広大な宇宙のまっただなかに浮かぶ、巨大な中継所(ストップオーバー)。それは、片道2年に渡る地球  リスタルラーナ2星系間航路上最大の宇宙港(ポート)と、完全自治の学園王国S.S.S(スリーエス)との2局からなる、いわば亜鈴(あれい)型をした構築物だった。
ファーツアロウの地球人留学生団は、まず宙港(ポート)で簡単な人員照合をうけ、無重力地帯である中心部のスリップダウンを利用して、2分たらずでS.S.S.側の玄関ホールにたどりつく。
サキを始めとした中央委員30名を先頭に、一同は厳かに、かつ胸をはって堂々と、そのS.S.S.全生徒の待ちうけているホールの中へと歩みでて行った。
 
 転入式、対面式、歓迎パーティーと、にぎにぎしい歓迎騒ぎの中で、ある一瞬からずっと、サキは、だれかに“視られ”ているという感じから逃れられなかった。
 首筋をつかむような視線を感じて、油断なくあたりを見渡してみても、騒がしさの中でだれ一人それらしい人物は見当たらない。
それでいて、“見つけた”“捕まえた”といった感じの視線が体じゅうはっしりと抑えこんで、息苦しいくらいなのだ。
耐えきれなくなって、サキは早めに歓迎パーティを抜けだした。
疲れたからと偽わると、心配して、サキの憂慮の的だった現S.S.S.生徒会長フォーラが部屋まで送りましょうとついて来た。
 一見して評判どうりの超人としれる彼女は12歳。3年生。実際にはサキと一つしか違わないにもかかわらず、体格、頭脳、対人の折衝など、全ての点で、4つか5つ分は差をつけられているなァとサキは思い、年不相応に大人びた物腰に、9ヶ月前に別れて来た姉、サユリと共通する、一種の冷(れい)らかなふんいきを見出して、深層心理に複雑な波がたつのをふせげなかった。
『なにか一種、離れている。』
と、サキはこう日記に残している。
『ガラス張りの向うから、眠ったままの心で“優しさ”を造り届けているような感じがする』と。
 この時から半年後の中央委員会選挙までの間の、この二人の会長候補の心の経移こそが、後々の悲劇をひきおこすことになるのである。が、これはまだ当分の間表面に浮かんではこない。
  
※ S.S.S.に生徒自治は発達しておらず、生徒会は存在しない。
 
 二週ほどの間、サキの日記にはしばしばフォーラに関する酷評が書かれた。
セイ・ハヤミの事も含めて、S.S.S.に来て以来、急に、他人(ひと)には言うべきでない秘密がふえたサキは、平常のおしゃべりは前にも増してにぎやかになたのに、もう容易に実のある真の心をこぼさなくなって、その分、おもしろいほどのスピードで、“雑記帳”ノートが増えていった。
そんなサキが、ノートを人に見せなくなって、以前の、イラストとだじゃれでいっぱいだった頃からの愛読者たちは、つまらないと文句を言っては、「反抗期ね」とからかったが……
 
 
 
                     (未完)
 
 
に見受けられるサキの様子を、遠くから、より深い領域においてうかがい視ている人間がいた。
S.S.S.名物の教課委員長、通商ティリーさんことティリス・ヴェザリオである。
「……ねえ。」
眠くなって、なんとはなしにpけらっとしているサキのかたわらへ、つつつっと一人の少女がよってきた。
長い黒髪を二つのお下げにした、S.S.S.名物の教課委員長、ティリーさんことティリス・ヴェザリオ。
2級上点つまりヘレナたちと同学年の彼女は、背の低さにおいてサキと張り合っている。

               .
 
 第一章 スリナエロス・ソロン・スレルナン
 
   1.
 
 「推進装置全機停止。ガントリーロック着結。」
「安全(セーフティ)確認せよ」
「全機能O.K。異常ありません」
「よし、メインエンジンストップ」
「メインエンジンストップ!」
「アイ、サー! 出力9000……7000……6000…………200…………0。エンジンストップ」
「ドッキング終了!!」
 ドッキング終了  
この言葉と共に、大パネルに投影された船橋風景にかたずをのんで見入っていた生徒たちは、皆、安全ベルト解除の緑色灯(グリーンランプ)がつくのももどかしく、わぁっと一斉に立ちあがった。
「着いた!」
「着いたわ」
「S.S.S(スリーエス)だ!!」
 まる一年かかって、ようやく留学先であるS.S.S.(リナエロス・ロン・レルナン  リスタルラーナ語で“橋わたしをする”学校)にたどりついたのである。
加速が消えて無重量状態となった船内で、だれかが機密服(スーツ)のヘルメットを放り上げる。
「ヒヤッホ〜〜〜!」
「全員、5分以内に荷物を持って、大ホールに整列〜〜〜!!」
かんだかいサキのソプラノと、セイのテノールが、同時に船室内にひびきわたった。
「アイ・サー!!」
 いきおいつけて宇宙遊泳をやった奴と、まじめに走って行った者とがかちあって、出入口で一騒動おこったが、とまれ全員、時間どうりに集合した。
 「あなたがたの一挙一動がそのまま地球の評価につながることを……」
 「いずれ君たちこそが地球を担う……」
教授たちの一言一言は、短く、はっきりと生徒全員の胸に根をおろした。
彼ら教授連の大半は、S.S.S.にはとどまらない。
このままリスタルラーナ本星まで、更に一年を費やしておもむくのである。
 「一年という短い間でしたけれども、わたしたちの意気込みに応え、熱心に指導していただいて、本当にありがとうございました……」
答辞などというバカげた下書きは抜きで、サキは生徒代表として一生懸命お礼の言葉をのべた。
「健闘を祈ります。」
「ありがとうございました!」
短い一言に生徒全員が心をこめて、一礼すると、生徒会、中央委員会を先頭に、皆次々と憧れの巨大な構築物の中へと歩み入った。
「さあ、これからが本番だぞ」
「そうよ、地球人代表がどこまでやれるか、リスタルラーナに見せてやりましょうよ」
「その意気だ。この一年の特訓であたしたち全員、リスタルラーナの教育水準にちゃんと追いついているんだから」
「追いつけ追いこせ」
「ホント、あとはどこまで自分を磨けるかよね」
「努力あるのみ!」
「オ  ッ!」
アッハッハ    
 ほんの少し不安の入り混じった興奮で、だれもが口々に未来への希望を語りあった。
「1学年、10クラス、300名でしょ? なんとしても上位50位リストにくいこもうよ。」
「なんの。卒業までには総代になってやらあ:
「お  っ! このやろー大きくでたなっ」
 サキもまた例外でなく、ヘレナやセイ、マーミドたちを相手にして、一同の先頭でにぎやかに笑いあっていた。
  自分の身の上にこれから何が起きようとしているのか、その時のサキには予測だにできない事であったから。
 が、慣れ親しんだファーツアロウ船内から出、さすがに緊張からぴんと静かになって、S.S.S.への移乗通路を渡って行く一行の先頭にあって、彼女はだれにともなくつぶやいた。
「S.S.Sの現生徒会長って、人間離れして優秀な人なんだってね……。」
 サキが何を思ってそうつぶやいたものか、今となってはもう知るすべもない。
 
 
                .
 
