(S暦中)
☆ 磯原岳人、日本を出奔。
  フリーの報道カメラマンとして第三世界諸国を遍歴。
  交戦国により「D-III」(デモン・サード)薬品を散布されて
  不毛の荒野と化した砂漠地帯で遭難。
  《水の娘》に出逢い、救われる。
  (※清峰 鋭 、1988生まれ。>大地世界シリーズ

(慶賀1年)
☆ 《白》の一族の《五人目の》(ミーニエ)・マリセ、
  (キリスト教式の洗礼名はマリア・ブランチェスカ)、
  UNESCO所属の野戦看護婦として岳人に出会い、懐妊。
  磯原夫人として日本国へ渡る。
  正式名称:ミーニエ・マリア・ブランチェスカ=マリセ・磯原。

(慶賀2年)
☆ 磯原夫妻、横浜の古い洋館を譲られて入居。長男・広、生まれる。

(慶賀3年/緑慶元年)
★ 日本国に(右翼による)クーデター勃発。左翼政権粛正される。
  4月〜7月中、戒厳令。
  天皇急逝、元号変わる。
  外国人登録法改悪、国民総背番号制開始。
  課税強化及び徴兵令公布、県境移動監視法施行。
  在邦他国籍人、多数検挙される。
☆ 磯原家次男・高、生まれる。

(緑慶3年)
★ クーデター派粛正。国会制度復活する。徴兵制度廃止。
  在邦他国籍人の(自主的)国外退去始まる。
☆ 磯原家三男・厚、生まれる。
  岳人、私立明野森高校に英語科教師として就職。

(緑慶4年)
☆ 9月16日、会田正行、生まれる。
☆ 1月 1日、杉谷好一、生まれる。

(緑慶5年)
☆ 10月10日、磯原 清 、生まれる。

(緑慶6年)
☆ 2月 3日、栄田晴樹、生まれる。
☆ 3月20日、杉谷優実子、生まれる。
☆ 春、磯原家に厚積 透 (あつもり・とおる)5歳、来る。
  磯原岳人の私生児(?)として引き取られる。
 
 
(緑慶10年)
☆ 杉谷好一(5歳)、栄田商事の会長を射殺。NYへ移住。

(緑慶11年)
☆ 好・ユミ、NYにてエイミと暮らし始める。
☆ 清(5歳)、P能力を周囲に否定された事により発病、入院加療。
  回復後、剣道を習い始める。

(緑慶12年)
☆ 清、小学校入学。
☆ 栄田未亡人、投身自殺。晴樹、施設へ引き取られる。
 
 
 
(緑慶15年)
☆ 清、混血であることからイジメに遭い、登校拒否症状出始める。
  (4年生)
☆ 好、チャイナタウン周辺に出没。老李(ラオ・リー)と知り合う。

(緑慶16年)
☆ 清、完全に登校拒否。
☆ 杉谷良一氏の企業抗争激化。ユミ、狙われる。

(緑慶17年)
☆ 磯原家、転居を決意。
☆ 杉谷兄妹、日本国へ帰還。ユミ9月度より5年生に編入(本当は6年)。
☆ 好、沢木兄弟と知り合う。

(緑慶18年)
☆ 清、小学校卒業。大野市へ転居。
☆ 岳人、大野学園中等部に就職。
☆ マリセ、養護施設に勤務。
☆ 広、京都の大学へ入寮。
☆ 高・透、横浜で下宿生活開始(温高3年)。
☆ 厚、大野学園高等部へ入学。

☆ 4月8日、清、大野市立第二中学校、1年Bクラスに初登校。
☆ 4月10日、好、大野市立第二中学校、1年Bクラスに初登校。
  (この日は清は欠席だった為、結局二人はスレ違う)。

☆ 5月、サボタージュ同士の清と好、意気投合(?)。
  清、磯原家を初訪問。ユミ(6年生)と出会う。
 
 
原場(はるばる)遺跡 > 謎ヶ辻
 
踏み抜くと還って来れなくなる伝説

流女(ながるめ)……うろこもの
留女(とまるめ)……こうらもの

(善野市街部地図=部分= ※旧版※ )

| |                      至・二面戸町>
| |   謎が辻(山殿)
| |              ●            善
| |             雷神宮           野
|善|                           間
|野|     原 場            日      道
|完|                   
|道|                   の
| |善野学園
| |(高等部)  善            代
| |         
| |        野           川
| | 
| |          森  ★杉谷家
| |(中等部)            
| |          (神道)    ○市立二中   
| |                          五
| |                 ☆会田城趾    芒
| |                  ★会田家    山
| |                       
| | ●実神宮   絹産団地      ●白鳥天宮 ●月神宮  

                       ★磯原家

              ■善野駅  善野環道   ●七木宮
                           ☆七木家
                   問町商店街 

                              善
旧田(栄田工場団跡地)                   野
                              巻
               ●晴神宮           道
新住宅  ○市立三中
                       至・海口>

 
 
★ 善野近代史(戦争体験)
   ……おおし馬の供出
   ……ロシア軍捕虜の会田家先々代。
   ……竹中老は片腕をなくす。

★ 栄田と杉谷の確執……ついに殺人に至って幕。
   ……栄田染色による水質汚染
   ……杉谷は<水と風>にとっては恩人。

★ 杉谷良一氏の一代記?

