の記憶が既に残っていなかった。
 が、不思議なことに、この少女は自分に記憶がないことになんの恐怖も疑問も抱かないようであったばかりか、長い戦いが過ぎて久し振りの休暇をもらった戦士のような一種の雰囲気、  開放された者の明るさ  さえ持ち合わせていた。
 少女は明るく、愛らしく、無邪気で、慣れぬ耳には絶えず旋律の変化する歌のようにも聞こえる風変わりな言葉を使い、(有澄夫妻には通じないのは承知の上で)しょっちゅう楽しげに話しかけた。
まるで生まれたばかりのまだ空を飛べそうな赤ちゃん(バリの『ピーターパン』参照)のようだったと後に有澄夫人が語っているが、とにかく言葉が通じないのではしかたがないと夫人が身振り手振りを混えて教え始めた日本語を、あっと言う間に驚くべき速さで身につけてしまった。
一月もたつうちには、発音や言い回しを別にして、年相応に(推定で6歳前後と見られた。)正確な日本語をしゃべることができるようになったのである。
 
 
 
(★「昭和の時代が終って新しい天皇が即位してより六年目」
 ……と、いう、文章を書いていたのは、私が中学校の頃だから、つまり
 昭和の50年代前半です☆ (<「近未来FT」だったのね〜☆)


(☆「コクヨ ケ−60 20×20」原稿用紙、シャーペン縦書き。)
 
 序章 一、
 
 深夜、満月の晩。
人間言う所の妖精の輪(フェアリー・リング)に繰り広げられる饗宴の、お祭り騒ぎの中央ややはずれ、一つの大きな車座の一環に、真里砂(マーシャ)は歌い、手を打ち、笑いさんざめきながら座っていました。
なにも世間一般には普通の人間で通っているところの連中が彼女の他に混じっていないわけではなく、それどころか同じ朝日ヶ森学園の仲間たちなど一人二人に限らず、(全地球的に見れば)かなりの高率でまぎれ混んているに違いないと彼女は踏んでいたのだが、それでもやはり誰かにその場を目撃されたとしたら、
「気が狂っておりました。」
以外思いつける言いわけはなかったでしょう。
けれど無論、彼女はそんな事を心配してはいなかったのです。
なぜか磁石(コンパス)の利かない人跡稀な大森林。
とりわけ険しい山崖に囲まれて、自然の力で十重にも二十重にも注意深く隠されているからこその集会場です。
仲間、友人、もしくは味方でも客でもない人間に発見される可能性は万に一つもありませんでした。
 あかあかと篝り火は燃えさかり、虹の火花の尾を引いて、極彩色の虎が天空高く駆け上りました。
それを追うかのように別の一角から極楽鳥が舞い上ります。
魔法の大家たちが、余興にとその技を一部披露し始めたのです。
青い帽子に銀のスカーフを身につけた、かの老魔法使いの姿も見られるようでした。
夜空が彩られる度に、気のいい野次と、嘆息と、掛け値なしの喝采が上がります。
森の彼方の小さな街(まち)に、もしまだ起きている人間がいたとしたら、雲一つない星だらけの空の、小さな雷ほどにも見えるのでしょうか。
だれかが舞い装束の真里砂を描きだして見せたので、返礼に彼女は、その術の主の頭上に銀の流星を十ほども降らせました。
 その流星の最後の一つが地面に落ちて、青色のほっそりした草に姿を変えた丁度その時です。
真里砂の脳裏、心の奥深くに、誰かの救けを求める声が響きました。
その声を捕えた途端  本当に瞬間的にです  真里砂と彼との間になにか火花が飛び交うようなものが感じられ、全てがまだ真里砂の思考には理解も吸収もし得ない広漠さと速度をもって一回転してしまったようで、咄嗟のうちに彼女は彼を引き寄せていました。
 いきなり目の前の空間に現われ出た人物に皆は騒然となりました。
年の頃十二・三の、真里砂と同年代。
一見して黄白混血とわかる顔だちと、日本人にしては明るい髪の色。
包帯がわりに巻かけた血に染まったシャツの切れ端が痛々しい大腿。
飢え渇き疲弊した青く冷えきった体  
 誰?
 誰だ。
 この少年は誰!?
すぐさま、その場を取りしきる立場にある、不思議の長老たちが中央に歩み出て来て声高に呼ばわりました。
「静かに。皆静かにしてくれ! この者をここに呼び寄せたのはだれ。この少年は何者?」
「私です。」
真里砂は立って素直に前へ出てゆきました。
「突然の非礼おわび申し上げます。救けを求める声が聞こえたので咄嗟に呼び寄せてしまいました。いったい誰なのかは存じません。  フィ。」
彼女は振り返って呼ばわりました。
「すみません。この人が危険と感じているものが何なのか、教えてもらえませんか。
 フィ  フィシス。

フィと呼ばれたその女性は、足もとまでも長く流れる緑の髪をひいて盲いた瞳で横たわっている少年のそばへ歩り寄り、ひざまづいて、すっ、とさしのばした両手の平を、ぴたりと彼の額に押し当てました。
「……(キ・ケ・ン……)」
少年の頭から読みとれる、きれぎれの思考の断片が、低い少女の声で語られました。
「(見ツカリタクナイ)……(見ツカレバ、記憶ノ消去)……(洗脳・科学者養成せんたあ)  (やつらハ人間ジャナイ)。」
フィは立ち上がると、出て来た時と同じように静かに人の輪の外へ戻ってゆきました。
事情の飲み込めた者(主として混じっている人間たちですが)たちの間に低いざわめきが起り、長老たちが再び真里砂の方へ向き直りました。
(……で? どうするつもりですか?)
真里砂は考える時の癖で少し右の眉をつり上げていましたが、すぐに
「……呼び寄せた以上、わたしには責任がありますし……それにどうやら、どのみちわたしの仕事のようですから。」
それだけ言うと一礼して、少年の体を負い上げて歩き出します。
有難い事に少年の体は思ったより重くなく、真里砂は楽に歩く事ができました。
はるかに年上の友人たちと別れの挨拶を交わし、草地を横切って岩まで来る頃には、背後では再び歌と踊りが始まったようです。
ひとまず少年の傷の手当てができる泉の所まで歩くつもりで、12歳の美少女は慣れた足つきで真暗な地下道の中へ降りてゆきました。
 
 
 
(☆「人間言う所の妖精の輪」と、「魔法の大家たち」だの「青い帽子に銀のスカーフを身につけた、かの老魔法使い」(^^;)”……たぶんこのフレーズが出て来るということは、甲斐悠紀子の『フェネラ』を読んだ直後で、英文直訳体である「〜ところの」を習ったばかり、くわえて既に『指輪物語』の影響下にもある……、中学1年後半(二学期以降)時点の原稿です……☆ A^-^;)” )
 
    二、
 
 清峰鋭(きよみね・えい)は捨て児でした。
秋の終りの冷たく澄んだ朝、泣きもせずじっと空を見上げていた赤ん坊を、見つけてくれたのは院長先生です。
一目で混血児(ハーフ)とわかる顔だちと、貧しいけれど一針一針の細かい手縫いの産着の「Α」の縫い取り。
利発そうな瞳をしているからと、てっとり早く頭文字に漢字をあてて、始め彼には鋭という名前がつけられたそうです。無論おしめを替える段になって、慌てて下の一字は取り払われたのですが。
とにかく一目見て誰もが女の子だと信じ込んでしまう程の透けるような美しさと、理知的とでも言うべき瞳の光を持った、珍らしい赤ん坊ではありました。
 名前にふさわしく、彼が類い稀な高度な知能を持って生まれた事に周囲の人間が気づき始めたのは、彼鋭が小学校へ入学した頃でした。
入学時の知能検査でIQ300という数値がはじきだされた時にはまさかと笑って130の間違いであろうと考えていた大人たちも、どこで字を覚えたものか一年坊主が生意気に大人の新聞を読み始め、稚拙ながらもかなりまともな「見解」を熱心に話すようになった時、“これは!”と思ったそうです。
彼の興味は最初からもっぱら科学に向けられていたらしく、童話や絵本の変わりに難解なSF小説を読みあさり、近所の大学生の所へ入りびたっては、相対性理論やら万有引力やらを聞きかじって帰るようになりました。
彼の夢は科学者となり大宇宙船を建造する事。
そしてそれが災厄をまねいたのです!
 
 その男がやって来た時、園庭で鉄棒をしていた鋭は一目で不吉なものを感じとった。
それがどこから来るものだったか。
もしかしたらそいつの蛇のようなてらてらと光を反射させる眼に原因があったのかも知れないが、なにも世界中に蛇眼が奴一人しかいないわけではなし、わけのわからない異様な恐怖を感じた事の方に、かえって鋭は疑問を感じた。
 そう、何かを恐れる必要などありはしなかったのだ。
男は設立されたばかりの国立科学者養成センターの事務官の一人であり、IQ300という類い稀な知能を有している鋭を、全額支給の特待生という形で編入させたいと申し入れて来たのだ。
 願ってもないこと。
科学だけが目的の孤児である鋭にとっては、正に福音の鐘の調べのような話である。
否も応もなく鋭は承知し、
「では明後日。」
迎えをよこすと言って男は帰って行った。
鋭は降って湧いた幸運に日頃からの成人顔負けの冷静な洞察力を失ってい、帰り際に男の見せた不吉な笑いにも気づく事なく、ただ彼を我が子同様にかわいがってくれた孤児院の院長だけが、苦渋に満ちた青い顔をして凝っと額を押さえていた。
 
 
 
                .
 