 1ヶ月が過ぎて、生徒たちが不慣れな宇宙船生活にようやく順応し始めた頃  実ににぎにぎしく生徒会選挙が行なわれた。
開票結果、1位、生徒会長  サキ・ラン。
「うっそお〜〜〜っ!!」
それが知らされた時、サキはひどくすっとんきょうな声を出した。
「あたしまだ1年だよ!」
 次点だった、2級上のセイ・ハヤミも、あ然としてつぶやいた。
  人気投票になっちまったんじゃないのか!?」
実のところ、セイは自分こそ次期会長であると期待していたのだが。
体が小さくて実際年齢よりはるかに子供っぽく見える可愛らしいサキと、『生徒会長』というちぐはぐなイメージをつなぎあわせようとして、ついにこらえきれずに吹き出してしまった。
「アーハッハッハ! ヒッヒッヒィ!」
つられて、まわりじゅうが笑いだした。
驚いたのと、笑われて頭にきたのとで、半泣きになって、ふくれているのは、当のサキだけである。
普段面倒見の良いヘレナまでが、お腹(なか)をかけて笑いころげていた。
   とにかく。
と、皆がひととおり笑い終えたあとで、サキは気をとりなおして聞いた。
「他にはなにをだれがやるの?」
 留学途上の宇宙船ファーツアロウ船内では、ほとんどの生徒がサキたちのいたアロウ・スクールから来ているので、生徒会のしくみもほとんど同じである。
生徒会長と寄宿舎の自治委員長、及び各種委員会の委員長は生徒全体の投票で選出され、構成委員は各クラスごと。
副や書記・会計などや生徒会長ならば生徒会新聞部長も含めて議長なども含み、長になった人は自分の補佐役を自分で選ぶことになっている。
 開票場から素速く情報を集めてきていたマーミドが、写しをとりだして次々と名前を読みあげ始めた。
「生徒会長: サキ・ラン(女)、1−A,11歳。
 舎監生最高責任者: アリマ・スン(男)、実技課一年、15歳。
 図書管理委員長: ロージェ・マーリ(女)、3−B、16歳。
 教課委員長: キール・カース(男)、2−A、13歳。
 生活委員長: ヘレナ・ストール(女)、3−B、14歳。
 ……そしてわたくし、マーメイド・ブルー(女)、生徒会新聞部長。1−A、13歳。……なにかご質問はァ?」
「……あら、わたし困るわ」
言いだしたのはヘレナだった。
生活委員の方をやると、サキの方の補佐ができなくなるというのだ。かといって、これは私情から辞退したりするわけにはいかない。
年少のサキを盛りたてて生徒会をうまく運営していくことのできそうな人間は、そうザラにいるわけでもないのである。
皆が思案投げ首、考えこんだところで、しまいにセイが言った。
「おれがやってもいいぜ。」
 かくしてファーツアロウ生徒会が発足した。
 そして1年……
 
 

 マーメイド・フィン
 マーメイド・ルカ
 マーメイド・ホワイティ

 ……って、あぁた、『トリトン』の影響なの
バレバレのネーミングですがな…… ☆(^◇^;)☆ 

 
   序 章
 
 かの世界統一より32年目、C・P11年の春  
 
地球系星間連邦国家随一の設備を誇る、ここ、冥王宙港(プルータス・ポート)は、初のリスタルラーナ向け一般留学生の出発のためにごったがえしていた。
 
 今日、出発するのは第一期生、200名。
 
いずれも9〜15歳の、全地球星系受験者6億という、厳しい選抜のあげくに留学権を勝ち得た、勝利者たちばかりである。
洋とした未来への期待の方が先に立ち、別れの言葉さえもそぞろになって、むしろ見送る肉親たちの方が不安げに、くどくどと説教のしおさめをしている様子だ。

跳躍(ジャンプ)航法で往復二年という長い道程も含め、一度旅出ったら最低5年間は帰ってこられぬ時代の事なのである。
娘や息子たちの勝ち得たものへ、素直に笑って送り出すことができないのも当然の事であったろう。

  ここに、この話の主人公、やがて裏から世界の歴史をも動かすことになる一人の少女がいた。
昨日、11の誕生日を迎えたばかりのサキ・ランである。
正式名(フル・ネーム)はサキ・ラン=アークタス。言語改革以前には、すでに彼女らほんの数名を残すだけとなった古(いにしえ)の一族の言葉で、蘭 咲子 と呼ばれていた。
 
 そう、既にして彼女の出生は、歴史の流れの大きく変わる一幕に関わっているのである。
彼女こそ、リスタルラーナと地球とが国交を開くことの要因の一つとなった、あの子供であった。
 
 
 昨夜、サキはほぼ一年ぶりに家へ帰り、やはり半年ぶりに姉と挨拶を交した。
父も混じえ、父娘3人が、本当に久し振りに集い、サキの出発と誕生日とを祝して、笑った。
無論、既に亡き母をはさんでの、父さえわけて入(い)ることのできない、16と11という年の離れた二人の娘の間の確執は、そのくらいの事で溶けて流れ去るはずもなかったのではあるが、サキは自分自身の心の中で何かが動き始めたのを感じていた。
 堰(せ)いていた水戸(みなど)の上をあふれ打ち越して、雪解けの小川が流れ始めるように、わだかまったものが形を変え、少しづつ、心の表にしみこんでいった。
サキは、なぜだか顔中が笑いになって、見送りに来た姉に行って参りますを言い、昔々、よくしたように、首に腕をまわして抱きついてみたりもした。
 
 気づかわしげに見ていたごく親しい幾人かの友人達は、自身、家族たちの見送りをうける中で、遠くからサキのそんな様子に心からの笑顔を贈り、サキもまた手を振ってそれに応えた。
 
 もう大丈夫だとサキは思った。
もう、心の中の憎しみの重さに、耐え切れなくなる夜はないと。
離れて暮す年月が、きっと素直な感情を呼び戻してくれるだろう。

 わたしたちはカインとアベルにはならなかったねとサキは笑った。
それは、姉サユリも同じ気持ちであるらしかった。
 
 
 
 午前10時、留学生全員に集合がかけられた。
いよいよ出国手続きが始まるのである。
報道陣には退場が命ぜられ、広いホール内では、最後の別れを慌ただしく告げてかけだす者、どたんばになってから母子抱きついておいおい泣きたてる者、様々いて、サキにはその騒ぎが少しおかしかった。
 
 「それじゃ、姉さん。」
 
さようならと言おうとしてサキは何も言えなくなった。
ややためらうようにしながら、サキの額の上にかがみこんだサユリの唇が触れたのである。
  元気で。体に気をつけるのよ、サキ……。」
その時、視界にマーミドが入ってきたので、サキはこっくりと一つうなずきかえしただけで、すぐに彼女の方へかけだしていった。
「ふん!」おいおいとやっている一群れを片目でながめながら、マーミドは屈折した想いで声を発した。
「あの子、あれだけ母親を嫌がってたくせに……!」
サキはちょっと首をかしげて彼女を見ただけで返事はしなかった。
マーミドは生まれながらにして肉親の名さえわからないのである。
 
 
 税関の入り口まで来た時、向うからヘレナが走って来た。
 
 
               .
 
     3.
 
 授業開始からしばらくの間、ヘレナにはサキとゆっくり話し合う機会がなかった。
二人とも新学期を向えて、新しいクラスでいろいろと多忙だったし、夜、部屋に帰れば、明日の授業の下調べに復讐。
さらに半年後へ向けての受験勉強がきつくて、眠るのはいつも2時、3時。時には徹夜することもある。
二人とも勉強中は一心不乱。わき目もふらずに勉強した。
勉強は、楽しかった。
確たる目的が間近にせまって、なおいっそう張りが出た。
 
「あ〜あ! でも……」
一ヶ月して、ついにサキがベッドにひっくりかえって言ったものだ。
「みんな良くもつよ。連日連日3時間睡眠でサ」
「3時間?」
ヘレナに聞きとがめられて、あわててサキは口をつぐんだけれど、ヘレナをごまかすことはできなかった。
二人のスケジュールは、授業と勉強の内容を除けば、ほぼ同じになっていて、それによれば、特別な日に徹夜しない限りは最低4時間から6時間、きちんきちんとヘレナは眠っていた。
問いつめられたサキは返事に詰まって、だって……と言いよどんだ。
「言
 
             (未完)
 
     2.
 