★ 第二中央道計画……それに便乗する杉谷観光
   ……反対運動・他市と連携
   ……磯原先生の御協力

★ 沢木の双子による監視(測量と、その阻止)
   ……そめや・しのぶ(しめごし)

☆ 清、四人組となじむ。……カスミ月原
☆ 清、「禁」について知る。……無名鬼宮

☆ 杉谷好一……日本に強制送還?>なんで?>ゴミソイソイ?
   ……殺人の件は?

☆ 子どもの頃から繰り返し、
  「自力で秘密に行きつく者は
   すべて善野の味方である。」 ??
  
 「えな、納得行きまっせん!」

 気が立ったのか、ずいと立ち上がり、忍が息まいた。

 「栄田の晴樹(はるき)も友達ですが、それとこれとは別です!」

 そもそも当の事件の詳細を、そのころ子供であった自分たちは知らされてもいない。何の説明もなく、ただ付き合うのを禁じると言われても……、

 かつて家が近くて遊んだ記憶を残している者は、自分と同じ世代には、多い。

 せめて納得の行く説明をと締めくくり、非礼を詫びて腰を降ろす。

 そうだそうだと、周囲にいた同世代の……警護衆としては最年少である……子供らが、意見を同調させた。

 む……、と。

 困りこむのは長老衆である。

 「青(わか)ん衆(し)な懐柔(てぇなず)るま巧(うま)ぇな、父親と一緒なやぁーっ!」

 昏い響きのからかいが投げられた。

 「……俺らも正確なところは知りません」

 その頃ちょうど留学中だった沢木の双子も、言われてみれば噂の積み重ねばかりで、事件を直接知る者からの詳しい話は聞いた事がない。

 しかもその噂の中には当時五歳だった好一自身が父の猟銃を使って誘拐犯人を射殺したのだとまで無責任な尾鰭が付いている。

 確かに山林に囲まれている善野には猟銃を所持する者も多く猟友会もあり、邦彦とてそこの会員ではあるが。

 わずか五歳の子供の手の届く所に猟を置き、あまつさえその扱いを教える親などいる筈もないし。

 仮に万が一うわさのほうが真実だったとしても、それは立派な正当防衛ではないか……。

 (後日、「せやからアンタ達を担任に付けたんやもん」と、二中の職員室で、あっさり学年主任は言ったものだったが。)
 
 
 
 「せぇなや。あぃな、流女様(ながるめさぁ)やぃ聞(み)いた事(うら)……、心静(しんしず)るぅなや、聞(み)ぃなや良(あ)ぁ」
 媼(おな)さまが、静かに言いおいて語りはじめた。
  
     ☆
  
 その話は、戦後まもなくに遡る……。

 過労により脳梗塞で早逝した壮一との跡を継いだ、

 ここ数十年で飛躍的に事業を拡大し、法すれすれのきわどい商法でもって成り上がった杉谷貿易(株)の代表取締役は好一の父親である良一だった。

 この町の中でも、ひどいスキャンダルを起こしたのは、十年近く前になる。

 杉谷グループの強引な攻略に負けて買収の憂き目を見た、おなじく八十一家の一員である栄田商事は、しかし当初は、外界の他の会社に吸収合併されるよりは同じ野者の杉谷のほうがと、楽観的に考えていたのである。

 栄田は会田の分家に当たり、それだけ主筋の間に近い。

 けれど借財の取りたては苛烈を極めるほどで、苛瞼誅求とさえ称された。

 「裏切りもの!」と、この対応は、野者から糾弾されることになる。

 時代の流れについて行かれずに酒に依存する傾向の強かった、栄田の当時の若社長であった御曹司は、身代のすべてを奪われると知って逆上のあまり。

 猟銃を持って杉谷の留守宅に押し入り、まだ幼い二人の子どもをタテに取って、要求を遠そうとしたのである。

 善野という土地の閉鎖性に甘えた行動では、あった。
 
     ☆
 
 「大人しくしろ」

 そのころその家には鍵をかける習慣はなかった。南に面したフランス窓から、覆面をした男たちは、ある日とつぜん押し入って来た。

 わずか三歳の妹が泣きじゃくるからと言って壁にぶつかるほどひどく蹴りつけられて。

 自分の悪行も大勢から恨みを買っている事も自覚していた杉谷良一の子育ては苛烈を極め、当時五歳に過ぎなかった息子にも、すでにして一通りの護身術や武器類の扱いを教え初めていたほどで。