    三、
 
 「……ふう……ん」
真里砂が、やや上を向いた上唇に右手親指をくわえこむようにし、目線を斜め下方向に投げやってつぶやいた。
「じゃ、あなたが機密回線(シークレット・コード)で捜索命令の出ていたエイ・キヨミネなのね?  あら!」
本名を呼ばれてぎくりと体を起こそうとした鋭を見て、彼女はくすり、と笑った。
「ご免なさい。別に驚ろかすつもりではないのよ。」
  なんでだ!?」
はね起きようとしたところを、その細い見かけによらず力の強い腕で押し返されて、鋭は首だけカマキリのように持ち上げてすごい形相で尋ねた。
「なぜ君が緑衣隊の機密命令(シークレット・メッセージ)の事を知ってるんだ!」
「緑衣隊やら何やらの事ならあなたよりよほど詳しいわ。なぜ知っているかと言うと、  だめね。今はまだ話せない。あなたをどの程度まで信用していいものか解らないもの。」
「あー、わかったよ命の恩人殿!ひとには洗いざらい話させといて   
「ストップ!」
わめきたてようとする鋭を真里砂が手をたててさえぎりました。
一瞬静かになると、かたわらの泉の音が急に大きく聞こえます。
遠くで鳥たちが鳴き、小さな草地の上を昇り始めた朝の光が金緑としずくの銀青色に染めわけていました。
「あんまり興奮するようだといくら待っても回復しないわよ。わたしの事について言えばあなたに話す義理はないんだし、あなたは助けられた立場上、わたしに必要な情報を提供する義務があります。それから後なら、あなたが今後どうしたいのか言ってくれれば、できる限りの便宜を計るわ。」
「ひでえや恩の押し売りだ。あ〜あ、またとんでもない奴に助けられちまったもんだなあ」
言葉とは裏腹に、まんざらそうも思っていないくちぶりで鋭がぼやきました。
連日の命がけの逃避行の後に、昼寝の夢のような穏やかな時間が不意に訪れたもので、彼はすっかりくつろいで見ず知らずの少女を全面的に信用する気になっていたのです。
鋭の気持ちを感じとったのか、真里砂が真珠色の歯列をのぞかせてニッと笑いました。
「ねえ、何だか初めて会ったんだという気しないわ。」
「あれ、僕もだよ。既視感(デジャ・ヴュ)てやつかな?  で、何?情報……?」
「ええ、そうなの。」
真里砂が急に真顔になってうなずきました。
「ねえあなたが10月7日まで科学者養成所(センター)に居たと言うのだったら……。ルディ・遠藤と言う人を知らないかしら?」
「ル・ルディの事かい!?」
三度目の正直で今度こそ鋭は飛び起きてしまいました。
体中、特に腕の傷がひどく痛んだ様子でうっと声をあげましたが、それにもかまわず、
「あいつのおかげで脱走できたんだ。あいつが、あいつは、  今ごろはもう……!!」
それだけで真里砂には察しがつきました。
 ああ、かわいそうなルディ……!
緑衣隊の手でどんな拷問を加えられていることか。今ごろはもう、きっと無事な姿ではいないでしょう。
真里砂はきりりと唇をかみしめました。
「……一刻も早く助け出さなくては……!」
その声に鋭がはっと顔をあげました。
ルディに教えられた逃げのびるためのただ一つの方法。
朝日ヶ森学園の数多い生徒の中で、山河を越え自由に森の中をさ迷い歩くことができるのは、不思議な力を持つその少女だけだと言う。
「それじゃ、もしや君が……」
あっけにとられているのを見て、真里砂はまたくすりと笑いました。
輝やかしい朝の森の光の中、心の奥底から突き上げてくる不思議な衝動で体中からいたずらっぽさが湧き上がるようです。
どこからくるのか得体の知れない、奇妙な歓喜したいようなかつて味わった事のない気分に、真里砂はもう一度高く声をたてて笑いました。
「そうよ、わたしがマーシャ、朝日ヶ森のマーシャよ。やっと気がついたのね!」
 「ルディから話を聞いて逃げて来たのだったら、あなたがこれからとりたがっている行動は察しがつくわ。それだけ元気があるのなら一人でいても大丈夫でしょう?戻って来るまでそこの岩影で待っていてね。お腹が空くようなら左手の洞(うろ)に乾した果物が入っているから。」
「待ってくれよ!君はどこへ行く気なんだ?」
「あら。ふふっ!密告しに行くとでも思ったの?! それならご安心なさいませ。山狩りが始まったら泉(ここ)はあまり安全な場所ではないもの、仲間に連絡をつけに行くだけよ。」
言いながら、真里砂はもう走り出していました。
「こういう荒っぽい仕事には、慣れているからご心配なく!」
 小川を飛び越え、樹間を走り続けながら、真里砂は自分の衝動が狼の遠駆けに似ていると感じました。
それにしてもわたしったら!
何がこんなにうれしく感じられるのかしら……?!
 
 
 
               .
 
    四、
 
 「……へえ!それで!?」
「だから見つからないようにひとまず森はずれのパパとママの別荘にかくまって、総監の許可をとりつけてからパパに連絡つけたのよ。ここ(朝日ヶ森学園)に直接つれて来ても良かったのだけれど、万ヶ一にでも緑衣隊に踏みこまれるような事があったら、これはもうまずかった、失敗でしたではすまされないものね。
で、戸籍身分証明履歴書その他転入手続きに必要な書類一切偽造して裏づけを準備して、後は折良く帰国してらしたパパとママに御協力願いましたわけ。」
真里砂は養父母である有澄(ありずみ)夫妻がある日沖縄滞在中の親友夫妻の死亡通知  無論彼女が偽造した  を受けとってから、身寄りもなくなるままに知己を頼って上京してきたその遺児を横浜港まで向えに行って朝日ヶ森のはずれのちっぽけな別荘に連れて来た(ことになっている)事のてん末をざっと話して聞かせました。
それからいたずらっぽく片目をつぶって、
「もちろんわたしはその事は全部、母親からの手紙で知ったのよ」。
相手の、一つ年上の幼ななじみ雄輝(ゆうき)も、そのあたりはちゃんと心得ていて、真っ白い歯でニッと笑い返します。
「そこまでで二十日。そこでお優しい我が母上様は両親を失ったばかりの傷心の清峰鋭殿を、心づくしの手料理で十日かかってお慰めもうしあげ、休暇のあける一週間前に愛娘ともう一人の親友の遺児翼(つばさ)雄輝がいる全寮生の学校に少年を連れて転入手続きにやって来る  。今日がその日よ。そろそろ呼び出しがかかる頃……あ、ほら来た。」
言葉通りそこへ下級生の一人がやって来て、大至急学長室へ来るようにと伝言を残して去って行きました。
さすがの真里砂も息をついで、汗をかいてもいない額を手の甲でぬぐいました。
「万事良し、計画終了。……これでどこのだれが出て来ようとも鋭と朝日ヶ森学園に手出しをする事は不可能になったわ。」
「確かな裏づけをもってここに入学している限り、朝日ヶ森の生徒を学園の意志に反してどうこうできる人間なんていやしないからな。肩の荷が降りたろ?」
「あっは、まあね。」
 なをも話している間に二人は学長室の前までやって来ました。
真里砂が先に立ってノッカーをたたき、
「……失礼します。翼雄輝、有澄真里砂両名参りました。」
扉を開けて一歩中に踏み込むと、真里砂が想像していた通り重いかし材の机をはさんで、上品な二人の婦人が談笑していました。
一人はこの朝日ヶ森学園学長。
推定年齢六十余歳、一見して英国のエリザベス一世を想起させる銀髪の老婦人。
もう一人は真里砂の養母で、32歳とはとても見えない少女のような容貌と華奢な体つきの児童文学作家有澄冴子(ありずみさえこ)。
かつてこの学園を現在の有澄建(たける)氏と共に主席で卒業した、朝日ヶ森の次期学長候補でもあり、言語学の大家として実に38ヶ国語を巧みに操って外交官である夫をささえているその聡明な美しさは、各国上流社交界からいつも多大な好意をもって迎えられていました。
有澄夫人のすばらしさといったら、本人でさえ分不相応と自覚する程におそろしく誇り高い真里砂自らが、人前で平然とマザー・コンプレックスを自称して恥じない程だったのです。
 この二人とはやや離れた所に、中型のトランクを一つ脇に置いて鋭が実に居心地悪そうに腰かけていました。
真里砂がやって来てよほどほっとしたのか、二人が初対面である事を忘れて声をかけて来そうにしたので、真里砂はそのすきを与えないよう慌てて巨大な学長机へ歩み寄らねばなりませんでした。
「ママお久しぶり、お変わりありません。学長教授難かご用ですか?」
真里砂が白々しくもにこやかに微笑(ほほえ)みますと学長も百戦錬磨の古強者らしく大いに楽しんで、口の端にニンマリとも形容できる表状を浮かべました。
「ええ用と言うほどの事でもありませんが、転入生を紹介しておこうと思ったのですよ。」
  ああ!」
真里砂は納得したというようにうなずき、独特の顔だちをした頭を斜めに傾けて、茶目っけたっぷりに、興味しんしんといった目つきを見知らぬ少年に投げかける  縁起をやってのけました。
「母から話はうかがっております。  彼がそうですの?」
学長はそうだと言うようにうなずき、かわりに有澄夫人が立って彼を紹介しました。
「清峰君こちらへいらっしゃいな。……娘と、あなたと同じように数年前に御両親を亡くされて、私たちが後見役をしている翼君。」
初めましてと真里砂が言った時の鋭の顔と言ったらありませんでした。
「真里砂ですよろしく。マーシャで良くてよ。手続きがもう済んでいるのだったら一緒に行きましょう。学内を案内するわ。」
「……あ、はあ……」
「僕は雄輝。荷物はこれだけ?」
「え!ええ。あの……そう……です……」
こうなるともう完全に真里砂は楽しんでいました。
「大人しくていらっしゃるのね。さあ行きましょうか。……それじゃお母さま、また後で。」
耳元で驚愕行進曲と運命を同時に最大音量で聞かされたか、さもなければ本場のインドカレーとお汁粉をいっぺんに口につっこまれたような顔をして歩き始めた鋭をはさんで、真里砂と雄輝はパチリとウィンクを交しました。
後ろで有澄夫人が懸命に笑いを押さえている事は気配でわかります。
扉を閉めた後も二人はわざと生真面目そうな顔をとりつくろって歩いて行き  校舎を出た所で、ついに大爆発を起こしました。

