アンダーヘルへようこそ
             土岐真扉(とき・まさと)
 
(あらすじ)
 
 最終戦争の後、千年にあまる時代が流れた地球。地底深くに埋設されたシェルター都市で細々と生き残った人間たちは、自分たちの暮らす空間を「地獄(ヘル)」と呼んでいた。
 その「地獄」でさえ生きることを許されず、人口の減少とともに使われなくなって久しい更に下層の「地獄の底(アンダーヘル)」へと、惨殺されて、あるいは生きながらに遺棄されていく、ストリートの浮浪児(こども)たち。
 
 ある時、その群れに紛れこんだ白髪の少女ディーは、幼い頃には「地獄」の外、「大地(アース)」と呼ばれる広大な空間で、幸福に育った記憶を持っていた……。
 
 実は地表では、既に生き残った人類による文明が復興し、惑星とその周辺に浮かぶ多数のコロニーまでが統一されて、地球統一連邦(テラザニア)と呼ばれる政府による新しい理想的な時代が始まっていたのだ。
 それを知りながら、しかし閉じ込もって暮らしてきた長年の特権を失いたくないが為に、「天井の上(ヘヴン)はいまだ死の世界。出て行っても何も良い事はないぞ……」と、偽りの情報を市民に流し続ける「地獄」の支配者たち。
 開国を勧めに訪れた使者を人質にとられて、連邦政府は今のところ手も足も出せない状態だった。
 
 ディーの落ちてきた地核変動による亀裂を逆に辿り、「大地」の上へ、そして宇宙空間へと、生きて脱出を果たす子供たち。
 
 ……のちに地球系開拓惑星連邦(テラザニア)の星間警察において、〈最年少の女神=ミニマム・ディーヴァ〉と讃えられる事になる、少女の成長の物語……
 
 
 
一、アース
 
 街の名門であるミニストラエ家の総領娘として、仲睦まじい夫妻である両親と、その双方の祖父母に伯父や叔母たち。すべての愛と期待に包まれて、その赤子は生まれた。
 黒い豊かな髪に、明るい赤褐色(ティー・ブラウン)の瞳。艶のある焦げ茶色の肌が美しいディヴィニア・ミニストラエの将来に何か不幸が起こり得ようなどと、その誕生の瞬間には、誰ひとりとして想像することも出来ないに違いなかった。
 
 炎上。
 
 「姉さんが、あんな馬鹿な考えになんか、カブレさえしなければ!」
 ヒステリックに叫び続ける女の声には、それ以上の注意を払わず、マデリーヌは、もはやただ一人で遺して去かざるを得ない最愛の娘のもとへと、必死の想いで床を這い渡った。
 血痕がながく尾をひく。
 
 「いいこと、ディヴィニア。お外へ出たら、他人に女の子(ガール)だとバレてはダメよ。……これからは、知らない人から名前を訊ねられたら、〈神の御寵(ディヴァイン)〉と名乗りなさいね。それなら、男の子の名前だからね……」
 
 「母さんを許して。どうか、あなただけは生き延びて幸福になってちょうだい……決してガールだと知られてはダメよ!」
 
 その言葉だけを最後に、背中を押されてディヴィニアは燃え落ちようとする家のドアから強く放り出された。
 わずか五歳で、少女はすべてを失った。
 
 
 
二、ヘル
 
 その子供は、
 
 そしてとうとうある日、子供はオヤ達の手によって、穴から落とされた。

 「どっちが大きい? じゃあ五歳だ」

 
 「……《ゴー・アウェイ》(あっちへ行ってろ)!!」

 やがて子供はポツリと呟いた。
 サールは一瞬ひるんだ顔をしたが、辛抱強く重ねて尋ねた。
 「それは名前じゃないだろう?」
 しかし子供は今にも泣き出しそうだった。何と言われても、「オヤ」たちからそれ以外の言葉をかけられた覚えなど、彼には無かったのだ。
 「……《ゴー・アウェイ》(あっちへ行ってろ!〉……」

 「レッド、何か良い名前はないか?」
 困り果てたサールは参謀格の子供に視線をまわした。
 少年はしばらく考えていたが、やがて重い口を開いて、
 「……《ゴー・ファー》(大物になれ)……」
 サールはニヤっと唇のはしを吊り上げて賛成すると、これからは、それがおまえの名前だと、子供に告げた。
 