 (もともと良一自身が警護衆の中でも腕利きの戦士であった)。

 子供ながらに明確な殺意があったのか、それとも脅してみようというだけの子供らしい無思慮な行動だったのか。

 「ユミ、目ぇつぶってろ!」

 父親の手入れするのを見慣れていた猟銃(違法改造の散弾銃)を打ち放した好一は、悪質な誘拐犯を自ら撃退した英雄では、あったのだが。

 いまだ血まみれで遺体も転がったままの自宅に急を聞いて駆け戻った父親は、妹を守って戦った息子を抱きしめ、よくやったと誉めた。
 
     ☆
 
 五歳の子供が殺意を主張したとて外界の法に照らせば罪に問われるはずもない。しかし人の口に戸はたてられず、狭い善野にこれ以上は、住んではいられなくなった。

 ちょうど世界市場へ打って出る計画中を進行中だった父親につれられて、アメリカへ渡って行って十年近く音沙汰もなく、旧藩時代の士族の邸宅が集まる住宅地のさなかにあって、杉谷家の本邸は、なかば幽霊屋敷と化していたのだが。

 何を考えたのか、昨年の秋にひょっと兄妹二人だけが、市外で雇った住み込みの家政婦を連れて戻って来て住み始めた。

 アメリカで敵を作りすぎて家族の安全を慮んぱかったのだとも言い、恥知らずにも御々十三斎に参加させようとて送り戻したのだとも言う。

 明確な敵意を持つ旧・栄田系の親族と、どう対応したらよいか判断しかねる他の氏族の曖昧な黙殺の中。

 わずか三歳で母国から切り離されて日本語さえおぼつかない妹は、しかし本人には全く罪もない事とて、小学校ではぼちぼち受け入れられていると聞く。

 問題は、みずからの意志で殺人を犯したと、五歳にして大人に負けず冷静に主張していた兄のほう、その天才が善野の基準で言えば大罪人である良一にうり二つだとささやかれる、好一なのだった。

 やそかみやは感情的なことは各家で判断せよ。このかみやは別の考え方と立場がある。
 
 
 
     ☆
 
 
 五月のことだった。

 クラブ活動が始まって下校の遅くなる出来良と勇二とはしばらく別行動で、千や博文と一緒に本屋や図書館通いの日々。

 なまじ外遊びの楽しさに味をしめただけに屋内でおとなしく過ごすのにも飽きてしまって、もう少し、身体を動かしてみても良いかなと、考え始めた頃。

 連休のあいまの飛び石の登校日、今日は体調が良いからと言い張ってほんの五分ばかり体育の授業に参加してみた虚弱児は、やっぱり午後から少し熱を出してしまった。

 今日は部活が休みだという出来良や勇二ともせっかく久しぶりに一緒に遊べるのにと悔しがり、母が留守にしているので自宅に帰って一人で寝ているのは心細いとも、言う。

 しばらく保健室で清を休ませながらの巨頭会談のあと、一番広い千の家に全員で立ち寄って、釣りでもして時間を使おうじゃないかと、そういう話になった。
 
 
 千の自宅・七木家の屋敷は五芒山(ごぼうさん)を大回りにする公道そいの巡回バスなら二〇分、清の家をも通り越した反対側の、二中の通学範囲としては一番遠くにあたる、森のきわである。

 土地の林業の総元締めとて、総桧づくりの大きな邸宅に、ため息をついて見とれ。
 
 屋敷うちの秘め宮である《無名鬼宮》(ななきみや)の建築様式を見たいと騒ぐ。ねぇねぇねぇのお願い攻撃に負けた千が巫女(みやご)さまに頼んで、滅多に開かれる事のない宮の門扉を、特別に開けて貰った。
  
 ひとしきり感動して騒ぎたてた清は、どうやらその事で最後の体力を無駄に使ってしまったらしい。

 砂利敷きの小道を歩いて千の私室のある離れに辿りつくなり、いま客布団を敷いてやるからと声をかけるのも耳に届かない風情で、そこらにあったクッションを枕代わりにくうぅと寝入ってしまった。
 
 
 そうなると、暇になるのは残りの四人である。

 そばで騒ぐわけにも行かないし、置いていくのも不憫だし。

 やがて、しょっちゅう出入りしている出来良のほかの、遠縁にあたる勇二と博文に会いたいと、寝たきりの七木の大媼様から呼ばわりの使いがやって来た。

 大媼様の説教(くりごと)は、長くなるので有名である。

 これは当分帰って来ないなと見当をつけた千と出来良は、ちょうどよい機会とばかりにかねて懸案の内緒の相談を始めた。

 雑然と積み上げられた本棚のほかには意外に片づいた千の部屋。

 地図や資料を引っ張り出して、ああでもない、こうでもない。

 ときどき見やると清は寝返りを打ちつつ幸せそうな顔で。

 やがて、二人の足音とにぎやかなブータレが聞こえてきて、慌てて散らかしていた資料を机の下に押し込んだ。
 
 
     ☆
 
 
 「……ねぇねぇ、ゴミ削(そ)ぎ削(そ)ぎの金曜デイって、なぁに?」

 いきなり上がったとんでもないセリフにぎょっとして見やれば、大人しく熟睡しているとばかり思っていた清が寝ぼけまなこをこすりつつ、もそもそと起きあがってくるところだった。