 
 

ここまでは、
・真里砂は何も知らずに、森の中で走り回っていた時、
 道に迷っていた鋭を見つけて有澄夫妻の別荘に送りとどけ、
・書類偽造等して鋭を朝日ヶ森につれて来たのは有澄夫妻。

 
 
 「まったくもって気に喰わないわあんの奴!」
真里砂が頭から湯気をたてんばかりに言うと、雄輝が額を押さえて笑いながら半ばあきれた口調で言いました。
「まったく大した奴だよあの鋭っての。おまえをつかまえて『女なんかくだらない』って言ってのけるんだからなァ…… このおまえをさ。」
「笑い事ではないわよ。ええい、もう!  あ〜あ!まったく頭に来る!」
 広大な国立公園に隣接する、これもまた迷い込んだら生きては出られない(おまけに所々原因不明に磁石が利かなくなるというごていねいな)大原生林・朝日ヶ森を、そっくりそのまま国から買い受けて敷地にしている世界的な名門私立校朝日ヶ森学園。
 
 
 
              (未完。)
 
    一、
 
 遂に鋭(えい)は力尽き、深い森の中で意識を失ってしまいました。
暗黒よりもさらに深いかと思われる闇があたりを押し包み、左腕(鋭は左利きです)の銃創を縛った布からさらにあふれ出した赤いものが小さな流れを作ってゆきます。
鋭にはもう、規則正しく一定の間をおいて命がしたたり落ちてゆくかすかな響き以外、何も感じとることができませんでした。
 手も足も痺れて冷え切って、体の自由が利きません。
先程までの豪雨を否定するかのように、森はこの上もなく深く沈黙し続けています。
  今夜一晩。)
言葉に現れない意識の奥底で鋭は思いました。
(明日の朝には確実に、僕は冷たくなっている。)
 胸の方で、何かかすかなおき火のような存在が、それでも生きたい生きたいと懸命にもがきたてているのを、鋭自身は静かに見つめていました。
“死”はなぜか恐しくはなかったけれど、それでもやはりこんな所でたった一人、濡れた草の上に体を投げだしたまま古くなった雑巾のように冷たくなっていくのを待っているのは、たとえようもなく哀しい事でした。
なぜ、こんな所で、たった一人で   
それを思うと、鋭の見開かれたままの瞳からつつつと涙がこぼれました。
体の心も冷え切っていて、それと同じように冷たい冷たい涙でした。
 (生まれてすぐに親にさえ見捨てられた僕だけど)
(それでも友達がいた。先生達がかわいがってくれた。結構幸せに暮らしていたのに)
ナンデコンナコトニナッタンダ。ナンデ。
  鋭の心が一枚の傷ついたレコード板になって、ぐるぐる同じ質問の上を走り続けて行きます。
(初めて憧れた優しい女の先生だっていた。
 人よりずっと大きな夢を持っていて、
 どこまでも追いかけてゆくはずだったのに)
ナンデコンナコトニナッタンダ。
 鋭は実の所まだたった12歳の少年でした。
幼ない頃いつもおんぼろプレイヤーにしがみつくようにして聞いた、あのすり切れたレコードの中の小さな子守り歌を、
(死ぬ前に一度っきりでいいから)
  どんなガラガラ声でも構わない。生んでくれた母の声で聞きたかったと、長い間ごまかし続けて来た想いを今鋭は素直に願いました。
 やぶや下枝をかきわける、かすかにガサガサいう音がした時も、鋭にはもう聞きとるだけの力がありませんでした。
いつの間にか彼の目の前に、白いぼうっとした優しい人影が立っていました。
鋭は残された最後の力で泣きそうにかすかに微笑み、さしのべるつもりで傷のない方の右腕をわずかに持ち上げました。
「うれしいな。迎えに来てくれたの、母さん……?」
そうしてそれっきり、鋭の意識はふっつりと途切れてしまいました。
 
 
 
 
 
鋭は残された最後の力で泣きそうにかすかに微笑(ほほえ)み、さしのべるつもりで傷のない右腕の方をわずかに持ち上げて、
「うれしいな。迎えに来てくれたの。母さん……?」。
そうしてそれっきり、ふっつりと意識が途切れました。
 
 鋭は幾晩もうなされ、うなされて、意識の深みの泥沼にひきずりこまれ、また浮かびあがり、そんな風にしてかすかに目を開く度にのぞきこんでいる白い顔を意識しました。
その白い顔は自分と同じ年頃の風変りな顔dちの美しい少女で、不思議な事に豊かな緑色の髪で縁どられています。
鋭は夢現の中で、その少女が見た事もない生みの母か、さもなければ血を分けた姉か妹ででもあるかのように感じて、苦痛が走り抜ける度に救いを求めてその少女を呼び続けました。
 少女は始め鋭の体の脇にぴったり沿うように横たわって、冷え切った少年の体を暖めました。
体に熱が戻り、ほとんど瞬間的にそれが高熱にうかされる状態に変わると、今度は枕辺につききりで汗をぬぐい、額を冷やし、たまに姿が見えなくなったと思うと、次にうっすらと気づく頃には薬湯や冷たく冷えた何かの液体を用意して、再び心配そうな優しい瞳を鋭の方へ向けているのでした。
 
 車のエンジン音が聞こえたような気がし、重い扉の開く音と男女の静かな話し声があたりの静けさに波紋を投げかけました。
 
 
 
             (未完)
「序章」 大地の国物語
     大地世界物語・皇女戦記編

 記憶の旅・序章


体育祭の二日前。
裏朝日から

大地世界
水球世界

 
 大地世界(ダレムアス)物語シリーズ 前書き
 
 「よーし、一応似て見える。」
 僕と背恰好の似た奴が、鏡と僕の顔とを見比べながら最後に言った。「眼鏡は?」と僕。まったく見事なものだった。
「それはない方がいいんだ。全部同じにしちゃうとかえって細かい違いがバレやすくなるものなんだ。から、かけてなきゃ、あ、ふん囲気違うのはメガネないせいかな、って思われるだろ?」
 「  ああ。」僕は肯いて、それから周囲の部屋の中を見回した。そこは二階で、三方の窓に一人づつ、用心深く外の気配をうかがっていた。
 この連中のリーダーらしい、僕に変装
 それから、僕に化けた奴のそばに座って変装の手伝いをしていた女の子  どうもこの娘(こ)こいうつはとっかで見事がある誰かに似ている  ような気がする。)と、その時はばくぜんと感じただけだったけれど。
みんな僕と同じ年頃小学校5・6年か、せいぜい2つ3つしか違いそうになかったくせに、なんて落ち着いて頼もしく見えた事だろう。波の大人なんかより余程頼りがいがありそうだ。それから僕は、ずっと気にかかっていた事をきいた。
 「だけど君は  君は僕と入れ変わってどうするんだい? 危険などころか、命の保証だってないよ。」
 そりゃ、あの場合、僕と僕の荷物の安全が第一だって事を、解ってるけどさ。はいたんだけど。
「大丈夫、彼は上手くやるわ。鋭は心配しなくて良いのよ。」
 手伝っていた女の子の方が、チラッと男の子と見かわしながら言ったので、僕は一応彼らを信用して納得する事にした。かの女が、一目で人を安心させてしまうようなきれいな笑い方をしたからだ。  あれ、なんでこの子、僕の名前を知ってたんだろう? 僕は思ったね。
僕が少しばかり驚いているのをそれを見抜いたような顔で、いかにも気の強そうなななめわけのオカッパ頭のその子がウインクした。
  違うや。僕がこの子に見覚えがあるような気がしたのは、この子に会った事があるからじゃあ、ない。多分、僕の大好きだった誰かしらに顔の形が似てるって、だけなんだ。
  よ、来たぞ……」
僕がちょっと、僕がその誰かしらを、誰だったっけと考えている内に、丁度その時、窓にへばりついていた一人が押し殺した声で言った。
 「どっち……?」おかっぱの女の子が素速くそちらへ立って行きながら問い返す。