 寮母(ハウスマザー)はいたが、アロウの寄宿舎は起床・消燈から食事の献立てに至るまで、全て上級の舎監生による、完全な生徒自治区になっていて、ヘレナは幸いにも舎監委員会の方に「顔」が利いたので、サキと二人、具合い良く東棟の2人部屋におさまった。
翌朝、四月三日、  サキの10回目の誕生日。
ヘレナはだまってショートケーキを二つ買ってきた。
むかいの部屋の、落第(どっぺっ)て再新入したという金髪の長い少女がお茶をわけてくれて、二人はやはりだまったまま、それを食べた。
この日も一日、二人はほとんど口を利かず、四月に入ってからほんの5〜6回しか話していない。
原因は、サキにあった。
 
四日、午前中、校内を見学。午後校外の地の理を見て歩く。
夜、夜ふけてサキが声をしのばせて泣いた。
隣のベッドに横たわったまま、ヘレナは何時間もそれを聞いていた。
 
五日、入学式、入寮式、新入生歓迎祭。
基本科生徒会長が面白い人で、身振り手振りも大げさに、今年の新入生は恐しくていけない。半年後の大難関を気にして今からライバル意識なんぞをむきだしにしていると、ペーパーテスト以前に性格審査で落ちるだろうにと嘆息してみせたので一同大爆笑となった。
サキが久し振りに笑った。と見る間に、何がおこったのかにわかにしゃべり始め、昔のこと、未来のこと、どうでもいいこと、大事なこと、話しつかれて寝入った六日の夜明けには、すっかり以前の快活さに戻ってしまった。
六日、生徒総会の間中、ヘレナはサキのことばかり、眠い目をこすりながら考えていた。
委員選びでヘレナは前期に続いて今度は会計委員長となり、サキは、なにかしらやりたそうな顔をしていたけれど、結局何にもなれなかった。
 七日、授業が始まり、サキは生徒会新聞部に入部した。
 
               .
 
     1.
 
四月二日、早朝に、サキは誕生日も待たずに出発した。
サキが自分の誕生日をすっぽかすのは、これが最初だった。
サユリが、トランクを持って、門の所までついてきた。
ヘレナが時間どおりに迎えに来た。
  サキ、どうしても今日行ってしまうの? どうしても、わたし  
「もう、寄宿舎の方には連絡しちゃったんだよ、姉さん。」
そう、そうねとサユリがつぶやいた。そうなのよね…………。
「それじゃ。」
サキの方が先に立って門扉を押し開け、そのまま振り返ってヘレナを待った。
サユリは……サキに何か言いたかったけれど、心の中の想いをどう言葉に表わしたらいいのかわからなかった。
  ごめんなさい  ありがとう  許してね  さようなら。
「……ヘレナさん。」
「はい」
「あの  あの子を、頼みます。あの子、夜寝る時暗いのを恐がるの。それから、それから  
こっくりと、ヘレナはうなずいた。
一人っ子で育ったわたしでは役不足かも知れませんけど、お姉さんにかわって、わたしがサキをひきうけます。
その頼もしさが、この姉妹のすき間に橋をわたすことになるかもしれないと、ふと、サユリには思われた。
 朝まだき、もやの中、サキとヘレナはだまったまま郊外の道を歩きだした。
始発の路線バス(リニアモーター)に乗り、地球外周鉄道に乗りかえ、一回途中下車して海べりを歩いてから行こうと言っていたのは、サキの方だった。
 ユーロピアン大陸南西部、1000年のその昔、あの大異変のさらに200年も前からそこにあるという全寮制高等寄宿学校(ギムナジウム)  アロウ・スクールには、前々日からの連絡どうり、夕刻、食事の間際についた。
               .
 
 家族構成
 
父 リーオ・アークトゥールス=ラン 39歳
  地球(テラ)本星厚生省所属、民生に関する行政勤務。
  過去、極東地区代表として地球系星間連邦議会議員二回。
  (サキにとっちゃ空気か水みたいなもん)
 
母 サエム・ラン=アークトゥールス(死亡・39歳)
  言語、及び、神話民俗学者。
 
姉 サユリ・ラン=アークトゥールス 15歳
  地球(テラ)星連立 舞踊学校(バリエナス)所属。職業舞踊手。
 
 
 現在9歳、あと一と月足らずで10歳になろうというサキは、いつものくせでツァツァツァッと舌打ちして、
「あー、なんてへたくそな字だろ!」
と、ぼやきつつ、それでもせっせと、入学手続きの書類の中に入っていた身上調査書に書き込んでいた。
 頃は初春。
ユアミ市外縁部のこのあたりでは、すでに傾き始めた西陽がゆらゆらとかげろうを舞わせていて、閉めきった部屋の中ではむしろ汗ばんでくるくらいだ。
サキは行儀の悪いことに、器用に足の指で窓を押し開けて、最後の一行を書きあげると、窓わくの上に引っ越して声をあげて読みなおした。
「名前、サキ・ラン=アークトゥールス。女子。9歳。生年月日SP元年4月3日。本籍地……アジア・極東地区北列島……あ、ここ間違ってる。」
サキは書きなおしながら、ふっと手をやすめて、はるか窓の向うを見やった。
下書きが終ったらやはり姉さんのところへ持って行かねばならないだろう。
彼女の字は公の文書を書くには幼稚すぎるのだ。
 それでも、やっぱり、せっかく受験地獄(!?)  もっとも彼女は好きでファーツアロウを受けたのだから試験勉強も楽しかったが  をくぐり抜けて入学資格を手に入れたことでもあるし、サキはこれを機会に、ずっと母親代わりだった姉の管(監)理下から完全に独立してしまいたかった。
いや、それよりも何よりも、サキには最近のサユリ姉さんがわからない、いや、わかりたくない。
不信に陥っていると言っていいだろう。
そんな姉に対して自分がどう思っているのかさえはっきり捕めていなかったから、できる事なら近寄りたくなかった。
 ……が、書類も下書きは全部終ってしまい、明後日にはその書類をたずさえて入学式に赴くのだ。
サキはすぐに、思い切りよく立ちあがり、階下へ行ってくったくなく姉さんにたの……もうとは思ったが、実際にやったのはぶっきらぼうに書類の束をつき出して、
「これ、明日までに清書して。」
つまりは必要最低限外の口は一切きかずに、逃げだしてしまったのだ。
サユリはもうせんからと同じ深い悩みの瞳をして、ただうなずいてうけとっただけだった。
 
   サキが、実のところ、サユリが何を悩んでいるのかわかっていることを、当のサキ自身が一番良く知っていた。
事の次第もなにもかも。
しかし、彼女のその分裂した想いを是認することは、つまりは自分の存在を否定する事になる  と、サキは固く思い込んでいる。
9歳という年令に不相応な程の鋭い感受性と洞察力を見につけてしまっているサキは、年齢から来る未経験さで、まだ、人を思いやるゆとりというものは持っていなかった。
 
本当に、サキにはわかっていたのだ。
サユリの心の中に、平静の彼女のサキに対する態度からはおよそ考えもつかない葛藤が渦巻いている事を知ったのは、まだたった3歳の時だった。
物心つくかつかぬかの頃だったのに、その時の事ばかりは、わからないままにサキの心に“世界”に対する最初の不安として長く留められている。
 
 
                .
 
