発心(ほっしん)、というのだろうか。その他火(たひ)に出(た)つべきときが私を訪れたのは、涼気をよぶ亜熱帯の月がわずかに欠けを見せる、季節のはじまりだった。
 てばやく荷をまとめ、村をたばねる老にだけ出立を告げて歩きだす。眼下の斜面でもう夕刻だというのに、ひとり鍛錬にはげむあいつの姿があった。
 彼が負かしたい相手はしばらくいなくなる。永遠に、とあるいは言うべきか。今度の旅がかなえば、私はきっと異(ちが)うのだろうから。
 ……怒るだろう。
 まして黙って去るならなおさらだ。これまで私はいつでも、武者修業に足がおもむく前にはあいつに断わりを入れていた。
 あいつが、私にたいしてそうするように。
 


 ……知ったら、どうするだろう。

 あるいは、運命が異れば、夫としたかも知れなかった相手の顔を思い浮かべてアマラーサはくすりと笑った。
 あいつの反応などいつでも手にとるように判る。
 蓬髪の仙戦士。
 そこ抜けに陽気で単純明快な……。

 愛しているよ。

 けして相手は知らぬそのことを、ひとり、胸のなかで呟いてみる。……女として、男を。

 それでも自分は選んだのだ。

 短かいこの旅が終われば、彼女はすでに人外の存在、不可侵なる月女神につかえる聖巫女戦士となる。




 『月仙譚』

 郷戦士 戦師
 剣策士 仙士
 仙戦士 仙女士
 女仙士 月媛
 仙者  聖戦者
 選戦者 巫女戦士

 ……言わずに出てきた。
 さぞかし、本当に、怒って拗ねるのだろうなと、笑う彼女につられるように野営の火花がはじけ、姿をあらわした最初の細い月が静かに荒野を観ていた。 


 神
 |
 聖
 |…………
 尊 >
 | > ここまでは「人界」に属する。
 仙 >
 |…>……
 貴 > < 以下、「俗界」。

 
 ヴァラン ヴァラン …
 慈弦のひびきの最後の調律。
 バルララン! バルララン!
 龍琴の音の力強さ。

 ほら貝が天に哭く。
 地をもゆるがす鼓の波音(プァルラ)
 楽人の声たからかなる、
 讃えよ! 今日のこの日を。

 
 
……《碧天(フェンテル)》王家の七恋歌 ……
− あるいは、星よりきたる青銀の船のこと −

  口上 ・ 剣士にして吟遊詩人 …… 一、
  一の歌・ 星華蘭の雅歌

  星華蘭 − ひともとの花にまつわる雅歌(うたがたり) −

 まえの村で売られようとする薄幸な孤児(こども)たちのために有り金ほとんど投げ出した。その結果がこれである。

 「財華の入市税はひとり七ソル(銅貨)。一年前にはそうだったはずだが」
 憮然として腕を組む男は徒歩(かち)での長旅に汚れた姿に長剣を吊り、荷駄の一頭も連れてはおらぬ。
 市門を守る兵たちはあからさまな表情を浮かべて逆手に槍を構えた。
 「あいにくと昨秋の祭りから、ひとり三ラソル(銀貨)になってな」
 「暴利だ。財華は自由な商いが自慢の都邑(みやこ)だろう」
 「さればこそ、食いつめ者など市(いち)には無用、治安が乱れるだけとの、大公様のおおせよ」
 紋章をカサにきて言いたいことを口にする。富裕な都に雇われるだけあって腕も確かであろう衛兵隊は数も多いし、片手で黙らせて押し通るというわけにも行かぬ。
 「〜〜〜〜っ。やつの言いそうなこったぜっ」
 もとより知り人のいる街で無用な騒ぎを起こすのは本意ではないのだ。そうこうするうちにもうしろに検門の順番を待って、行列ができはじめる。
 どうする? と、まだ若い旅の戦士は背後の連れをふりかえった。
 若い、女である。
 こちらもわずかばかりの荷を背に負って長剣と小弓をたずさえただけの仕度。
 ほこりと陽光をさけるためか薄布をまぶかくかぶっているが、均整のとれた長身の肢体といい、かいま見える切れながの黒瞳といい、兵たちの関心をひくには十分にして過ぎる。
 その、まれにみる美女と二人連れであることで自分への風あたりが余計にきつくなるのだとは、呑気な本人は気づいてすらいないが、女の方にはしっかり自覚がある。
 「金はないなら作ればよいのであろう?」
 苦笑を秘めたまなざしで問い返すその指には、ごくごく小さな銀づくりの竪琴がいつのまにか握られていた。
 「放たれた故郷とはいえ我らは本来《谷》の民。ひさびさに伝来の技で生計を立てても路銀を稼いでも、バチはあたるまいと思うぞ」
 とたんに男は嫌そうな顔になる。
 「戦士たる身が大道で、歌舞で路銀を得るとはを売るしかないとは情けない……」
 「それを私に言えるのか、おまえが?」
 剣の技倆においては彼女のほうが格段に上である。
 「オレに唄わせるつもりか?」
 「当然だ。よい声なのは知っている、隠すな。

  ……そうだな、せっかく二人いるのだから……、『星華蘭の雅歌』がいい。覚えているだろう?」
 「おい、待てよ、オレはまだやるとは……!!」
 連れの抗議など黙殺して、さっさと歩き出した女戦士は城壁を背にとって隊商たちと向かい合う。
 「お聞きのとおりの故(ゆえ)にてかたがた、吟遊詩人の最初の一弦、一刻ばかりのお耳よごし、御容赦願いたい。
  ……それは昔の物語。西のかたなるアルヴェの岬に《碧天》(フェンテル)という小さな国があり、」
 和音。旋律……前奏。
 しょうことなしに唄いはじめた青年の声が青空のしたに広がった。


 

 星妃香蘭
 星銀の星船

 天碧き星よりの歌
 天碧き地の者たち

 尊貴真扉
 東木真土


 斎 真扉
 朝 真扉
 東輝真扉
 尊貴真扉
 
 

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