(☆「おかっぱ頭の女の子」のボールペン描きのイラストあり☆)

 「にせ緑じゃない、おじ様たちベンツ車      だ。」
 「よっしゃOK! おっかないおあにいさん方が来る前に、“にせ清峰”君、A計画発動」
 一応一行のリードとってたらしい赤っ毛そばかすの奴が、僕に化けた男の子の方に向ってGOサインを出した。
 「all right! マーシャ、有澄夫妻に何か伝言は?」
 「そうね、パパにお仕事がんばってって、それからママに、明後日の体育祭の時、もし来られるようならお稲荷さん3人分お願いします、って、言ってくれる?」
 「わかった。行って来まーす」
 「気をつけてねろよ! 純人!」
 ポーチの方で二言三言しゃべっている声がして、車は直ぐに走り去って行った。ひええ、じゃ、この子、有澄夫妻の子供だったわけ? それにしちゃどっちにも似てないや。隔世遺伝か何かなのかな。と、まさか養女だとは思わなかった僕は、マーシャと呼ばれたくだんのオカッパが有澄夫妻の子供と聞いて、まったく似ていないのにキョトンとしていたものだ。
 「なにをボヤッとしてんだ、
 「ボヤボヤしない、置いて行くぞ!」さっき有澄氏の事を“おじさま”と呼んでた奴がどなる。
 別に僕の動作が鈍かったわけじゃなかった。連中の方でそれこそあっという間に姿を消してしまったのだ  しかも鏡の向う側に。どうやら隠し扉になっていたらしいんだけど、その一年半というものおどろおどろしいホラーS・Fの世界S・Fスパイ小説ハードボイルドを地でやっていた僕としては、もういい加減忍者屋敷くらいではの事では驚く気力も起きなかった。のを覚えている。
 2つ3つの扉を横目でながめながら薄暗い階段をどんどん降りて、最後の扉で地下室らしい所に出る。そこからまたも別の地下道に入って行って、ずんずん走、
 どうやら僕は、今度はホームズやらルパンやらの世界に迷い込んじゃったみだいた。どう考えても、ここ、ごく平和な高級住宅街の中だと思うんだけど。
 「このあたりはね、もともと  藩の出城のあった所なの。」
 僕があきれているのに気がついたのか、隣を走っていた、
 「君、あの、  有澄、さん? ここ、君ん家?」
 「真里砂よ。マーシャでいいわ。」

 
 僕、こと清峰(きよみね)鋭(えい)が初めてマーシャという女の子に出会ったのは  実は初めてなんかではなかったのだが  こんな風に、えらく素っとん狂な、現実離れした状況の中でだった。
事の起りは僕にIQがその当時でさえ225もあった事、そして今も変わらぬ科学気違いだった事。にあるのだろう。多分。だけどその話を詳しくしてその事はそれだけで本一冊分に余る話になるし、僕がこれから書こうとしているのは僕自身の事ではない。マーシャの物語話、マーシャの国、大地世界(ダレムアス)の一時期に僕らと共に生きていたとその時代そこに生きていた暮らしていた人々の物語だ。これはずい分と長い話になると思う。それと、言うのも、僕はその当時知らなかったものや事や理解できなかったもの、更には話の本筋には直接関わって来ない、故事や神話の類いにまで筆をおよぼす気でいるのだから。
 
 
(未完。大学ノートにボールペン書き、直しの嵐の、おそらく第一稿。そして多分、「数学の授業中に」書いていたという気がするな………………(^◇^;)>”)
 
                .
 
 鋭(えい)のトランクを持ったまま、真里砂(まりさ)は一息に階段を飛び降りた。
「大体の所はママから聞いたわ。  政府おかかえの科学者養成センターから逃げだしてきたんですって!?」
真っ黒なストレートヘアがぱさりと顔にかかるのをうるさそうにふりはらって彼女は振り向いた。瞳がわずかに緑がかって見えるのは気のせいなのかな。
 無用心に朝日の中へ出てしまった鋭は目がくらんで一番下の段を踏みはずした。
「うわっ!!」
悪気でなしに真里砂は笑った。
「ほうら、ね。やっぱりトランクはわたしが持っていてよかったでしょう。鋭! あなた疲れているのね。緑衣隊(りょくいたい)の追跡をまいて来たんじゃ無理ないけれど。」
彼女はまだ彼がどんな目つきで自分を見ているのか気づいていなかった。気づいていたとしても信じなかったろう。
彼女のまわりにそんな物の考え方をする人はいなかったから。
 屈託なく手をさしだした真里砂に対して、鋭はできるだけひややかな薄ら笑いを浮かべて見せた。
「結構。女の子なんかの手を借りなくても起きられるさ。」
「え!?なあに、鋭。」
真里砂は一瞬彼のいんぎん無礼さに鼻白んだ。  “女の子なんか”  ?何を言っているのかしらこの人……。
鋭は言葉通り一人で立ちあがると服のほこりをはたきながら言をついだ。
「……それから呼び捨てにするのはよしてほしいな。なれてない。」
「あらっごめんなさい。気にさわって?わたしたちはいつも名前かあだ名で呼びあっているものだから……じゃ、清峰(きよみね)君ね。これでよくて?」
 鋭は返事をしなかった。
冷静なふりはしていても彼も内心かなり面くらっていたのだ。
彼は落ちつくためにざっとこの一風変わった女の子の観察記録をまとめてみた。
 ○髪、黒。眼、黒。身長−やや小柄−20cmくらい。やせ型。はだの色、かなり白い。ぼくと同じ混血(ハーフ)か?
 ○運動神経かなり良し、おてんばというべきか。頭も良さそうである。
 ○性格的にかなり風変りである。ぼくと同学年であるなら11〜12歳。ああもずうずうしく堂々と男子の手をつかもうとする女子は見たことがない。
 ○典型的なおじょうさん育ちらしい。
以上。
 真里砂は真里砂で、鋭が不気嫌なのは一ヶ月近かった逃避行で神経がとがっているせいなのだろうと勝手に納得していました。
奇跡的にここへたどりつくまでにはそれこそ命がけだったのでしょうから。
 この次点でかなり重大な誤りを犯してしまったことに二人は気づきませんでした。
「じゃ、清峰君。先に寄宿舎へ行ってこの荷物を置いてきましょうよ。その後(あと)で構内を案内してあげる。……どうしたの?今日は土曜日だから一般授業はお休みなのよ。」
鋭は彼女と並んで歩き始めた時から苦虫をかみつぶしたような顔をしていましたが、彼女が一日自分につきあうつもりだと聞かされた時には苦虫どころかワサビとカラシとコショウとタバスコを一時(いちどき)に飲まされたような顔になりました。
「ご免こうむりたいね、おじょーさま!」
「え!?何か言った?」
「……別に。」
早朝であたりに人影のないのが鋭にとっては不幸中の幸(さいわい)でした。
女と並んで歩いてるなんて!
転校初日からひやかされるはめになるとはなんたる不運だ! こいつよく平然としてるな。どっかおかしいんじゃないか  
 「あらいけない。まだ7時前なのね。」
鋭の心配など気にもかけないようすで真里砂がつぶやきました。
のぞきこんだ腕時計の下、白い手首に薄く静脈が浮いています。
「ここでは朝7時から夜の十時までしか異性の寮には入れないの。」
「へえっ。普通は女人・男子禁制だろうに。」
言ってしまってから鋭はあわてて口をつぐんだ。
 
 
             (未完)
(Okinaの20x20原稿用紙、シャーペンで縦書き)
第一章
 
 魔 法 の 国 の 真 里 砂
 
 
 
 1、 運 動 会
 
 ダーン!! ピストルが音高くひびいた。
 最前列の選手が一斉に走り出す。
 中等部女子の障害走が始まったのだ。
 二列目にいた真里砂は前列の選手たちを見ながら
 ほほえんだ。
  結局20000m(メートル)のコースを走りぬける人は少ないんだわ。  
 事実、じょじょにむずかしくなる障害物の前で
 立ち止まる者が数多くいた。
 真里砂がどのぐらいの速度(スピード)で走るか考え始めた、
その時、ピストル係の少年が話しかけて来た。
 「この分じゃ真里砂(※マーシャ)が優勝だな!」
 「ありがと! 翼(つばさ)先輩」
 真里砂はふざけて答えた。

 (※真里砂の愛称(ニックネーム))


翼(ツバサ)雄輝(ユウキ)は陸上部の先輩だが、真里砂とは
親しかったので、ふだんは名前で呼びあっていた。
「ねえ、雄輝(ユウキ)……」 真里砂が話し始めようとした時、
「おーい! いつまでまたせる気だあ?」
しびれをきらした観客がさけんだ。
一列目の選手達はとっくに林間コースへ移っていたのだ。
雄輝はあわてて席にもどった。
「用ー意! ダア  ン!」
真里砂は飛び出した。
だんだん高くなってくるハードルを全部飛びこすと、
次はロクボクの間の綱わたり……etc…………
次々と出てくるむずかしい障害物の前に
何人かの仲間が落後していったが、真里砂は
走りつづけた。
4000mある林間コースを通りすぎ、校庭に出ると
1段から12段までの飛び箱がならべてある。
残っていた者の半数近くがキケンを申し出たが
真里砂(マーシャ)は進み続けた。
最後の12段に飛びつき、飛びおりようとした瞬間
 