 地域別教育期間中は、虚弱体質とか特別な理由がない限り、その地区内で初等課の教育をうけるのが普通になっている。
サキもまた例外ではなく、バレエを習うようになってからは、午前中は地区の学校で体育実技以外の普通授業をうけ、午後にはユアミ市内の別の地区の、星立舞踊団(テラ・バリエナス)附属学校へ通って、バレエ始め古今東西のありとあらゆる舞踊を基礎からたたきこまれた。
サキは踊る事が好きだったし、周囲も彼女に期待していた。
舞踊団の人間はだれもかも、サキが12歳になったら舞踊実技を選択し、姉サユリがそうであるように、大御所のだれかの内弟子になって、義務教育課程が終わりしだい職業舞踊手になるのだろうと思っていた。
 が、サキはそうしなかった。
彼女は、地域別教育終了と共に行われる、頭脳ランクによる進学校ふりわけにおいて、地球系星間連邦ずい一の英才をもって誇るアロウ・スクール編入を希望したのだ。
正に驚天動地。
サユリを始めとして、バレエ界の教師たちはこぞってサキの才能をなげきおしみ、また、本当に秋を知らない人々は、気でもふれたかとあざわらった。
いや、アロウ・スクールどまりならばまだよい。
サキの最終目的は、リスタルラーナ星間連合の、最高教育機関S・S・Sへの留学資格を得る事だったのだ。
地球系星人何十億かのうち、サキと同じ年にアロウ・スクール編入を志ざす者約一億。そのうち運よく合格する者1000名。交換留学生の枠は……60名。
さして勉強していなくて、どの科目もまあ中の上から上上までとれるサキにしてみても、針の先ほどもない可能性だ。
が、サキは、とにかくはげみにはげんで勉強して、ついになぜかアロウ・スクールに合格してしまった。
あとはまあとにかくがんばって、来年の資格審査試験1000分の60に喰いこむべく努力するしかない。
たとえまわりの人間全てがどんな反応を示そうと、
 
 
             (未完)
 
 

1
2
3家庭
4 教育
5  期間
6初等
7 教育
8  期間
9(入試)資格
10 基本科(ファーツアロウ)
11 (SSS)
12 (実・応)
13高等
14 教育
15  期間
16(実・応)
17

  
 たぶんサキはその、一生のうちでも最も古い記憶を、死ぬまで忘れることはないだろう。
 サユリの前から逃げだしてきたその足で、サキは川べりの土手から砂利を水面につかみたたきつけていた。
 ざっとつかむ、ぶんと腕ごと放り出す、石が跳ぶ。
10個、20個とまとめて空を切っていくうちのいくつかは、毎回きまっておかしな飛び方をした。
自然な放物線をえがかず、定規をあてたようにまっすぐ、他の石をたたき、追い落としながら直進すると、あるていど行った所から不意に、ほとんど垂直に落下するのだ。
どうやらサキが興奮すればするほど落下開始点が遅くなるようだが、サキは、学校で力学から相対性理論までもマスターしているにもかかわらず、別段その奇妙さには気がつかなかった。
 ただ、投げている。
彼女は熱心に投げる事にだけ専心しようとした。
つかんで、投げる、つかんで投げる。
とうとう春の川べりのサキの右手のあたりだけ、砂利がうすくなって湿った砂地が出てきてしまった。
「ツァッ!」
サキはまたもや舌うちして、少し上の草地に身を投げだした。
頭上はるか、かたむき始めた陽の光の空のどこかで雲雀が鳴いている。
サキは心を落ちつけて「いつもの幻想」の中に溶けこもうとしたが、あまりに自分の中味の人間臭さが鼻について、ひばりのように空の中には飛びこめなかった。
サキは目をつぶった。
涙があふれ流れてくるのを止められなかった。
始めて空高く心を飛ばしたのは3歳の時。
姉さんの心の中にある、どろどろしたものが、なんとはなしにただ恐ろしくて哀しくて、母がその時期再々入院を繰り返していたからかもしれない、その頃住んでいた、人家一つない高原の、お花畑の真っただ中で、大地にくるまって火がついたように救いを求めて泣き叫んだことがある。
その時はまだ何も知らなかったから、ただ純粋に悲しかっただけ、ひとしきり泣いた後には、気がつくと母から教わった古い古い、「本当の幸福になれるよう願う」呪文の唄を、いざまづいて唄っていた。
その時、  サキ自身にはよくわからない  一陣の突風か光かが吹いてきたように感じると、次の瞬間に彼女は、どこだか大宇宙の涯(は)ての、涯ての、一番はずれからとびだして、おびただしい数の“魂”の流れを見た。
後で父が倒れているサキを見つけた時、死んでいるのかと思ったという。
サキが母  もう逝ってしまったサエム  にこの「幻想」のことを打ちあける気になったのは、まる一年たった4歳の秋。
母は以前から知っていたようにうなずいて、12歳になったら読むようにと、古い伝承の本を一冊くれた。
そうして、それから母が死ぬまでの2年間、サエムは折にふれてはサキに、心を澄ませ腹をすえて、そうしたいと思う時に見たい所へ心を「飛ばせる」術を教えてくれた。
サエムは  サキがくれを「空想」とか「幻覚」と呼ぶたびに、とまどうような悲しいような、幽かにあいまいな微笑をうかべるのだった。
 
いつしかサキは寝入っていた。
いや、寝入ったのはサキの体が、だろう。
思考に没頭するあまり、サキはしばしば自分の体の世話をするのを放りだしてしまう。
死んだように横たわって空虚(うつろ)に空を見あげたまま、見る人が見れば、サキの瞳の中をサユリと、生前のサエムの姿が交錯してゆくのが見えたかもしれない。
サキは、幼ない頃からの思い出を全てひっくりかえして、母の一言一言、姉の一挙一動の中から、自分自身への解答を見出そうとした。
 
 
              .
   サキはサエムの病状を知らされていなかった。
自分が生まれた時の様子も、母の死に至る先天性疾患の事も。
だから母が床についていない日には、いつでも散歩や鬼ごっこや、母さまお得意の「古いお話」をせがんだ。
そして更に決定的だったのは  「幻想」。
生まれつきその能力が備っているサキと違って、サエムはとても弱かった。(※)
それでも最後の病の床から、サエムはせがまれるままに「幻想」を思い通りにあやつる方法を教えた。
そして  サエムが冷たく眠りについたその朝、何も知らずに起きだしてきたサキにむかってサユリは、あなたが母さんを殺したのだと、たたきつけるように叫んだのだった。
 
