☆

 その話は、戦後まもなくに遡る……。

 過労により脳梗塞で早逝した壮一との跡を継いだ、ここ数十年で飛躍的に事業を拡大し、法すれすれのきわどい商法でもって成り上がった杉谷貿易(株)の代表取締役は、好一の父親である良一だった。
 この町の中でも、ひどいスキャンダルを起こしたのは、十年近く前になる。
 杉谷グループの強引な攻略に負けて買収の憂き目を見た、おなじく八十一家の一員である栄田商事は、しかし当初は、外界の他の会社に吸収合併されるよりは同じ野者の杉谷のほうがと、楽観的に考えていたのである。

 栄田は会田の分家に当たり、それだけ主筋の間に近い。
 けれど借財の取りたては苛烈を極めるほどで、苛瞼誅求とさえ称された。
 「裏切りもの!」と、この対応は、野者から糾弾されることになる。
 時代の流れについて行かれずに酒に依存する傾向の強かった、栄田の当時の若社長であった御曹司は、身代のすべてを奪われると知って逆上のあまり。
 猟銃を持って杉谷の留守宅に押し入り、まだ幼い二人の子どもをタテに取って、要求を遠そうとしたのである。
 善野という土地の閉鎖性に甘えた行動では、あった。
 
     ☆
 
 好一が、覚えているのは深紅。

 にんげんが、ぐちゃぐちゃになって壊れてしまった、そのおと。

 倒れる、さっきまで生きていたもの。

 狂乱の叫びをあげる、その、連れ。

 「きー……、きさまぁ……っっ!」

 ナイフを持って五歳の子供に突きかかって来る男が。もはや正気だったとも思えない。

 再び銃の引き金に指をかけた子供は、妙に冷静に、相手の腹に狙いを定める自分自身を見ていた。
 
 
 「大人しくしろ」

 そのころその家には鍵をかける習慣はなかった。南に面したフランス窓から、覆面をした男たちは、ある日とつぜん押し入って来た。

 わずか三歳の妹が泣きじゃくるからと言って壁にぶつかるほどひどく蹴りつけられて。

 自分の悪行も大勢から恨みを買っている事も自覚していた杉谷良一の子育ては苛烈を極め、当時五歳に過ぎなかった息子にも、すでにして一通りの護身術や武器類の扱いを教え初めていたほどで。

 (もともと良一自身が警護衆の中でも腕利きの戦士であった)。

 子供ながらに明確な殺意があったのか、それとも脅してみようというだけの子供らしい無思慮な行動だったのか。

 「ユミ、目ぇつぶってろ!」

 父親の手入れするのを見慣れていた猟銃(違法改造の散弾銃)を打ち放した好一は、悪質な誘拐犯を自ら撃退した英雄では、あったのだが。

 いまだ血まみれで遺体も転がったままの自宅に急を聞いて駆け戻った父親は、妹を守って戦った息子を抱きしめ、よくやったと誉めた。
 
 
     ☆
 
 
 五歳の子供が殺意を主張したとて外界の法に照らせば罪に問われるはずもない。しかし人の口に戸はたてられず、狭い善野にこれ以上は、住んではいられなくなった。

 ちょうど世界市場へ打って出る計画中を進行中だった父親につれられて、アメリカへ渡って行って十年近く音沙汰もなく、旧藩時代の士族の邸宅が集まる住宅地のさなかにあって、杉谷家の本邸は、なかば幽霊屋敷と化していたのだが。

 何を考えたのか、昨年の秋にひょっと兄妹二人だけが、市外で雇った住み込みの家政婦を連れて戻って来て住み始めた。

 アメリカで敵を作りすぎて家族の安全を慮んぱかったのだとも言い、恥知らずにも御々十三斎に参加させようとて送り戻したのだとも言う。

 明確な敵意を持つ旧・栄田系の親族と、どう対応したらよいか判断しかねる他の氏族の曖昧な黙殺の中。

 わずか三歳で母国から切り離されて日本語さえおぼつかない妹は、しかし本人には全く罪もない事とて、小学校ではぼちぼち受け入れられていると聞く。
 
 
 問題は、みずからの意志で殺人を犯したと、五歳にして大人に負けず冷静に主張していた兄のほう、その天才が善野の基準で言えば大罪人である良一にうり二つだとささやかれる、好一なのだった。
 
 
     ☆
 
 
 (栄田は経済優先策で善野の自然を脅かした。軍部への積極的な協力、杉の植林、化学染料による染色工場の建設で、日の代川の汚染)。

 やそかみやは感情的なことは各家で判断せよ。このかみやは別の考え方と立場がある。
 
 
 
     

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索