 
 
三、アンダーヘル
 
 ある日、そのゴーファーが新しく落ちてきた人間を見つけたと言って来た。
 報告を聞いたサールは眉をひそめて、
 「さいきん多いな。しまいには〈エサ〉が足りなくなるぞ」
 何とはなしにいつも首領の周りに群がっている子供たちはそれを聞いて不安げに互いを見回したが、レッドは肩をすくめると、こともなげに上着を脱ぎ捨てて、
「生きてりゃ使えるし、腐ってなきゃ喰えるだろ」
 そう言って〈海〉に飛び込んで行った。
 拾い上げたのは奇妙な真っ白い髪をしたボロクズのような姿の子供だった。かすかだが、まだ息があった。落とされる前にすでに気を失っていたらしい。水を呑んだ訳でも溺れたわけでもなく、しばらく放っておいたら勝手に目を覚ました。
 骸骨のように痩せ衰えた顔のなかで、紅みの強い茶色の瞳ばかりが、ギラギラと熱病めいた強い光を放っていた。
 「おまえ、コトバはしゃべれるか?」
 「……あ?」
 質問の意味のほうが解らないという意味に、きっちりしかめられた表情を見て、レッドは安堵した。
 このところ手を焼かされていた金髪の赤ん坊をゴーファーからもぎとって、新入りの腕に押しつける。
 「このチビにコトバを教えてやれ。それが、ここでのオマエの仕事だ」
 「仕事……? なに?」
 「その代わり、オレがオマエに泳ぎを教える。自分でエサが取れるようになるまでは毎日、みんなが一口ずつ自分のエサを分ける。
 ……それがここでの掟(ルール)だ。いいな?」
 
 
 
四、ウォーター(沼地(マーシュ)または海(シー))
 
 数日たって〈窯のフタ〉から何かが落ちて来た。サールだった。
 すでに人間とは呼べない形に壊されていたそれが、潮に連れられて姿を消すまでも、消してからしばらくも、誰も〈沼〉には入ろうとしなかった。
 飢えた腹を抱えたまま、放っておけばいつまででもベソをかき続けそうなチビどもを力づくで水の中に放り込んで、
 「自分でエサをとれ!」
 と、叱るレドウィンの姿を見ながら、ディーは一つの決意を固めたのだった。
 
 「……あんた達の女神に会わせてよ!」
 
 
 
五、スカイ
 
 ヘル組とアンダーヘル組とを含めて百数十名にのぼる保護者のない子供達は、それぞれの都市から名乗り出たボランティアの里親たちや、公共の養育機関へと、分散させられて引き取られる事になった。
 
 「オレ、ぜったい頑張って文字も覚えて、手紙って言うのも書くから。オレを忘れないで……。オレの男になってっ!」
 
 「……悪いが俺は変態(ほも)になる趣味はない」
 「なんだとーっ! オレ様は女だーっっ!!」
 
 
 
六、ヘヴン
 
 野蛮な育ちのおかげで培われた、平和な社会で育った連中の水準をラクに上回る、反射神経と、必死のガリ勉の甲斐あって、望みどおり星間警察の刑事となった。
 多忙な職務の隙を見つけては通い続けた男のもと。
 
 「給料の大半と愛のすべては男(レディ)に捧げているもんねっ!」
 「レディは止めろ、レディは!」
 「だって他のやつらと同じ呼び名じゃ悔しいじゃんかっ」
 と断言して周囲に砂を吐かせまくる。
 
 「ボーナス出たからな。……おまえ、指輪はしないと言ってただろう。薬指のやつの代わりにしとけ」
 「……それって……それって……」
 「オレ、嬉しいよ〜っ!」
 
 と、恥も外聞もなく大泣きされて道の真ん中で往生したレドウィンの顔が、それはそれは見物だったと、ぐうぜん目撃したゴーファーは語る。
 
 そのうちアンダーヘル出身者で横の連絡をとって、世間で言う「同窓会」のようなものでも開きたいねと互いに話しあっている。

 それでも時折、アンダーヘルこそが本当の意味での楽園(ヘヴン)だったのだと、ふと懐かしく、彼らは想い起こすのだ。
 
 
 
 
 
 
 
                        劇 終
 
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