 
 すっかり笑わなくなったサキが、正式にバレエ学校に入学したのはそれから間もなくの事だった。
基礎はできていたから、習い始めるとすぐに群を抜いて上達し、なにかをふっきるように打ちこんで、いつか子役としてのサユリ・ランの妹サキは、姉の水のような叙情性とは違った、激しい人間性で将来をうわさされるまでになった。
 意外にも、サキをバレエの道に入れたのはサユリ自身だった。
罪滅ぼしの気もあったのかも知れない。
母の死後1ヶ月もして、思い出深い家を去り、現在のユアミ市郊外に引っ越してから後、サユリは心を閉ざしたままのサキを気にかけて、誠心誠意面倒を見た。
思えば彼女がその時12歳。現在のサキと同じ。
母親の死で動転して、自分でも思いもかけない事を口走ってしまう事もあっただろう。
 サユリが、ある意味でサキを憎んでいたのは確かだった。
けれどそこがサキの不思議な所で、血のつながりだけではない、どんな人間でも、サキを心底あげて憎むことなどできなかった。
とりたてて美点があるというわけでなく、後年、やはりその同じ事がサキの身の上に悲劇をもたらすのだが、憎んで憎み切れない心の不安定さが、サキの誕生以来、母の死ぬその日まで、サユリの心をおびやかしつづけたことは確かだった。
だからむしろ、サエムの死はサユリに安息をもたらした。
始めのうちこそ、純粋にサキを愛するという感情にとまどってぎごちなくはしていたものの、引っ越しによって完全に母から逃れでると、一切の邪念はサユリから離れていった。
サキは、年と、いつも年齢以下に見られる外見に似合わぬ、実に鋭敏な感受性と理解力の持ち主だったから、この時も、最初の衝撃から覚めると徐々に姉の意思をを理解し、半年もたつ頃にはようやく生来の明るさをとりもどした。
 が、それは周囲の人間が見るように、もとに戻った、あるいは前より元気になったというわけではなかった。
サキは人生の裏表を見るようになり、自分がどう振るまい、何をすれば他人はどう考えるのか、無意識のうちに頭のすみで計算するようになった。
秘かに自分の出生時の事を調べ、一人になるとサキは、どうしても深い方、深い方と自分の、人間の、本質的な問をかきわけていった。
そして  生まれて始めて人間の不条理さに気づいた日から2年。
8歳の 春 に、サキは大好きだったバレエを捨てた。
 
 
 それは、確かに、子供の未経験さから来る思い込み、ということはあったかもしれない。
 それだからこそ、迷いつづけて答えをだした後には、ひたむきな一途さで打ちこんだ。(※)

「何が弱かったのか主語入れた方がいいんじゃない?」
「平仮名の「る」と感じの「子」が見分けつかんぞ」
「ひたむきな一途さって重複じゃない?馬から落馬したとか小さな小人とか」……May.19……(by姉)


 姉、キライっ★ ( ̄^ ̄;)( ̄^ ̄;)( ̄^ ̄;)( ̄^ ̄;)( ̄^ ̄;)
 
               .
 
  3歳、海辺。
なんの時だったか忘れた。たぶん姉さんの9歳の時の、舞踊の発表会の帰りだろう。
「……母さん! わたしを見てよ!」
波打ち際で遊んでいたサキの心に、不意に母とサユリの言い争う声が聞こえてきた。
その時までは、世界は、ただ愛と慈しみと、優しさだけを持ってサキを迎え入れていたのに。
「今日はわたしの日よ! わたしが踊ったのよ! なのになぜ母さんは、いつもいつもいまも、サキ、サキの話ばかり」
母はただ謝罪した。
人間として、自分の欠点を許して欲しい。あなたはあまりにも幼ない日の私に似ていて、まるで自分の悪い点をそっくり受けついでしまっているのです。私にはあなたが、何を考え何を見て、どう成長するのか、手に取るようにわかってしまう。
あなたは私の愚かさをそのまま再現したようで、時として私には耐え難い。その点サキは……
ふっと視線をはずして、空の一点にサエムは何を見ていたのだろう。
彼女は、サキが「我々とはまったく違う」人間になるだろうと、その未知性に母として人間として、魅(ひ)かれてしまうのだと言った。
サユリが何故そんなに苦しんでいるのか、そのわけもすべてわかるとも。
  サキには、わからなかった。「何か」大事な点を見落としている。
「わかったわ。母さんはわたしを愛してくれてはいないのね。」
冷たく、冷たく、冷たく、サユリは言い放った。(※)
9歳にして、母親の愛を求める娘という役割を断念し、彼女は一人の女として、サエムとの戦いを開始したのだ。
「これだけは言っておくわ。……サキに、舞踊の道を選ばせないでね。あの子には才能があるわ。  もし、サキと、舞台の上でまで争わなければならなくなったら、わたし、耐えられない。」
  ああ、なぜ二人は岩かげにサキのいることに気づかなかったのだろう。

その日すぐにサエムは発作を起こして入院し、サキは始めての「幻想」の驚きで、長い間この日の事を忘れていた。
いや、覚えてはいられない抑圧となって、彼女自身が無意識のうちに、記憶の底に封じ込めていたのだ。
 それが、再び現実となってサキの世界に戻って来たのは6歳の早春。母サエムが遂に逝ってしまった時だった。



「サキならまだしも並の女の子が9歳でこんな事、言うかねえ アムロだって15だったぞ May.19」という姉からのチャチャが書き込んであり、
「返信;サユリが並の女の子であるわけがないでしょ〜!」と、反論?が書いてある…… (^◇^;) 

 
(*「サユリ16歳」という但し書きのレオタード姿の憂い顔の半身イラストあり、姉が「26歳とゆーても通るわ、この表情★」とかウルサク書き込んでいる……★( ̄^ ̄;)★

 えぇ。ハンパに優秀な「姉」と、
天然で規格外な「妹」(私)の葛藤……つーネタは、
まんま実話(実体験)が、下敷きに決まってますとも!! (-_-;)>"


                .

 
 
 「……でも、ねえ、ヘレナ。好きでも憎んでいなけりゃ
  自分を保てなくなる時もあるし   

 「憎んでてもどうしても憎み切れなくて、愛しちゃって、
  サンドイッチになってつぶれちゃう人だって、いるんだよ。」
 
 

 
 

 Jrr.tolkien’s

 “The LORD of the Rings”
 
 (c)1978 Tolkien Enterprises.


 ……の、映画館で上映直後に買った!! 大学ノートを使用☆

 中学2年で、『指輪物語』の米国製?劇場アニメ版を見て、
「自分は絵描き(漫画家)は無理だ! 文字書き(小説家)に、
 なるぞっ!!」……と、将来の焦点を絞ってしまった瞬間から、
 
 ……大量〜〜〜〜に!! 「下書き」を書き散らしていた頃……☆

 (^◇^;)”
                .
 
 
     エスパッション・シリーズ 第一巻
     「サキ・幼ない頃」
 
 
 わたしは小さい頃からひどく変わった子供だった。
もっとも、今でもよく友人達から……あなたって変わってるのねェ……とジト目で言われているのだけれど、そのわたしから見ても、昔のわたしの風変わりさはたいしたものだった。 

 
   あれは、いくつの頃だったろう。
人間は死期が近づくと幼ない頃を思いだすと言うけれど、わたしは最近、二人の女の子が母親とつれだって海辺を歩いている夢を見るようになった。
それはわたしの記憶の中でも一番古いものの一つで、二人の女の子は姉さんとわたしだった。
 あれはわたしが3歳、ねえさんが9歳の時。
ねえさんの舞踊専門学校(バリエ・スクール)の発表会の帰りに、会場のそばの遊歩道をわたしたちは歩いていた。
たぶん、わたしが始めて舞踊(バリエ)に関心を持ったのもこの時だったのだと思う。
始めて見た本物の舞踊(バリエ)と、表彰式の時に最年少受賞者のねえさんといっしょに写真にとられたことで、わたしはすっかり興奮して普段の倍もはしゃいだ。
 冬の終りのやわらかい光が遊歩道のまわりの白樺林の中で笑っていて、あつらえてもらったばかりのよそいきが暑苦しいくらいだったのを覚えている。
 通りが終る所に白い石段があって、そこを降りるとぷんと潮の香が鼻をつく、波の静かな磯浜があった。
大型のロケットバスが、沖合のかなたに光っている白い人工海上都市(マリンドームシティ)から飛び発った。
碧(みどり)や青や所によっては銀色の小さな淵のあいだを探し歩いて、海に来るといつもやるように光っている小石や、確か宝貝という名だったと思うけれど大きいのや小さいのをポケットいっぱいにつめこんでいると、不意に岩の向うからかあさんとサユリ姉さんの言い争そう声が聞こえてきた。
二人は、わたしが遊びながら遠くへ行ったと思っていたのだろう。
わたしはなぜだか出て行ってはいけないような気がして岩かげで息をひそめていた。
 ショックだった。
まだ自分と母さんと父さんと姉さんだけが世界の大部分を占めていた頃で、わたしには年の近い友達もいなかったし姉さんとは年が離れていたから、自分でかんしゃくをおこしてあたりちらす以外、
 
