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 善野(おおの)市立第二中学、略して〈二中〉(にちゅう)の沢木
民彦(たみひこ)は社会科教諭で、同じ学校の体育科には双子の弟・邦彦(くにひこ)教諭も勤めているために職員室ではもっぱら民彦先生で通っており、元気の良すぎる一部の生徒たちからは最近ほとんどタミちゃん呼ばわりだった。

 対する邦彦は同じ顔でもオニヒコ扱いで、とりわけ顧問を務める武道系部員からはひたすら畏怖されて崇拝さえされている。

 僕はいまいち貫禄が足りでやぃと本人苦笑しながらも、生徒たちに慕われて楽しく天職にいそしむ民彦の毎日だった。
 
 
 沢木はいちおう善野では最も古いとされる家柄〈八十一家〉(やそかみや)の一員で、本家の名字は〈簑作〉(さわぎ)と書く。その血縁(ちながる)の、長男(かみご)である。

 放課後の職員室に民彦を、ある日ふらりと訪ねて来たのは善野郷土史資料館のヌシと称して親しまれるゴマ塩あたまの人物で、ほかの用事のついでのように、出された渋茶を飲みほしながら席をたつ最後になって、さらりと本題を伝えていった。

 「今年(えな)も(ま)懲(こ)りでやぃ《御々十三斎》(ごみそみそい)な禁やうでぃな、出(い)ゆるやぃ」

 ニヤニヤ笑いの人の悪さは、その昔けっこう悪名高かった沢木の双子も同じわるさをやらかして、当時の〈警護衆〉(しめごし)に厳しくとっちめられた事実を、まだちゃんと覚えているからだろう。

 〈掟破り〉(きんやうでぃ)の出ない年など実はほとんどないぐらい、それは善野の伝統の、血気盛んな子供たちならではの、冒険なのである。

 本当のところ、大人たちは毎年の騒ぎを心待ちにして、はては密かに煽ってさえいるという事実を、純真な子供たちは一向に預かり知らない。

 今年注意するべき相手は民彦が担任しているクラスの誰それと名前を挙げられて。

 最近ようすがおかしいのは薄々気がついていた民彦は、「やっぱりそうやらし?」と、苦笑しながら監視の役目を引き受けた。
 
 
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 その民彦の受け持つ一年三組には、別の意味での問題児が、もう二人ばかりもいるのだが。そのうち一人の名前を杉谷好一という。

 入学式にも出席しないばかりか、新学年が始まって以来一度として中学校に顔を出さない生徒の家に、今日も留守番電話のメッセージを入れながら、民彦はぐちぐちとぼやいた。

 「なぁんで俺ばっかり……」

 貧乏クジが大挙して押し込まれているクラス編成を見た時には、彼は思わず天を仰いだものだ。

 毒をもって毒を制すと学年主任は言ったが。

 もっとも一学年四クラスのうち、他の担任がたは定年間近で持病持ちの老人と、九月に出産予定の女性、初めて担任を持った新米という取り合わせなんである。

 「俺って職員室でイジメに合ってるって思わねぇ?」

 「どうせ俺が手伝うのが解っているからだろうが」

 邦彦は、小テストの採点を手伝ってやりながら、笑いをこらえて応じた。

 首都圏の予備校の寮に一年間と大学・大学院、二年ほどの留学も含めて合計十年ほども野外で過ごした沢木の双子の会話は、二人だけの時にはすっかり標準仕様となっていた。

 「ほれほれ、さっさと家庭訪問に行って来い」
 
 
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 その少年が夕方になって家に帰って来ると、見知らぬ男が応接間に上がり込んでいた。

 「おにぃーチャン、オキャックさぁまだ、よぉ」

 どうも自分の影響で男言葉の日本語を覚えてしまいつつあるらしい妹が、タドタドしい発音で苦労して言いながら、お茶の準備をしている。

 「……ユミ、オレの居ない間に知らないヤツを家に上げるなと言ったろう!」

 警戒心から、つい声を荒げると、

 「? ガッコのセンセだてぇ、言ってるよ?」

 白い指で紅茶の葉を数えている、その動きを止めて怪訝な顔をした。

 「教師だからって子供に手を出さない保証があるか? レイプでもされたらどうする!」

 おいおい……、

 アメリカ育ちでかなり悲惨な経験もして来ているとは噂話に又聞きしたが、聖職者とさえ呼ばれる身分でいきなり童女強姦魔にされては割に合わないぞと、肩をすくめる民彦であった。

 「ほれ今日は土産つきだ」

 ケーキを差し出されてゲーっ。

 しかもこの銘柄は確か妹がマズイと言っていたやつで。

 「お兄チャンの、お客様よね?」

 自分はまじめに学校へ通っている妹は、兄の不登校については別に何も言わないが。

 甘いものなど大の苦手と知っている妹に、ニッコリ笑って皿の上のケーキを差し出され。

 番茶とはしでもって無理矢理流し込む好一なのであった。
 
 
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 なんでこんな目に合わねばならんのだ! と父親の陰謀に憤る。

 この市にある秘密を捜せと言う。見つけて、なおも日本に興味が持てなければ、帰国するなりどこかへ留学するなり、好きにすれば、良いと。

 慣れない日本語の学校で苦労している妹を見て、早く謎を解いてしまわなければと、内心の焦りを抱いている彼なのだった。
 
 
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 その時の杉谷の顔を思い返しては笑いを堪えつつ、これは美味しいと定評のある地場産のミルクプリンを購入した民彦は、次いでもう一人の登校拒否児の家へと向かった。
 
 
 善野学園の代々の外国人講師のために用意されていると言う官舎の一つ、善野の景観の名物でもある古風な洋風建築のそれは、二階建てで、木造・石積み・赤レンガと無秩序な建材でもって増改築を重ねたらしい奇妙な外観で、前庭の木立になかば隠されて、表の砂利道からは隔たっている。
 
 その玄関口に辿り着くと、取り替えたばかりと覚しい新品の青い引き綱に、「御用のあるかたは、この紐を引いて下さい」と、丁寧な手書きの木札が下げられていた。

 言われる通りにしてみると、ドアの内側でかなり大きな呼び鈴の鳴る音が、カランコロンと賑々しくも華麗なリズムを奏でる。
 
 

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