すべての声が、かき消されたかのように止まった。
飛び箱の下のマットが突如消えうせ、いやその下の大地まで
が暗黒の空間に変わってしまったのだ。
真里砂は音もなくすいこまれて行った。
1秒2秒と時が過ぎていったが、だれも身動き
する者はいなかった。
1秒 1秒が恐しく長く感じられた。
 
その時、消えかけていた暗黒の穴(ブラック・ホール)の
中に1人の少年が飛びこんだ、続いてもう1人……
暗黒の穴(ブラック・ホール)は完全に消滅した。
 
長い長い時が過ぎた。ふいに1人の女性が泣きだした。
真里砂(マーシャ)の母親だった。



(※大学ノートに鉛筆書き。直しの嵐☆)(^◇^;)”)

真里砂は気を失なってたおれていた。
5000mの全力しっ走の後(のち)、疲労した体で暗黒の穴
(ブラック・ホール)に落ち込む事は彼女にとってさえ少し衝撃
(ショック)が強かった。
 
そこはほの暗い森の中の小さな空き地で、かたわらの
小川がさらさらと音をたてて流れていた。
そして、太陽はたった今しずんだばかりで、まだなごりおし
そうな夕焼雲(あかねぐも)が最後のわかれをつげていた。
その時、小川のわきでカチッという音とともに
明るい炎がもえ上がった。
「ふう!やっとついたよ、先輩」
音をたててもえるたき火のわきには二人の少年が
すわっていた。
1人は翼 雄輝  真里砂の先輩  で、
もう1人は 真里砂と同級の 清峰(キヨミネ)鋭(エイ)だった。
この二人は真里砂の後を追って暗黒の穴(ブラック・ホール)に
飛び込んでいた。
「真里砂は?先輩」と、鋭が聞いた。
「まだねむっているよ」と、雄輝が答えた。
すると
「もう起きてるわよ!」と、鋭の背後で真里砂が笑った。
「この妖精の国(フェアリーランド)自体が夢なら別だけどね」
「妖精の国(フェアリーランド)だって!?」鋭と雄輝が同時にさけんだ。
信じがたい話だったが、真里砂は本気だった。
かと言って真里砂が、あれしきのショックで気が狂ったり、夢と現実をとりちがえるとは思えなかった。
「じゃあ、きみはここが……地球(テラ)じゃないっていうのかい?」
「地球(テラ)どころか、別次元らしいわよ」真里砂はかたをすくめていった。
「私がねむっていたらね、だれかが私の名前を呼んでいたのよ。
『真里砂(マーシャ)、王女(プリンセス)真里砂(マーシャ)』てね。」
  <王女(プリンセス)だって!?>  鋭はおどろいたが、
口には出さなかった。
作家志望である真里砂が自分の話しをじゃまされるのを
とてもいやがることを彼はよく知っていたので、
真里砂は話しを続けた。
「私が目をあけると、そこに三人の人が    
 人といえるならの話しだけど    すわって、
いいえそうじゃないわね。
  とにかく、私の顔をのぞきこんでいたのよ。
 一人は 美しい黄金(こがね)色の髪を持った女の人で
 不思議な事に 下半身がまっ白い馬の体でね、
 その人が私に言ったの。
『ああ、やっとお目がさめたようですね王女(プリンセス)』
 その声は黄金(こがね)の鈴のようにやわらかかった。
『急ぎましょう。人間(ティクト)たちが来るかもしれない』
 と、その人の後ろにいた山羊足人(フォーン)が(本当に山羊足人
(フォーン)だったのよ、あなたたち、わたしの話、信じてないわね)」
真里砂はあわてていった。

あらわれたの、そして何だか意味のないような
事をさけんだのよ
『ウェルズ橋(ブリッジ)に月(ムーン)が来た!』てね。
とたんに四人ともかき消えたように見えなくなって
みんなのいたあたりにこれがのこっていただけだったのよ。」

真里砂は話し終えると後ろから大きなつつみを四つ
とりだした。
その中の三つは かれ草色の布ぶくろで
リュックサックほどの大きさだったが、
もう一つは 丸い銀のお盆に うすもも色の布が
かかっているだけだった
「そのお盆の中味が夕食でないとしたら
 ぼくを まぬけだと思っていいよ!」
鋭が楽しそうにいった。
 彼は 朝食のサンドイッチから後、何も口にして
いなかったのだ。
「先に その荷物の中を見た方がいいんじゃないかな」
雄輝が考えながらいった。
「私 うえ死にしちゃうわ!」と、真里砂が悲鳴を上げた。
「私が5000m走ったんだって事忘れないでよ」
その一言で 事は決まった。
 
 
              

 
お盆の上にはルビー色の液体の入った水差しと、
   雄輝はワインだと思いました       
湯気を立てているシチュウの入った大きなおなべ
がありました。
「あれっ!スプンやお皿がないや?」
最初その事に気づいたのは鋭だった。
つづいて真里砂も言い出した。
「コップもよ! そっちの大きい包みに入ってない?」
そこで三人はめいめい一つづつふくろを開けて
みる事にした。
雄輝がふくろをしらべてみると、それぞれ、色のちがうひもで
口の所をくくってあったので、
彼は青いひものかかったふくろを選び出して少し、ひものはじを
ひっぱって見た。
「開けたら ドカ  ン! なんてことにならないだろうね」
と、鋭が笑いながら言った。
「もっとも、殺すんだったら、食事に毒をまぜた方が、早いけどね!」
「たとえ毒入りであろうとも……、ええい。このひもほどけないな
……ぼくは食べるね! 空腹でぶったおれそうだよ。
……ああ、やっと開(あ)いた。」
「わ!なにが入ってる?」とあとの二人がのぞきこんだ。
雄輝がふくろの中に手をつっこむと、すぐに何かかたいものにぶつかった。
「イテッ、これは何だろう? 手の甲をすりむいちゃったよ。  
やあ!これは剣だよ。しかも本物だ。………………………………
束に何かついてるけど、暗くて見えないな。火のそばへ行こうよ。」
その剣は長さが50cmほどで、黄金(こがね)細工のさやには
海のように深い青色をした宝石が、ちりばめられ、
それに光があたってキラキラとひかり輝いていた。
「ほら!こっちのふくろにも同じのが入ってるよ!」
さっきから 緑色のひものふくろと とっくんでいた鋭が呼んだ。
彼の手にも光輝く黄金の剣(つるぎ)がにぎられていた。
「あらっ?でも少し違ってるわ。ほら、こっちの剣、さやについて
いる宝石(いし)青いでしょう? 鋭 のは緑色だもの」
「へえ、本当だ。他の所は寸分違わず同じ造りなのにな。」
「私、こっちのふくろも開けてみるわ。これにも入ってるかも
しれないもの……」
こう言って真里砂(マーシャ)は赤いひものかかったふくろを取り上げた。
「あ、あったあった。これにも剣が入ってるわ。……
 ! ちょっと来て、この剣(つるぎ)は銀製よ、他のと違うわ!」
確かにその剣は他の二本とは違っていた。
第一に それは 輝くばかりの白銀でできており、
束とさやには炎のようにゆらめく光を秘めた真紅の石が
はめこまれていた。
そして、他の二つの剣よりも小型で、真里砂の身長にぴったり
あう大きさだった。
それぞれに剣が一本づつか! 他になにが入ってるのが見てみようよ。」
と、雄輝が言った。三人がめいめいのふくろに手を入れると
一番ほしがっていた物    コップとお皿とスプーン    
が入っていた。
「やっと食事が食べられるわ! でも、この底の方に入っているのは
何かしら?」
「先に食事をしようよ。“腹がへっては戦(いく)さができぬ、だよ」
と、鋭が言った。
「賛成!」と、あとの二人が同時にさけんだ。
みんな胃ぶくろがからっぽだった。
 
しばらくの間、森は静かになった。
聞こえるのは ただ、三人の使っているスプーンがお皿にあたって
コトコトいう音とたき火がパチパチとはぜる音だけだった。
 シチュウはとてもたくさんあったので、三人がめいめいたっぷり
取っても、まだ少し残っていた。
「それ以上おかわりしようなんて気はないでしょうね」
「今日の所はね。明日になればもっと食べるよ。」片目をつぶって鋭が答えた。
「さあ!」雄輝が立ちながら言った。「ふくろの中味を全部調べちゃおう。」
雄輝と鋭はそれぞれ受け持ちのふくろ(最初に自分で開いたやつ)を取って、中味を地面にぶちまけた。
しかし、真里砂はそうはしなかった。
「だって、こわれものが入っているかもしれないじゃない。」
これは非常に懸命な考えだった。
なぜなら、彼女のふくろには小さな方位磁石がはいっていたので。
そしてそれには細い銀のくさりがついていて首にかけるように
なっていた。
「なんて細かい細工なのかしら! 剣にスプーン、ナイフや
フォークも。まるで童話に出てくる小人の細工物みたい
だわ。」真里砂が一人つぶやきながらそれを首に
かけようとした時、
「そのとおりじゃ!」
 真里砂の背後でわれ鐘を打ち砕いたような
さもなければ大砲を百発同時に打ったような
ものすごいドラ声が響いた。
もちろん鋭や雄輝の声ではない。
ではいったいだれがいるというのだろう?
真里砂はこわごわふりむいた。
しかし、後ろにはだれもおらず、ただ5mほど向こう
にある老かしが、さもゆかいそうに枝をゆすっている
だけだった。