 
              (未完)
 
 あははっ。あはは。
 ほほほほほほ……
 
 ただ一面の草原(くさはら)の中、秋の日の草の実草の穂かきわけて、二歳と半のアキはあちらへ走り、こちらへ走りして、追いかけてくるサエム夫人の手からひょい、ひょいと上手に体をかわしながら、いまだ音程のそろいきらない幼い声で、鬼さんこちらを歌っていた。
 「かーさま、こちら、おーにさん、こっちら。かーさまこちら、おーにさんこっちらっ!」
 サエム夫人はと言えば、絹のハンカチで上手に目隠しをして、少し身をかがめるようにサキの頭ほどの高さに腕を伸ばし、透けるほどのきゃしゃな白い指先をひらひらとさせながら、美しい灰色の部屋着のすそが風になびいて、早いや麦わら色になり始めた草々に打たれてゆくまま、それはまるでそのまま空気の精ででもあるかのように、さらさらと流れて、サキの後を追ってゆくのだった。
 サキはそんなかあさまをすごく美しいと思い、それで少し走っていっては後ろを振り向いて、ぴょんぴょんと前かがみにはねながら、ひじから腕をぴったり胸につけるようにして、小さなあごのすぐ下の所で、あの子供独特のリズムのとりかたで、ぱあんぱん、と手をたたいた。
 ぱあん ぱん。 かあさまこっち
 ぱあん ぱん。 かあさま、追っかけてきて!
 
 ぱあん ぱん。 ぱあん ぱん。
 サキの手の指が右や左やすぐ後ろで鳴るたびに、サエム夫人は驚くほどの素速さと正確さで愛する娘のサキの方へ手を伸ばすのだが、いよいよとなるとサキはひょいと地面にすわりこんでは、その手の下をくぐりぬけてしまう。
 それで、このゲームはさっきから終りもなく続けられているのだった。

 ぱあんぱん。ほほほほほ。
 ぱあんぱん。あはは、ほほほ。

 そこは金糸色の草原の中、どこまでも続く二人だけの世界だった。
 遠くからサユリが、この世界の中に入って行けずに、草原の端に立って呼んでいた。
 「サキ、だめよ。母さんは心臓が悪いんだから。
  母さん、母さん、また発作が起きるわよっ!」
 発作という言葉を聞いて、サエム夫人はあきらかに不快の色を示して立ちどまった。
 淡い金色の世界はこわされてしまったのだ。
 現実の世界で、彼女は、あと数年、いや悪くすればこの瞬間にも停止するかもしれないと医師に保障された心臓を背負って、愛する家族に迷惑をかけながら暮している。
 サキも発作と聞いて、なんとなくはしゃぐのをやめた。
 サエム夫人はいまいましげにハンカチーフをほどいて、のろのろと家へ向って歩きだした。
 体が急に重くなったようで、足を動かすのがおっくうだった。
 サキがちょこまかとかけよってきて、長い部屋着のすそにまとわりついた。
 「ね……お話聞かせて。おはなしい!」
 はねるように元気な娘の体の暖かさを感じて、サエム夫人の重いほおはようやく少しばかりなごんだ。
 「ええ、そうねサキ。お話してあげましょうね……」
 仲よく寄りそって歩く背中を、サユリが、彼女に似合わぬ激しさで見送っていたことに、二人はついに気がつかなかった。
 
        ×     ×     ×
 
 新暦 3年 10月 2日
 
 二人種の邂逅より四年の歳月が過ぎ、新時代の娘、サキに関するマス・コミュニケーションの関心もようやく薄れてきたようです。
二歳半から始めた、幼小児教育過程も、日頃私とともに家にいる時間の長いせいもあり、本人も好きでやっていて、あと半年もあれば修了させてしまうことができるでしょう。
母親の欲目を抜きにしても、通常3〜5歳の三年間で修めるべきことを、
 
 
 
             (未完) 
 
 

 
   中略。
   ダーナー船長の独断。
   ケティアの激怒。
   地球側の感謝。   うんぬんくんぬん……。
 
 かくて、536対20という圧倒的多数をもって開国に賛同がなされ、細かい条約の討議・調整の後、全人投票により可決された上で、調印が行なわれる事になった。


 
 

 前略、ケティア・サーク様。
 未だ病床にあります由、母の代筆にて便り致します非礼、どうか御容赦下さいませ。
この度、複雑な政界の事、諸々問題も御座いましょうに、曲げて、私ども親娘(おやこ)のために御尽力お申し入れ下されました事、まことに有難く、感謝の言葉も見つかりませぬ次第で御座います。
おかげさまでこの命を長らへる事もでき、横では、安らかな寝息をたてて、私どもの娘が寝入っております。
本日をもって既に三週間ともなり、医師様の生後の御処置のおかげでございますが、母に似ぬ健康なみどり児にて、私ども一同皆安堵到して居ります次第。
名を蘭咲子(ランサキコ)
私ども一族の古い言葉で『咲く』とは花の開く意に御座います。
本来ならば、このような場合、恩人であるあなたさまに名付け親となって下さるようお願い申し上げるべき……
長女紗由里(サユリ)ともども、次の世代を担うべき子供らの一人で御座います。
貴女様の星との交流の中に、新しい文化の花を開かせる、そのような子に育って欲しいと、心からの願いをこめて、こう付けさせていただきました。
 では、全人投票に向けての各地遊説で、かなりお疲れの様子とうかがいました。どうぞお体おいとい下さいませ。
                       かしこ。
 とり急ぎ御礼まで。
             四月二十四日 蘭冴夢(ランサエム)

                              』
 
 
 書き文字に慣れていないうえの達筆で、文体そのものがやや擬古文調なもので、ケティアが読むのにはかなり骨がいったが、自分より年上の女性からの礼状の巧さに内心下を巻いた。
 
 読みおわって、ケティアは嘆息をついた。
 「やっぱり、謝りに行くべきかしら……」
 
 後日、ケティアとカートが盛大な式を挙げた時、キャプテン・ダーナーが賓客の一人として招かれていた事は言うまでもない。 
 
 
 


 Memo
・リースの挿話どの程度まで入れるか。
 家族構成聞いとくこと。住所も。

 
 


 
 砂 小 早 紗
 遊 夕 有 木優 結 幽 悠 由
 利 梨 理 里
 
 砂由里
 砂由梨
 紗木綿里
 小由梨
 早由梨
 紗由里
 紗由利
 紗由梨
 小由里
 
 冴由利
 冴由理
 

……結構重要な登場人物であるサユリ(蘭小百合)の名前(文字)がまだ決まっていなかった、ということは、どうもこれが栄えある第一稿?のようですな……A^-^;)
 
                .
 