 「ゴミ、そぎそぎ……?」

 聞き慣れない発音に博文が一瞬理解をしかねると、

 「あのね、出来良がね、えーっとね、」

 寝起きのすこしかすれた声で、舌たらずに説明しようとする清に、

 「……駄目(でぃ)だ(や)ぁっ……!」

 黙らせようと派手に叫んだのが出来良、往生ぎわよく頭をかかえこんで博文の攻撃範囲からいち早く逃げ出したのは、千のほうであった。

 回転数のはやい頭でもって一瞬後には隠されていた話題を理解したクラス委員は、

 「お前(あれ)らー! 神妙(おんな)しぃ出削(いそ)ぎすでぃやらんやっ?」

 「しかも外来(そとくぅ)の清にその話を聞かせただぁ?」

 どかんとばかりに出来良の頭上に通学カバンを投げつけた。

 「誤解だっ、寝てると思ってたんだっ!」

 怒鳴りかえした出来良がプロレスわざで応戦して、あとはもう泥沼。状況はよく判っていない勇二がとりあえずと手近のウチワを手にとって、(プロレスなのに)行司のまねごとを始めた。
 
 
 
 〈御々十三斎〉は事実上の善野の成人式である。と、いうのに、この二人の子供である事といったら……。

 自分の事は完全に棚に上げておいて千は一人でため息をついた。

 清もそうだが、本人はここで生まれ育ったとは言え、父親の代にここへ移って来た横川クリーニング店の一人息子である勇二も善野式の分類法では〈外来〉のうちである。

 その二人の見ている所で安易に口にする奴らがあるかい。

 ……ここまで騒がなかったら胡麻化しようもあったのに……。
 
 
     ☆
 
 
 《御々十三斎》(ごみそみそぎ)は善野でも特に大事なしきたりの一つで、毎年冬から秋にかけて行われ、〈八十一家〉(やそかみや)に属する旧家の子供たちは男女を問わず、善野式の数え年で十三歳になれば、必ず参加する習わしだ。

 初めの数度はいわゆる座学というやつで、〈八十一家〉を束ねる〈九上家〉(このかみや)の長老たちから口伝を聞かされて、どのぐらい内容を覚えられたか試験までされるという、けっこう責め苦な行事なのでもあった。

 問題は、それが近年では毎月一回、日曜日の昼間にやるというところにあって。

 戦国や江戸の昔はいざ知らず、今の善野には外界(そと)とのつきあいだってある。とくに困るのは部活に燃えている者が、対外的な試合の日程と重なってしまった場合だ。

 泣くなく出場を諦める穏健派もいれば、《御々十三斎》から脱走する悪童もあり。

 どちらにしても悲喜こもごもなその選択の結果については、いまだ十三歳に至らない子供たちには尾ひれ背びれの恐怖をはやし、漠然とした噂が流布されている。

 そして。

 さぼった結果の罰則について、どうしても承伏が出来ないという者たちは。

 毎年のように、やってはいけないカンニング、《御々十三斎》の掟破り(きんやうでぃ)の徒が、出現したわけだ……。
 
 
 七木 千 (しちき・せん)は正月早々にラジコン飛行機の全国大会で、惜しくも優勝は逃したが少年の部の銀賞を取り、よって〈斎〉(そぎ)の日のそれも大事な第一回を堂々とサボタージュしたわけで、来年の一歳遅れの組に落第と、大人達の意見は簡単にまとまった。

 これは幼なじみ同士の競争意識がつよい善野においては本来かなり不名誉なはずの処分なのだが、もともと千はいたってマイペースな性格で、文句もなく淡々と従うつもりでいたので彼については大事はなかった。

 (場合によっては来年の〈斎〉でさえラジコン大会の前には優先順位が負けるのではないかという、伝統行事に対して今どきの子供が示すクールさについての、一部の大人達の苦笑まじりの危惧なら、もちろんあったのだが)。

 問題は、この六月に一年生ながら相撲部の県大会へと出場を決め、例年のように優秀な戦績を納めて来た、出来良(できら)家の名物末子(しめご)の、了(りょう)だ。

 負けず嫌いの彼のこと、小学時代以来の県下他市のライバルから「出場も出来なかったのか」と嘲笑されるよりはと彼なりに深刻に悩んだすえに敢えて〈斎〉の日を捨てたはいいが、結果、何人もいる同い歳の従兄弟や従姉妹たちからは、「やぁし落第坊主な!」と、さんざんに揶揄(やゆ)される仕儀となった。