              


「だれかいるのかい!?」
おどろいてかけつけてきた二人が同時に聞いた。
「わからないわ、ただ……すぐ後ろでだれかどなったん
だけど、ふりむいたらだれもいなくて…………」
「ハハア、さては宙に飛んだか地にもぐったか……」
「まじめにやれよ、鋭。いったいなにものなんだろうな?」
「いくら話したって結論は出ないわよ、ここは魔法の森だもの。
いくらでも想像できるわ。」
真里砂が肩をすくめて言った。
「また真里砂(マーシャ)の童話狂いが始まったね!
 ぼくは別の惑星だと思うんだけどなァ」
それを聞いて雄輝がふき出した。
「それを言うならきみだってSF気狂いじゃないか!
 そんなことより真里砂(マーシャ)の荷物は全部見たのかい?」
「いいえ、まだよ。この方位磁石を見ていたら声がしたんですもの」
「じゃあ早いとこ調べよう。それから会議だ。」
彼がふくろをひっくりかえすのを見て真里砂はためいきをついた。
  <とにかく、方位磁石だけは無事だったわよ……>  
 
彼らは議論が好きだった。
それは、彼らが小さい時から通った朝日ヶ森学園が、すべて
生徒会議の決定にたよっていたせいもあるし、
ギリギリの瞬間まで頭を働かせて相手を降参させるのは
スポーツではあじわえない独特なスリルがあった。
 そこで、彼らはたき火をかこんですわると話し始めた。
「まず第一の疑問はここがどこかってことだよ。」
「それからなぜここへ来たのか、ね。偶然なのか、それとも
だれかにつれてこられたのか」
「……きみが王女(プリンセス)だってのも気にかかるな……
 それにこの荷物! どうも旅の仕度に思えるんだけど
 ……ここの住民  真里砂(マーシャ)の言う山羊足人(フォーン)や
妖精(フェアリー)  は、ぼくたちの事をどう思っているのかな。」
「きりがないわね! 紙と鉛筆があるといいんだけど」
雄輝がポケットから採点用紙をひっぱりだして、鉛筆と
いっしょに真里砂にわたした。
「今日はもう使わないからね。」



     疑 問          結 論
1.ここはどこか
2.なぜここへ来たのか
3.私が王女だということ
4.荷物はなんのためか
5.住民はわれわれを
  どう思っているのか




「まだあるわ。ねえ、あなたたちはここへ来た時、
こわかったって言ったでしょう? でも、私、たしかに
こわいし、おどろいたんだけど、同時に うれしくて
なつかしいような気分におそわれたのよ。」
しばらく沈黙がおとずれた。
パチパチと火のはぜる音がここは別世界なのだと
語っていた。そして、いつになったら両親のもとへ帰れる
のか、いや、帰れるのかどうかもわからないということを。
「こういう仮説がなりたたないかな…………。」
雄輝がふいにしゃべり出した。
「真里砂(マーシャ)、きみが今の両親  有澄のおじさんと
おばさん  の本当の子じゃないってことはみんなが知ってる。」
((真里砂の体がピクッとふるえ、鋭がするどくさけんだ。))
「先輩! そのことは………………。」
「わかってるよ、真里砂(マーシャ)が内心そのことを気にしている
 ことも、みんなが気づかって口に出さない事もね……。」
雄輝は言いにくそうに口を切った。

             


「でも大事な事なんだ、真里砂(マーシャ)。
きみが有澄家の前で泣いていたのはたしか
9年前  いや、10年前の今日だったね。
その日がきみの誕生日になったんだから。
きみは捨て子で、3才以下の時の記おくはまったく
わからない、それに髪の色がふつうの人とは
ちがう。」
「それがどうしたって言うの!! そんな事は
気にするなって言ってくれたのは雄輝じゃないの。」
さっきから歯をくいしばってふるえていた真里砂は
それだけ言うと泣き出してしまった。
「ひどいよ!先輩。いくら真里砂(マーシャ)が気が強く
たって、女の子にそうはっきり、言うことないじゃ
ないか!」 鋭は、まだ自分では気づいていなかった
が、真里砂が好きだった。
だから、真里砂が悲しむのを見たくないのだ。
「ちがうんだ。ぼくが言いたいのは真里砂(マーシャ)が  
真里砂(マーシャ)の両親が、この世界の人間  住人じゃ
ないかと思うんだ。」 恐ろしい沈黙が訪れた。
この考えはほかの二人の心にもあったが、
とても信じられない、いや信じたくない事だった。
「でも、  もし、それが本当の事だとして    
たしかに真里砂は妖精みたいに身が軽いし、
髪は地球人ばなれした緑色だからね    
なぜ、地球に 捨てられていたんだろう?」
「わからないわ。でも…………でも、私、本当にここの
この世界の娘なのかしら?」
真里砂が涙をふきながら言った。
あまりにもめまぐるしくいろいろな事が起ったので、
いまなら何を言われても信じられるような気がした。
「たぶんね、それも王家の血すじなんじゃないかな。
王女様(プリンセス)  。」
雄輝も鋭も王女(プリンセス)という肩書は真里砂にぴったりだと
思った。
たき火が音たててはぜた。
もう話すこともつきたように思われた。
「今夜は野宿だわね。」 真里砂が言った。
「うん。」 と雄輝が答えた。
再び沈黙が訪れた。
 
 
 
             


森の中はしんと静まりかえっていた。
たき火には土がかぶせられ、(こうすると、少しのたき木で一晩
火がもつのだ)すきまから細いけむりがたなびいていた。
木々の上に大きくて明るい満月が顔を見せ、地上に
光と影を作った。
それは、地球の月の倍ほどもあり、この上もなく美しく、
さえざえとした銀色の光をはなっていた。
そして、身が軽く翼の強い鳥たちならば、一日で行って帰って
くることができるくらい近くにあった。
さて、月がゆっくりと上がってくるにしたがって、
木々の葉ずれの音のようなささやきが森中に広がった。
それは、ごくわずかなざわめきだったのだが、
真里砂たちは気づいて、体を起こした。
「なんだ、あなたたちも起きていたの。」
互いに、他の人は寝たのだろうと思いながら考え事を
していたのだった。
「あの音は何なんだろう?」 鋭が言った。
「風もないのに木々がザワついてるね。」
しばらく三人は無言のままその音を聞いていた。
そうするうちに、その音はどんどん大きくなり、
かすかな地鳴りのような響きをともなった、たからかな
歌声にと変わっていった。
その声は地の底から響くのかと思えば、次には木々の
こずえの向こうから降り落ちて来ると思われるぐらい
すばらしい二部合唱だった。
「ねえ、あの声はなんて言ってるのかわかる?」
「いや、まるで聞いた事ないね。」雄輝が答えた。
「少なくとも学校でならった言葉  全地球語  にはないよ。」
「私だってそうよ。でも私、どこかでこの歌を聞いたことが
あるの
。いつだったかしら………………
真里砂は懸命に思い出そうとしていた。
  <歌、歌…………大きな銀の月…………満月の歌声……
……すんだソプラノ、やさしい指、銀の服のあの人は  
「 マ マ ン ! 」
真里砂はがく然とした。
古い記憶が突如よみがえってきたのだ。
  そう、真里砂はここの人間だった。
ここで生まれ、ここで育ったのだ。
3才の誕生日まで        
「誕生日の日に何が起こったのかわからないかい?」
真里砂は悲しそうに首をふった。
なぜ捨てられたりしたのだろう    
「きっと、なにかわけがあったんだよ、真里砂(マーシャ)」
しかし、真里砂は雄輝の声を聞いてはいなかった。
その目は大きくひらかれ、驚きのあまり声を発する事ができなかった。
鋭と雄輝はとっさに剣をとって身がまえた。
こんなわけのわからない世界ではなにが起きるかわかった
ものじゃない。
    しかしその必要はなかった。
ふりむいた二人が最初に見たものは、空き地の向こうがわ
にずらりと並んだ大木たちだったが、次の瞬間
それらは背の高い美しい人に変わった。

            (未完)