     プロローグ
 
 三月末日……深夜。
 地球系星間連邦議会の特殊臨時総会に出席していたアークタス議員は、会議の合い間に呼び出しをうけ、自宅の主治医からかかってきたテレビ電話に出て……愕然とした。
 彼の妻、サエム夫人に陣痛が始まったと、言うのである。
 そしてそれは、とりもなおさずサエム夫人の死を意味することだった。
 生まれつき病弱で、加えて長女サユリの出産の際に完全に心臓をこわしてしまったサエムには、出産などはとんでもない。三ヶ月の時点での中絶手術にすら、耐え得るだけの体力がなかったのである。
 すぐに帰って来いと医者は言った。あたりまえである。
 が、アークタスは必死の思いで首を振った。
 全地球系連邦の行く末に関わる会議中に、たとえどんな小さな地域のであろうと、その代表であるのに、自分の家族のことで仕事を放り出すことはできない。
 かつて恋の上での競争者(ライヴァル)であり、今も変わらぬ親友のドクター・ヤマはこのひとでなしと思いきり怒鳴って、たたきつけるように電話を切った。
 現在サエムは妊娠6ヶ月目である。
 それが陣痛と言うのならば、それは、多分、異星人来のデマに怖えて、ショックを受けたのだろう。
   そう、異星人。
 異星人(リスタルラーナ)は、確かに来ている。
 会議再会10分前のベルが、議事堂全体に響きわたったとき、アークタスは精神的な打撃ですっかり平衡感覚を失くしてしまった脚と体を、かろうじての所で壁にささえていた。
   だが、それがどうだと言うのだ?
 サエムはもう死ぬのだ。 死・ぬ・の・だ!! ……自分のせいで。
 彼は打ちひしがれて自分の議席へと戻って行った。
 そんな彼の姿に不審を抱いて、何が起ったのかと受けつけに尋ねていた男がいることも知らずに。
 その男は、わけを聞くとすぐ、その場でアークタスの自宅へと電話を入れ、出てきたアークタスの義父母から、サエムの病名と容態とを詳しく聞きだした。
 
 
 「どこへ行ってらしたんですの、ダーナーさん?」
 ケティア・サーク大使が、例のつっけんどんな調子で問いただした。
 「今はあたくしたち一人一人がリスタルラーナ星間連盟の代表なのだってこと、お忘れになったようですわね。あまり不審な行動はとらないでいただきたいわ。」
 ケティア・サークは25歳。同僚のカート・エレンヌ大使と共に、リスタルラーナ星間連盟を代表して、二年間の宇宙旅行の末、国交樹立のための全権大使として地球へやってきたのだ。
 どちらの国家にとっても、異星人との接触は始めてのことである。
 神経がピリピリして、つい文切り口調になるのも無理はない。
 が、それだけではない。
 もともとケティアはキャプテン・ダーナーをけぎらいしている。
 理由はと言えば、2年の航海を通じて彼が一度でも笑うのを見たことがないというだけのことなのだが、それは彼女に言わせれば「人間として重大な」情緒欠陥であり、「笑わない人間を見るとゾッとする」のだそうだ。
 あいかわらずムスっとして口を利かないダーナー船長に向ってケティアはいせいよくまくしたてているが、まあ、所せん相手が悪い。てんから無視して何か考えこんでいる様子を見て、ケティアのぐるぐると元気のいい赤っ毛は、文字通り怒髪天をつかんばかりになった。
 くすり、とカート大使が笑うと、すかさずケティアのあなおっそろしいひとにらみが飛んでくる。
 「なにがおかしいんですのっ!!」
 「え! あ、いや……」
 カートは慌てて手を振った。
 「そうではないんですよ。ただ……」
 「ただ?!」
 「その……あなたのように気性の激しい女性(ひと)が、よく外交官をやっていられるなぁと、……あ、いや!」
 前々から思っていたことでもあったので、つい本音が出てしまい、カート大使はあわてて口をふさがねばならなかった。
 ケティアの方はと言えば、最大級の侮辱を受けとって、(とは言え、言った本人はむしろ好意と賛美をもってのことだったのだが。)、その髪の毛よりもまっ赤にふくれあがったあげく息がつまって黙りこんでしまった。
 26歳独身のカート大使が、この失策(ヘマ)を大いに後悔したことは言うまでもない。
 
 一行が今いるのは、地球本星にある連邦本部総会議場のVIPルームの一つだった。
 本来ここは司法局長    の専用であるのだが、連邦本部にかつて来賓というものの来たためしもなかったため、彼女がどうぞと言って開け渡したのだ。
 最高頭脳の一人の部屋にしてはつつましい調度で、国のしくみの根本を司(つかさ)どる女性の、その人となりがうかがわれた。
 青い服でしっとりと部屋の中に溶け込んでいるような彼(か)の女性(ひと)が、一行を迎え入れた後に一礼して部屋を辞す時、ケティアは部屋を占領(のっとっ)てしまった事に対して、ひどくうしろめたいものを感じた。
 とにかく彼女らが地球にやってきて丸二日、敬遠して口をきこうとしない者も、屈託なく親しげに微笑みかけてくる者も、様々いたが、総じて若手の多い政府要人の全てに、一見して、すなわち「誠実な人」だという印像を与えられ続けているのである。
 これは、自国(リスタルラーナ)のひとくせもふたくせもありそうな政治屋(たぬきおやじ)ども相手とは、大分勝手が違うな、と、正使のケティア・カート始め、大使一行のだれもが感じた。
 相手(むこう)が私情を交えず直截に話しかけてくる以上、こちらも腰をすえて、腹蔵のないところを答えなければならないのである。
 「いや、若い国なんですよ。若い国なんですねえ」
 カート大使は、また妙な所に観点をすえて、しきりに感激しているようすだったが、ケティアはと言えば、自分のような若輩の、しかもだれからも言われるように感情が豊かすぎて、かけひきや腹芸の苦手な、外交官としてはかなり型破りな人間がわざわざ正使に指名されたりしたのは、その辺が理由だったのかしらんと一人で納得した。
 
 さて、一行がここで何をしているかと言えば、待っているのである。二日前に地球連邦の勢力範囲に到達し、その時点で連邦政府との正式な交信(コンタクト)。半日後には一応歓迎という形で地球本姓への着陸を許可されて、各星間にとびかっている異星人来襲のデマを鎮めるため、ということで、ぶっつけ本番同様に、政府専用の通信帯(チャンネル)を通して、全星域に向けて『友好の辞』というものをしゃべるはめになった。
 その後、今朝方の事だが、夜どうしかけて集まってきた全議員の前で、リスタルラーナ代表として言うだけのことは言い終えると、ハードスケジュールにかえって地球側の方が同情して、「正式な宿舎が決まるまで」、このVIPルームでお休みを、と、事の次第が運んだわけである。
 総会議場では、30分の休憩の後に今しも「国交を開くべきか否か」についての大論戦が再回されようとしていて、使節団一行は備えつけのパネルで、その様子  賛成・反対のどちらの意見に傾くか  を、かたずを飲んで見守っているわけだ。
 が、何か手違いでも生じたのか、休憩時間を5分まわっても、内閣の主要メンバーの入場がない。
 「おそいわね」
 ケティアがイライラした様子で椅子のひじかけを弾(はじ)いた。
 10分たった。なかなか始まらない。
 カート大使は不意に言いだした。
 「    さん、先程はどちらへいらしてたんです? 特に行動を制限されているわけではないですが、やはり責任者としては知っておきたいので……」
 ケティアとはうってかわった、落ちついて丁寧な言い方だ。
 「ふむ……」
      は、相かわらず無愛想な声でぶすっと言った。
 
 


 マリシェーラ・ダエイン
 ヤスルミ・ダエイン


 
 一つ、 始めから書くこと。
 
 一つ、 話の完成度など気にかけぬこと。
 
 一つ、 自分に生直であること。
 
 一つ、 飾らず、偽らぬこと。
 

 
 
                .
 
    3.
 