 千は出来良のまきぞえを喰ったのである。
 
 
     ☆
 
 
 「つまりは、宝探しの謎ときの一種だと思え」

 善野のしきたりを始めから全部説明しようとして余計に話をややこしくした博文と出来良と、要領を得ない物語にますます頭が混乱して来たらしい勇二と清の顔を見て、内心で頭をかかえた千はようやく、まぁまぁとばかりに話に割って入った。

 「自分で探しちゃいけないと言われているけれど、大人にバレて怒られる前に、答を見つけてしまえれば、こっちの勝ちだ」

 意外なところに転がっていた「宝探し」の大冒険ネタに、わくわくっと大きな目を輝かせて身を乗り出したのは清である。

 なにしろ長期入院中の退屈は、その手の本ですべて埋めていたという、欲求不満の持ち主だ。

 「無理に参加しないほうがいいぞ。」

 外来者が十三の歳にごみそみそぎに参加できるかどうかは、毎年の秋にやそかみやの長老たちの会議で決まるのであるが。

 秋生まれの清や勇二には、まだそのチャンスがあるかも知れない。

 いま自分たちの騒ぎに便乗してその資格を失うことになったら逆に損だろう。

 千が落ちついて説得に当たるが、清は参加資格の計算方法を聞いて、少し困った顔になり、下を向いてウフンと笑った。

 「でも俺、行けるかどうかも解らないのに、一年も我慢できないなぁー?」

 一瞬の表情にまわりが違和感をうけとる暇もなく、好奇心むきだしの顔で参加を申し立てられては、断れたものではない。

 結局、博文も勇二もひきずられてしまい、総員がかりの〈内緒ぅ事〉となったわけである。
 
 
     ☆
 
 
 
 
  
 
 たまたま相撲部前の廊下でくりひろげられた壮絶な親戚ゲンカを、止めに入りもせずに見聞した後で。

 あれは絶対に切れるやらぃと、生徒たちからは強面(こわもて)と恐れられているが実はたいそうな笑い上戸でおもしろがりやの邦彦は、大きな手のひらで自分のアゴをしっかり押さえつけながら、グフグフ楽しそうに報告に来たのである。

 相撲部室前の壮絶な親族ゲンカを見聞きして、民彦に報告いていた邦彦は、やっぱり切れると思っていたぜと、実は笑い上戸の顎を必死で引き締めて、どうやら磯原や横川までまきこんでしまったようだと報告の続きを届けた。

 邦彦は担任もってないので比較的ひま。

 シメゴシの組織は善野中にあるので、連絡を待っているだけでも結構情報は入る。

 出来良のなれない読書。

 清が意外に詳しい。

 外来の清に善野を案内するという名目で、いたる所に顔を出せるというのは意外な効能だった。

 「案内してるんでーす」

 「そうかぁ、がんばってなぁ」

 見え透いた言い訳に陰で笑いを噛み殺す沢木の双子であった。
 
 
 
 
 


 
 
 じぃーわぁー……、じぃー……、

 わぁー……

 気の早いセミたちが梅雨のなかぞらの蒸し暑さを盛りたてている。

 裏山に繁る夏木立のうえ、蒼天に雲の流れるさまを、二階の窓際にひっくり返って見るともなく目を開けて、ごろごろしていた清は、

 「こーあーらぁーっ」

 表の道から遠慮なく呼ばわる声に、ぴょんとはね起きた。

 「コアラじゃないわいっ」

 窓から乗り出して叫ぶなり、いま行くとも言わずに身をひるがえして階段をかけ降りる。

 越してきて三月あまりであきれるほど元気になったと家族の目を細めさせている清は、裏庭で洗濯物を干していた母に、

 「かぁさーん、出かけて来るっ」

 短く告げながら冷蔵庫から手作り弁当を取り出して、たったと玄関へ向かった。
 
 
 
 ここのところ一年三組ではカタカナ名前が流行している。

 例えば名字が高橋だったら単純しごくに〈タカハッシー〉とか、出来良はなぜだか〈デキラー総統〉だとか。

 くだらないモジリを入れては面白がって、呼びあっていたのだが。

 清の姓の〈磯原〉は、早口の善野なまりで発音すればイとHの音が抜けて〈ソアラ〉になるが、これは野者の方言では、〈外荒〉(そとあら)つまりヨソモノで、野蛮人とかの意味もある。