一、
二、序章
三、

 
   一、
 
 隣室から聞こえて来るかすかなせわしない物音に、清峰鋭(きよみねえい)はふっと浅い眠りを起こされた。
耳をそばだてて静かに息を殺して壁に耳を当ててみる。
が、用心して室内ばきを脱いでいるのか、聞きわけられるのは物の上げ下ろしや戸棚の開閉の音。 それに開け放してるらしい窓が風でかすかにきしんでいる音が混ざる。
   どうやら今夜決行する気らしい。
 気づいて鋭はわけも知らぬわからぬままに背筋を何かが走るのを覚えた。ゾクッとなった。
なにか、自分と、自分たち三人の一生を左右するような、とてつもない事件が起こりそうな気始まるんじゃないか  !?
予感が身内を走り抜けたのだ。
 マーシャは、彼女は、この間からいったい何を考えてるんだ。
いやそれより、これからどうしようとしているのだろう?
鋭はぐずぐずしている暇がないのを思い出してベッド寝台の上に体を起こした。
振り向いて、反対隣のベッドに寝ている雄輝(ゆうき)の背中をつつく。
トン。トントントン。
 雄輝の方で指定した約束の合図である。
  就寝時間から午前一時までは雄輝俺が不寝番をする。それから朝までは勘が非常にいい鋭の方が、何か起きればすぐに目をさます覚悟で壁際のベッドに移る。で仮眠するしてろ……。
しかし一向に目をさます気配がないので、
 鋭はもう一度雄輝を突つこうと腕を伸ばした。かどうしようかとためらった。、一旦伸ばしかけた指をまた止めた。
これで気がつかないようならお手上げだ。
下手にゆすったりして寝ぼけ声をたてられたら、鋭同様五感の発達したマーシャ真里砂(まりさ)には、様子をうかがっていた事がすぐにばれてしまうだろう。
 ゴソリ。
鋭の指が動きかけた丁度その時、雄輝の体がごく自然に寝返りを打った。
両目を開け、既に目を覚まし、その顔んは驚いた事に一片の眠気の陰すらの形跡を見せない。すらない。
 「  どうした。何かあったのか」
声帯をまったく使わず、口唇だけ動かして雄輝が尋ねた。世に言う読唇術という奴である。鋭がまだこの方法に慣れていないのを知っているので極くゆっくり唇を動かした。
「マーシャが今夜決行する気らしい。  だけど、なにを、だろう?」
  さあ、な。」
 真里砂とは6年越しのつきあいの、幼な慣じみ幼馴染みで、かつ一人っ娘の彼女の兄貴変わりでもある雄輝は、鋭ほどさほど不安を感じていないのか、さして鋭ほど深刻な顔はしていない。
ヒョイ、とかがみこんで、ベッドの足元からかねて用意のリュックサックを持ち上げた。
<行くぞ。非常階段用のはしごから先回りしてどっちへ行く気か確かめよう>
鋭もうなずいて彼に続いた。
 
 
                .
 
 朝日ヶ森の森のはずれにある有澄夫妻の別荘には、現在子供たちが三人だけで暮らしている。国家間の情勢変化の激しい時節に、外交官である有澄氏は、2週以上の休暇を取ることができなかったのだ。
 が、愛娘の真里砂/子供たち三人に全幅の信頼を置いている夫妻は少しの不安も持ちはせず、夏期休暇に入ると同時に帰って来た真里砂と、後見役を引き受けている二人の少年  親友夫妻の遺児・翼雄輝(つばさゆうき)と、縁あって二月前に戸籍上の息子となった清峰鋭(きよみねえい)  を引き連れてこの夏期休暇に入ると同時に寄宿舎から帰って来たところを出迎えて、そろって別荘へやって来ると、10日間のサマータイム  を存分に楽しんだ後には自分たちだけでさっさと二人だけで引き上げて行ってしまった!
そこで一つ歳上の雄輝と、同い年・12歳の真里砂と鋭の名物三人組は、そこで残された三人  愛娘の有澄真里砂と、有澄氏の親友夫妻の遺児で、13になった翼雄輝。それに真里砂と同じ12歳の、縁あって二月前に引き取られた混血孤児の清峰鋭  毎日毎日釣りに行ったり急流でスリルのある泳ぎを楽しんだり。有澄夫人の素晴らしい蔵書類に手当たり次第に読みふけったり、気が向けば自転車で半日かけてふもとの街まで本を仕入れに出かけもした。
決して放縦怠惰にはなり得ない、真実自由で躍動的な、素晴らしい夏休みに毎日を送っていたのである。

 しかし、一見気ままに思える日々の裏側では、潮が満ちるようにていくのと同じ秘やかさで、確実に何かが動き始まりつつあった。そして、その『何か』の中心にいるのは真里砂であり、おぼろげながらもそれを理解できていたのも、やはり彼女自身だけであった。
 
 「……やっぱり森の奥に向かったな。」
真里砂が姿を消した方角    を見つめながら雄輝がつぶやいた。
「え、じゃあ雄輝にはマーシャがどこへ行こうとしているか見当ついているのかい?」
「うん?  いや。具体的などこにってのは俺にもわからない。それより受信追跡器の調子はどうだ」
「感度は良好。だけど短時間で作ったシロモノだから持続性の方は保証できないよ。  おまけに距離もわからないと来てる。」
 科学狂のIQ400鋭になら、もっともっといくらでも立派な受信機装置を作ることができたのである。  ただ、雄輝が時間さえ十分にくれていれば。
だが、一度制作にとりかかったら最後、外界俗世のことなど一切忘れて没頭してしまう、根っからの気違い博士(マッドサイエンティスト)タイプの鋭よりも、はるかに実際的にできている雄輝は、鋭の不平など気にも止めなかった。には耳も貸さなかった。
 「どっちみち距離なんぞ問題にならないさ。あいつがこの森の中に踏み入ったら、まず足の速い野生動物でない限り追いつけない。それよりマーシャが見えなくなってから5分経った。出発するぞ」
「ちぇっ!」
鋭は大げさに舌打ちして、受信器を右手に持ち変えた。
古懐中電灯の筒を容器に利用してあるそれは、ある一定の方向に筒先がぶつかると、小さくチカチカ、と明滅する。
 別荘の北側へまっすぐ進むと、まだしばらくは温帯性落葉樹の混じる雑木林が続く。十五、六分も歩くと、川が東から南へ直角に曲がっているところにぶつかった。
幅約5m。深さは流れが激しく渦まいているので計測不能。
登山用地図にも名前は載らない川だが、土地の昔話(むかしがたり)伝承によれば銀白青川(ぎんびゃくせいがわ)。またの名を物忘(ものわする)川とも言う、様々な伝説のある不思議な川である。この川はこの急な曲がりを経て、大きく屈曲し、別荘のすぐ西をとうとうと流れてゆくのである。
 鋭と雄輝は黙々として、川曲がりのすぐ上手にあるつり橋を渡った。
川の対岸よりいよいよ本格的な大森林が始まるのだ。月に照らされた木々のこずえが、くっきりと天蓋に浮き上がっている。
奥の沼へ三日と開けずに釣りに出かけているのだから、それでもこのあたりはまだ下枝をはらった簡単な道がついているし、かなり物慣れた場所と言ってもよいのだが、よく、下枝をはらっただけの簡単な道もついている。それでも月の明るさの谷間の闇にはさまれたが、闇に沈みがちな森の細道を二人きりでたどってゆくのは、やはりかなり頬がこわばる所業だった。気力がいることだった。
 「なあ」
奥の沼の脇を通り抜ける時、森のふちのところで川を振り返って、雄輝が精一杯冗談めかした口調で言った。
「ここへ夜来るのはなにも初めてってわけじゃないが……、今夜は特に水魔でも出そうな雰囲気じゃないか?」
鋭は『水魔』という言葉を聞くと、頬をこわばらせて右手の沼地にちらっといたとたん、びくっとなって後ろに視線を走らせた。
雄輝が言うとうり、不気味なほどに青白い月の光に照らされて、を反射して、川は妖しい輝きを放っている。
「非科学的だね」
視線を無理にそらしてそちらの方を見ないようにしながら、鋭は精一杯の虚勢を保とうとした。
「立ち止まってないで早く行こう。マーシャの発信器が有効圏外に出てっちゃ……」
バシャリ! と水のはねる音。
雄輝は瞬間的に飛びすさり、鋭はとっさに振り向こうとして、二人ともバランスを失ってひっくりかえってしまった。
しかし、それは単に魚が一匹はねただけの音だったのである。
 その事に気がつきづき、お互いに相手も恐ろしがっているのだという事実を知った時、二人は怖さも忘れて顔を見合わせたまま、思わず知らずのうちに声をあげて笑いだした。
 「なんだ、雄輝も怖がってたのか」
 「コンピューターでも暗闇は恐しいってわけか。ええ、おい」
あはははは………………。
 笑い声が闇を、どんなサーチライトよりも鋭く切り裂いてしまった。
 
 
 
 
 
   二、序章
 
 「ねえ雄輝、気がついたかい」
森の中へわけ入ってしばらくしてから、沈黙を破って鋭が話しかけた。
「あん?」
先に立っていた雄輝が軽く振り向く。
「この道……多分マーシャがつけた道だね。」
 鋭の言う通り、二人は今道を歩いていた。
道なき道を歩く覚悟で森境のやぶに氏を踏み

 
 
           (未完☆)

 改訂事項リストアップ

◎「赤い月と黒の山」風にさりげない巧みな書き出しを考えること。

◎真里砂を、もっと真里砂らしく描く事。

 12歳

 
 序章

「ねえ」
森の中の道なき道を四苦八苦わけ進みながら鋭が言い出した。
「転入して来て以来、君らとはずっとわけのわからない事にでも付き合っているけどさ、事がここまで来た以上……自分が何のためにこんな真似やってるかくらい教えてよ。」
ん? と言う風に雄輝が軽く振り向いたのが、暗闇の中でもなぜか鋭にははっきりわかった。
雄輝は先に立ってガサゴソ木々の下枝を押しのけながら、しばらく何かに考えを巡らしているようだった。
「う……ん、そうだな。もう話してもいい頃だ。
  真里砂の髪が緑色だって事は知ってるんだな?」
……「うん。転入して一月たった頃に本人から聞いた。」
 やっぱりあれに関係する事だったのか、と鋭はうなづいた。
「その他の……たとえば奴が養女だって事なんかは?」
「いや……知らない。本当?! うそだろ?」
……「よし、それじゃ俺の知ってる限りの事は全部話してやるよ。」
 雄輝は話し始めた。
 