 彼は混乱を極める市街の、既にこの騒ぎの余波で異常を来たしたものか数メートル進んではガクガクとベクトルに変調を起すロードベルトの上で、とにかく目をむいて前方をにらんでいた。シゾカ市(シティ)の全ドーム群が一斉に喚き立てているような喧噪の中では、他に何をしようにもする事が無かったのだ。
怒号、悲鳴、火の付いたような子供の泣き声。山のような荷物を抱えて路上に湧れ出した大群衆の間で、これも狂ったように警報を鳴し続ける空陸両用車(エア・ジェット)の長蛇。
千年の星霜を経てようやく再統一が為されたばかりというこお地球上に、まるで再度最終戦争(アルマゲドン)が訪れたかのような光景である。
それでも彼はとにかく手荷物一つ持たない全く平静なスタイルで  冷汗じみた油汗を顔じゅうににじませてはいたもの  かなり有効なコース選択を行って一路郊外を目指していた。
 
 
               (未完) .
 
    2.
 
 ユーラシア大陸、極東。海に面したシゾカ・第三ドームシティの郊外……。
 かつて  一千年前までは、そこには巨大な休火山がそびえていたのだという。最終戦争の時に地殻破壊兵器の余波を受けて、今は跡方とて無いが。
 崩壊した百万都市の上に火山灰が降り、次いで何万tという土砂が雪崩れ落ちた。雨が降り、土中の人々の死骸が分解し、雨が降り、初めての草が芽生えた。小百合は一度だけ、その恐ろしい話を淡々と語る母の口から聞いた事がある。今、そこには見渡す限りの原野の花園とそれに続く豊かな後背丘陵。かつての汚濁にまみれた広大な湾をも数百メートルの地下に眠らせて、“地球統合政府”の手による若々しく美しいドームシティの建設が進められている。そして  ……
シティの郊外の外れ、後背農地の開拓もここ当分は行なわれないであろう、大自然との狭い目に、その家は建っていた。
 
   ……姉、蘭小百合(ランさゆり)、六歳。……
 小百合は、いつもガラス越しに母さまを見ている。いつもいつも見ている。母さまは蘭(ラン)冴夢(サエム)、二十九歳。十八で結婚し、二十三で無理と言われていた出産をしてからは、すっかり心臓を弱くして、殆ど毎日が寝たり起きたりである、長い美しい灰色の髪をした婦人だ。小百合は寂しくなると必ず、母さまのいるサンルームの前の庭に出てきて部屋の中の彼女の似顔絵を描く。
切れ長の、いつも彼方を見はるかしているかのような灰色の眼。ぬけるように白い肌。すらりとした長身にかならずまとっている青灰(あおばい)色の祭司の服。  いつもゆったりと揺り椅子に腰かけてお祈りをしている。時折り小百合の方に眼を向けて、微かに笑う。
 母さまのお腹が少しづつ大きくなっているのが自分の妹の為だなんて、小百合は少しも知らなかった。周囲の大人達が知らせようとしなかったからだ。何故なら、それはtだ妊娠初期に肺炎を併発していた冴夢には中絶手術に耐え得るだけの体力も無かったというだけの事であり、三ヶ月後にひかえた出産は、妹よりは母の死を子供に与えるだろうと思われていたからだった。
小百合はそんな事は知らない。大好きな母さまは御病気なのだ。だから無理を言って困らせてもいけないし、母さまの見える所で心配をかけるような危ない遊びをしてもいけない。いつも学校から帰った後は、母さまのいるサンルームの前の庭の中で、宿題をしたり母さまの絵を描いたりして過しているのだった。
 冴夢が妊娠している事が判明してからは、彼女はずっと無菌室に改造したサンルームの中で暮らしている。お医者様はその消毒機構が子供にはよくない影響を与えるからと言って、小百合が中へ入るのを認めてくれなかった。だから小百合はもう半年以上も、母さまの腕に抱いてもらっていない。……
 
 三月二十七日、その日、蘭冴夢は既に彼女の職とも言うべきものになっていた“祈り”をも忘れて、一心に心眼を凝らしていた。
かつて味わった事のない不可思議な予感  奇妙に恐しいような、なつかしいような、胸騒ぎが心の中を一杯に占めていて、とても精神を統一して祈るどころではないのである。
その感じは、朝、目覚める以前から意識の片すみを刺激し続けて、冴夢に何事かを告げて止まないのだ。“何か”が近づいて来る  何かが。
しかしそれがどんなものであるのか、果たして善いものであるのか、悪いものであるのかさえ、判断する事ができない。
幼ない頃から“部族”の語部(かたりべ)=神官として霊感の強さを得ていた彼女にしては、それは生まれて初めての経験だと言っても過言では無かった。
 夫ヨセフィア・アークタスは、小一時間程前に地球統合政府からの緊急呼び出しを受けて出掛けて行った。彼はシゾカ・シティ区域代表の総会評議員なのである。
  まったくだし抜けに臨時総会が招集された。……もしかしたら冴夢の予感も、何かその事に関係があるのかも知れない……。
 彼女は再び目を閉じて意識を瞑想レベルにまで拡大させた。自己の内外に漂う全ての情報を捜査・点検して、何とか一刻も早く不安の源を突き止めようとする。
もうこれで朝から幾度目になるのだろうか? 日頃の“祈り”でさえも実の所は医師から止められている程精神の統一を必要とするものなのだが、それでも今日のこれの比ではない。だが冴夢(サエム)は、例え著しく精神エネルギーを消費してしまう幽体脱離や未来予知を行なわねばならない事になろうとも、必ず自分が感じているものの正体を見極めて見せるつもりだった。
夫が留守であってかえって良かったのだ  彼女は息を緩めたほんのちょっとの隙に、自分のふくらんだ腹部に手を重ねて思う。
心配して必ず止めに来たであろうから。
 彼女  蘭冴夢は、様々な意味での素晴らしさを併わせ持つ女性だった。
“地球統一者”である、かの人リースマリアルが四十二歳の若さで他界されて十年。今、地球及び太陽系内・系外の何処を探そうとも、冴夢より深い教養と天性の気高さとを維持している者は他には居ない  と、病弱の為広く世間に出る事はせずに家に引きこもって暮している彼女に対して、名だたる学究や施政家達が賛意をおしまない。
まれにその風評を聞きつけて、若さにまかせて彼女の実態なるものを観破すべく押しかける若者達も存るが、その大半は以後彼女の謙虚だが決して物事に動じない静かな眼の色に魅かれて、秘かに師と仰ぐようにさえなるのだった。
 滅多に汗をかく事のない彼女の全身がじっとりと重く熱い湿り気を帯び、レッドアウト寸前になった額を指で支えながら、冴夢は懸命に整息法を行う事によって失神状態に陥いる事を防ごうとしていた。
何かが「見えた!」と思った瞬間に、心臓発作が彼女を襲ったのだ。「何か」は一閃して水面下に消える銀のうろこの魚のように、彼女の心の届く範囲からは姿を消してしまっていた。おそらく二度と再び捕える事はできまい。
 彼女は「絶望」に近い感情の逆巻きに足をとられてしまった様だった。
“何か”  がやって来る。何かとてつもない大きな波動、歴史を揺り動かす嵐のようなものがやって来ようとしているのだ。その最初の波は彼女をその渦動の中に抱き込み、未だ胎内に眠れる彼女自身の「約束の子」の一生に何か途方もない方向を付与してしまうだろう。波は今正に冴夢の頭上で砕け落ちようとしているのだが、彼女はその本質を見失ってしまったのだ  永遠に。
 ずるずると滑り落ちるように絶望の暗黒の淵に向いながら、蘭冴夢はいつの間にか泥沼の眠りの中へと引き込まれて行った。
 
 
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