 気が強いわりには繊細な神経をしている転校生のアダ名としては使えないぞと、しばらく協議の結果。

 さらに子音を入れ換えて、とある南方産の草食動物と同じ名前で呼ぼうじゃないかなと、最初に思いついたヤツは誰だったのか。

 あまりにぴったりだと喝采を浴び、あっと言う間にクラスに広まって、今では職員室への呼びだしにさえ使われているような普及度である。

 茶色い肌と黒い眼の女顔で、「かわいい」と評されてしまう外見の相似は、まだおくとして。

 しょちゅう貧血を起こしては“おんぶおばけ”と化して保健室に運ばれているイメージまでもが含まれているのは言うまでもなく。

 ちょっとばかりは屈辱を感じてもいる、清なのだが。
 
 
 「来(らぃ)た来(らぃ)た」

 「遅やぃ、コアラぁ」

 「だから俺さまはコアラじゃないぞ〜っ」

 すでにして抗議するのは本人ばかりなり。

 それだって本気でいやがっているわけではないのは見ていれば解るので、もはや周囲は笑って取り合わない。

 ガチャンと自転車の脚を蹴り飛ばし、一向は北へと向かった。
 
 
     ☆
 
 
 ……〈謎が辻〉探検隊。

 今日の目的地はそういう事だった。
 
 
 善野盆地の市街の北方には、戦後しばらくの開発ブームにも関わらず手つかずで残された、みごとに何もない荒野が広がっている。

 戦前には軍馬として徴用される運命の小型馬の放牧地だったが、耕作地として開墾がされていないのも、その故である。

 野生化した馬が何頭か、群れを作って暮らしているとも言うが、確認はされていない。

 〈原場〉(はるばる)と呼ばれるそこは根雪も凍る厳冬期には、模擬合戦から犬ソリから、ありとあらゆる遊びの場になるが、

 梅雨あけも間近となれば子供の背丈を軽く越す、カヤやヨモギやホウキ草、育ち過ぎで熱帯雨林のミニチュア状態と化した草の原は多彩な植生で埋め尽くされていて、とても子供の身長では、踏み込めた土地ではない。

 そのくせ何十年も放置されているくせに、なぜか背の高くなる樹木の類は育たない。

 たまに彦ばえが芽ぶいているのが原野のふちから望見されたとしても、それが三mほどにも育つ頃には冬の雪やら秋の大風やらで、必ずと言っていいほど倒れてしまうのである。

 地層が浅くて根が張れないのだという、大人の説明がつけられてはいるが。

 あえて探検に乗りだした子供らが堅い地面を根性で掘り返してみると、草の根がギシギシにからまりあう数十センチの痩せた土壌のその下には、けしてシャベルの歯も立たない謎の金属床が広がっているのだとも、いやいやうっかり掘り抜くと底無しの暗黒穴が口をあけて、不届き者をぽっかり飲み込んだまま知らない顔をするのだとも、ささやかれてはいる。

 事実、十何年かに一度は行方不明の子供が捜索される騒ぎになって、そうした子らが発見されたと警察に届けの出た事は、かつてない。
 
 
     ☆
 
 
 善野盆地の中央を流れる日の代川が長い年月の間にも削り残した堅い岩盤を主体とする小高い丘に登り、西に広がる原場を見おろしながら、そうした説明を清が聞いたのは、夏休み早々の晴れた日のことだった。

 一向が丘に登ってしばらくすると、地元の媼様が孫のみやごの手をひいて丘の上の小さな社に上がってくる。

 たしか〈八十一家〉で見たことのある顔だったと記憶力の良い千が、

 「小母(おな)さぁ、今日(えぃ)ま良(ああ)やぁ」

 きちんと挨拶すると、

 「良(ああ)やぁー?」

 のんびり声をかけ返して、微笑みながら社に向かった。

 社の五本柱の真ん中に黄色い旗をてっぺんまで揚げて、何の願かけなのか熱心におろがんでいる。

 その耳に入るかも知れないと思うと、そこで禁やぅでぃの話をするわけにも行かないので、場所を変えようということで、

 そうした話を聞きながら、縁辺の小高い丘に登って測量のまねごとをしていた清は「あれっ」と気がついた。

 「ねぇねぇ、あれ……」

 指さす方向、原場のまんなかを、恐れる風もなく一人で歩き過ぎて行くのは見知った顔である。

 「でぃー、杉谷やぃ」

 「あん所(ばる)なぁ、何(みゃぁ)やらぃ?」

 一年三組に在籍している更に最大の問題児、入学式からこちら一日たりともまともに出席した事がないという、杉谷好一の、大人なみに背の高い姿であるのは望遠鏡でも確かめて、間違いはなかった。