       ×       ×       ×
 
「今を去る事 丁度6年前、有澄の小母さまは結婚後4年も待ってた赤ん坊赤ちゃんを、“母体に危険”て事で中絶しなけりゃならなかったんだ。
で、それだけなら良かったんだが、その後  婦人病の一種だと思う  にかかっちまって、子宮摘出術を受けたんだな。つまり、今後子供が産まれる望みは全くない。
小母さまは知っての通り無類の子供好きだろ? 自分のせいで育ちかけてた子供を殺したっ、て罪の意識とあいまって、ノイローゼ通り越して半発狂状態になっちまったんだ。
 そんな時、療養に来たのが、ほら、この朝日ヶ森の別荘だ。
小父さまは大事な忙しい時期に仕事休んで半年間も付き添ってたんだぜ。
で、ある日、10月の9日ン事だな。夕方から予報にはまったくなかった大暴風雨大雷雨が始まったんだそうだ。ま、季節柄それ程不思議な事もないと思うが……。
その頃俺は丁度親父たちにくっついてヨーロッパ行ってたからその嵐の事はよく知らないんだが、ちょっと異常と言える程ものすごかったって言うな。
とにかく突発的極地的異常気象的大嵐は、丸一晩暴れまくると、次の朝にはあっさり虹まで置いて引きあげていっちまった。
 問題は、その嵐のおさまる少し前、10日未明の3時半。寝つかれずに一晩夜明かししていた小母さまとそれに付き添ってた小父さまとが、稲光の中で川からはい上がろうとしている女の子を見つけたんだ。
推定年齢6歳。見なれない奇妙な服を着て、髪の色は緑だった……。」
「それがマーシャだね?」
「……まあ聞けよ。その子供は小母さまに助け起こされるなり気を失ったそうだ。全身傷だらけで高熱をだして、三日三晩昏睡状態が続いた後、目を覚まして、ああよかった、さあ身元を聞きましょう……と思ったら、その子は日本語を話せなかった!、いや、日本語どころか、現存する地球上の言葉はどれも解らなかったんだな。
いいか? 言語学博士号を持ってる小母さまがそう判断したんだぞ。
 さあ、緑色の髪の上に言葉が通じないと来ては、うっかり警察に届け出るわけにもいかない。
おまけにその子の世話を焼き始めた途端に、小母さまの精神状態がすっかり復調しちまったんだ。
小父さまとしちゃ、小母さまの情が移り過ぎた時の事を心配しながらも、どうすることもできやしないだろ?
で、人目がない森のど真中で暮らしているのを好都合と思ってうことにして、とにかくその子から事情を聞きだせるようになるまでは、手元に置いて世間には隠しとくことになったんだ。
 もちろんこれがマーシャなんだが、奴は知っての通り、こと語学に関しちゃ人間離れした勘の良さを持ってる。一ヶ月でだいたい正確ななんとか日本語をマスターものにしちまった。
……まあ小母さまの教えかたが良かったせいもあるとは思うが……。
で、一ヶ月して改めて素性を尋ねたら、何て言ったと思う。けろっとして、“記憶がない”、って言ったっていうんだ。そこのいきさつはよく知らないんだがな……。


         (若宮)   .
 
       ×       ×       ×
 
 雄輝が口を切ってしまったので、鋭はしばらく話が再開されるのを待っていた。
が、雄輝の方は勝手に物思いにふけってしまって、なかなか話が続きそうにないので、「それで?」と鋭の方からもう一度尋ねた。
「それでって?」
「記憶がないって答えて、それからどうしたのさ」
  ああ、後は簡単な話だ。マーシャは行く所も帰る所もない。小母さまは迷い混んで来た子供を手離したくない。小父さまは彼女が明るさをとり戻すためならなんだってやったろうし、彼自身子供は欲しいしマーシャは気に入った。
 となりゃ話は速いだろ? 小父さま小母さまはマーシャを“天から降って来た”子供だと思う事にして黒髪のかつらを作り、一ヶ月遅れてで警察に届けた後、あらためて養女としてマーシャを引きとったんだ。
幸いマーシャが“マ・リシャ”って自分の愛称覚えてたんで、あて字で有澄真里砂って名前にしてさ。」
「ふ〜〜ん」
「で、小父さまの任地がちょうどヨーロッパ方面に変わったんで、休暇の時なんか、よく俺たち一諸になったんだよな。その頃からあいつとは結構仲良かったんだが、三年前に親父とおふくろが殺され……と!」
 雄輝は慌てて口をふさぎ、ちらと気遣わしげに鋭を見た。
鋭の方はとっさにお得意のポーカーフェイスで、しゃっと表情を押し隠す。
知りたい事を探ろうと思ったら、まず興味がない振りをするに限る。
……案の定、雄輝はひっかかった。 ほっとして再び話し始める。
「親父とおふくろが死んで、小父さまたちにひきとられたろ俺。以来三年間は毎日ほとんど一諸に過ごしてるからな、あいつの性格はだいたいわかる。
鋭、おまえマーシャの友達に対する態度見てて何か気づいた事ないか?」
「、え  …うん。おかしいと思ってたんだけどさ、“一番の親友”てのを作りたがらないみたいだね。だれとでもよく話すし、明るいし、親切だから、彼女と親友になりたがってる女の子って  男子もだけど  多いのに、マーシャはなんだか言い寄って来る連中同志をくっつけちゃう趣味でもあるみたいだ。」
「ああ。さすがに鋭だ、やっぱり気づいてたか。あいつも昔はもっと素直だったのが、2年前からあんな風になったんだ。  っても、具体的にどう変わったかは説明しないとわからないな?か?」「うん」
……「二年前まで、つまり奴が地球に来てから四年たつまでは、あいつはいつもものすごく素直で、記憶のない、自分の素性も覚えていない人間だとはとても思えないほど、自信に満ちてた。
小母さまに連れられて初めて大人だらけの社交場に顔を出したのが、確かあいつが8つの時だったっけが、居並ぶ各界のお偉方相手に一歩も動じる所がないんだな。
ガキが無理に背伸びをしたって感じじゃなくて、ごく自然に対等に話ができるんだ。堂々たる気品というか威厳めいたものまで持って生まれてた感じでな、まるでどっかの小女王って顔ですらりと立ってるんだ。さすがの俺もいささか気押されたね。で……
そのパーティーの後で俺はマーシャに聞いたんだよ。真面に、
『おまえ本当はどっか別の世界から来た王女かなんかで、記憶がないなんてうそなんだろ』って。
そしたらなんて答えたと思う。
『わたしは本当に自分の事は何も覚えていないけれど、自分がそうなるべくして記憶を失っているのだという事はちゃんと知っているの。』って、『だからよけいな事に気をまわして、やたらあせる必要は一切ないのよ。  いづれ“時”が来れば、全ては、なるべきところへ行くはずだわ』。
 自信満々な即答だぜ。すごく率直に思った通りの事をさ。
今はそんな事めったにないだろ?
無論、あの頃は進んでいくらでも友達を作ったし、他の奴から好意を示された時に適当にはぐらかして逃げちまうような真似もしなかった。」
 「二年前から  ? 様子が変わったのが?」
「ああ」
「何があったんだい」
「何も。」
「なんにも?……?」

(☆シャーペン描きで清峰鋭と翼雄輝の顔のイラストあり)

「これはあくまでも俺の推測なんだがな」と雄輝は続けた。「問題は2年前じゃなくて、マーシャが記憶を失ってから4年目、って方じゃないかと思うんだ。ほら、マーシャが縁起をかつぐ時、よく4とか6って数字にこだわってるだろ?」
「うん」
「思うにあいつは自分の素姓をまるっきり知らないわけじゃない。少なくとも自分がどんな所から来たかくらいは覚えてるはずだ。  たぶん、地球の上じゃあないぜ  
なぜって奴は言葉は覚えてるんだし、記憶喪失者って普通バスに乗ったり買い物したりはできるだろ?
たぶん、4年目がマーシャの言ってた“時”だったんだ。
ところが4年目に起きるはずだったなにかが起きなかった。
鋭。そしたらおまえどうする  ?」
「原因を突きとめる」
  だろうな。そしてマーシャが待ってたなにかってのは、多分、自分の生まれた所へ帰る事だったんだろうと思う」
「バッカバカしい。かぐや姫みたいに月からお迎えが来るってのかい? さっきっから聞いてりゃ、まるでマーシャが人間でないみたいじゃないか。」
「じゃ、おまえ、“科学的”に考えてみて緑の髪の地球人種がいるって言うのか?」
「……う……」
「まあ俺の言う事を信じろよ。おまえは科学万能主義だから無理もないが、6年つきあって来た俺の言う事だ。
事、奴に関する限り、何があろうと俺は驚かないね」
「やれやれ」
鋭は肩をすくめて苦笑いした。
「僕にも慣れろっていうんだね?」
「そういうこと」
 二人は、同時に笑った。
「で、とにかく俺は、奴がやろうとしている事は、何とかして自力で故郷へ帰る事らしい、と信じてる。
だからこのとんでもない森の中を、夜の夜中に後つけて歩いたりしてるわけさ」
……「でも、いったい何のためにさ雄輝…………?」
 
 
(☆シャーペン描きの雄輝の顔のイラストあり。)

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