 事情をほとんど知らない清から見れば、混血のうえに登校拒否をしているという、自分とずいぶん似たヤツである。

 「もしかして、あいつも〈掟破り〉(きんやぅでぃ)をしてるんじゃない?」

 思いついたという顔で、わくわくと眼を光らせて清は言った。

 もしそうならば合流して、一緒に探検が出来るじゃないか。

 残りの四人……、杉谷が学校へ来ない詳しい事情を知る野者は、それを聞くなり一斉に首を横にふった。
 
 「駄目(でぃ)!」

 叱りつけるように言われて清は目をみはる。

 「……なんで?」

 「多分あいつは〈村八分〉(そぎのけ)の扱いだと思う」

 ちゃんと聞いたわけではない勘だがと、例によって大人たちの会話の断片から推理を組み立てていたらしい千が、それ以上の説明はせずに難しい顔でうなる。

 それってイジメの一貫ではと、自分にはこんなに優しいクラスメイト達の意外な言動に、元・登校拒否児がおびえたような困った顔をして黙りこむのを見て、博文は慌てた。

 「そんな可愛い性格じゃないぞー」

 なにしろ原チャリでさえない二五〇ccのバイクを無免許で公然と乗り回しているヤツである。

 清の感覚では横浜あたりの繁華街では、さほど得意な光景でもなかったのだが、ここはのどかな善野である。

 本人もこちらを馬鹿にしているのだから。

 恐いやつ、悪い噂のあるヤツなんだから。

 けっして構いつけたり秘密を打ち明けたりするなと、厳命されて仕方なく、約束はしてみる清である。
 
 
 
 
 
 孫とおぼしい童女が追いかけて来て、黒キイチゴの早熟の取れる場所を教えてくれた。

 丘の上から原場の地形と方位を確かめたあと、四人は日の代川の河原で弁当を使い、上流へと向かった。

 社の周囲の高さ2mばかりの例の五本柱に、四人の去った方向に黄色い布を半旗に掲げかえる媼の姿があった。

 もう一枚、原場の方向へも、半旗をつけて加える。
 
 
     ☆
 
 
 その杉谷好一は、遠目には無造作に見える歩きかたながら、足元に十分注意を払いながら、(まさか地雷は仕掛けてあるまい)、善野観光パンフレットには申し訳のように名前だけ並べてある「善野九不思議」の一、〈謎が辻〉の在処を求めているのであった。

 これだけ格好の遊び場でありながら子ども達からは禁断の領域とされている原場の、さらに東北辺、日の代川上流域にある白鳥天宮の御料林と境を接するあたり。

 とだけ記されていた場所を特定する為に、実は先刻まで清たちと同じ丘の上に登って方位を調べていたのは同じ行動だったのだが。

 時折り狂ったように震える方位磁石はあてにせず、

 黒々と艶を帯びていくらか粗い手触りの表面は、どう見ても金属としか思えないが、上に積もった苔や泥の厚さと、さらにそれがここのところひんぱんに降る酸性雨に冒されている様子もうそではない。

 にもかかわらず、まったく赤錆びてもいない。

 「まさか……隕鉄か?」

 インドあたりの謎の遺跡にあるという、けして錆びない金属柱の写真を思い出して、好一は首をかしげた。

 書いてある文字は古い自体でこう読める。
 
 

     誰 夢 明 日     

 
 
 
 「江戸時代初期に建立されたと覚しいこの石碑に記された文字は一つは「誰か明日を夢みん」と読み、残りは今日では判読不明なるも、厳しい山越えをして交易の旅にでる者たちの無事を祈る言葉であるだろう」と。

 こんな所まで足を運ぶ物好きな観光客を想定したわけでもあるまいに、ごていねいに解説が記されている。

 真新しい(少なくとも立てられてから数年以内の)しゃれたデザインの案内板を見て、いくらか頭痛を覚えた。

 誰が何の意図で散りばめている冗談なのかは知らないが、どうも知らずに罠に陥っているような、誰かから監視されている気もして首筋でちりちり警戒警報が鳴っている。

 曇りはじめているので太陽で方向を測る手段が使えない。

 これまでかとあきらめて東のかた、だいたい日の代川の方向へと見当をつけて向かった。
 
 
     ☆
 
 
 丘のうえにある社の柱に、二枚目の黄色い布が東をむいて掲げられるのを双眼鏡で確認し、市街地方向へ去ったと了解して、民彦はむしろ残念そうに呟いた。

 「惜しいっ、まっすぐに北上してりゃー」

 監視にまわっているバードウォッチング仕様の民彦と邦彦。

 「こう毎週、監視をしてたんじゃデートの暇もありやしない」

 「相手(あて)もおらでぇ、見栄な張りでやぁー」

 わざと善野の言葉を使い、そらっとぼける弟に、ガッシと肘鉄をくれて。

 野っぱらの真ん中で、いい歳をした三十男二人は、ぽかすかと兄弟げんかを初めたものではあった。
 
 
 
 
 
 
     ☆
 
 
 旧街道に沿って発達した問町(といまち)商店街のはずれに位置する市立五小の職員室で、ここ数年来「いつもの四人組」と言えば、高橋博文(ひろふみ)と七木千(しちき・せん)、横川勇二に出来良 了 (できら・りょう)からなる、幼なじみの一団で。

 学年ごとの行事はもとより大仕掛けなイタズラ騒ぎのたぐいの時には必ずいつも真ん中にいて、盛り上げついでに行きすぎないよう仕切り役をも果たしてしまうという、たいそう大人うけの良い名物連である。

 その子供達がこの春先に、そっくりそのまま二中に進学し。

 そろって同じ三組やぃと喜んだのも早々に、いつのまにやら五人に増えて、朝な夕なに連れだって歩く姿がひとの耳目に慣れたのは、入学式から十日ほど、卯月も半ばの頃だった。
 
 「磯原君(いそはらぁさ)、今日(えい)なカスミ月原(つくばる)な廻(むあ)って帰らぁし?」

 神経の細いらしい転校生がきょうは誘って貰えないのかと不安げな顔になる前にと、HRが終わると同時にまっさきに呼びに来るのはたいがい面倒見のよい博文である。

 清がはじめのうちは一人で通っていた公道沿いは遠まわりのうえに、車が多くて喘息持ちには決して良くないと、最初に気がついて声をかけたのも、彼の功績で。

 地元の野者(のもん)でさえ時々は迷うという網の目のような善野の小路や細道を、あちなこう、こちなこうやぃと教えては、毎日いろいろな場所を散策しながら戻るのが、新入生の所属クラブが決まるまでの短いあいだ、彼らの日課になった。

 この四人組、なぜか一人っ子と末っ子ばかりであったので、二回りもからだの小さい異邦人にあれこれ世話を焼いてみせるのが、弟ができたみたいで嬉しかったのである。

 本当なら中学二年になっているはずの実は一歳年長だとは、落第坊主もなかなか白状できないでいた。
 
 
 「……今日(えい)ちょっと体調よくないシ」

 はやくも伝染しはじめた怪しげな善野なまりで、清が困って応じると、

 「そんなの(なぁが)知ってやぃ。カスミ月原な、内緒ぅ近道なや」

 ヘヘンと笑って清のカバンを持ち上げると、勘のよいマイペースな千(せん)がさっさと先頭を切った。

 〈内緒ぅ近道〉とて彼らが言う場合、多くは他人さまの庭先の無断通行だと、案内される側が理解したのは数日まえである。

 「……まぁた生け垣とか、よじ登ったりするのぉっ?」

 感情が動くとすぐに戻ってしまうカン高い横浜なまりの語尾を、テレビ言葉なやぃ」と呼んで何だかおかしそうな顔をする四人は、
 
 「今日(えい)はでぇやい」、つまり「やらない」と請け合って、ずんずん歩いて行った。
 
 
     ☆
 
 
 わさりわさりと厚く積もった去年の朽ち葉を踏み散らす。今日の通路は梢の風に金緑の萌芽がひるがえる、雑木林の踏みわけ道だった。

 「雑木なでぃ、母な木(ぼなぎ)な呼びやらぁー」

 ひと抱えもある銀灰色の幹がすっくり並んでいたかと思うと、その向こうには折れそうに細い彦ばえに、のしかかるような大枝の夕焼け色のゴツゴツした樹皮の松がある。

 清には樹木の種類はあまり見分けがつかないが、地元民の得々とした蘊蓄(うんちく)に耳を傾けてみれば春の蝶から夏のセミ、秋にはアケビやキノコも穫れる、とても豊かな土地らしい。
 
 住宅街から少し離れた深い木立ちの日溜まりに、いくらかの苔に覆われて素朴な句碑が配されていた。
 
 
     はるやよい
     かすみつくばる ごぼうやま

 
 
 〈カスミ月原(つくばる)〉というのは地図にある正式な名前でなし、そこを遊び場にする代々の子供たちによる縄張りわけの通称である。
 
 わさび田のあるカスミ沢、山頂ちかくの月神社(つっかんみや)、原山(ばるやま)さんちの牧草地。

 この三箇所をまとめて呼ぶからこの名になったというのが博文の講釈だったが、湿気が多い土地なので上に霞がかかる(つくばる)からだと大人達は説明していると、雑学家の千がすかさず混ぜ返す。

 そもそもが、呼び名と句碑とはどっちが先に出来たのか?

 それを言うなら句碑に書かれた「はるやよい」は標準語(?)の「春は(や)良い」なのか、「春・弥生」か。それとも善野の方言で、
 
 「夏(はる)だ(や)なぁ(よぃ)」という意味なのか……?
 
 どう思うかと不意に意見を聞かれた清は、

 「うーん……、ワカンナイ」と、苦笑してごまかした。

 判らなかったのは議論の是非でなく、早口な善野弁のほうなのでは、あったが。

 登記上の区分で言うなら善野市街の南東部を占める〈五芒山〉(ごぼうさん)の、東麓斜面の一帯。

 なるほどそこを突っ切れば南麓の谷地水(やちみぞ)あたりの磯原家の新居まで、最短距離の近道である。
 
 
 (ちなみにゴボウ山という音を聞いてしばらくの間、清はそこでは根菜の牛蒡(ごぼう)が採れるのだとばかり、てっきり思いこんでいたものだ。正しくは、神社を祀った山頂を中心に、上から見ると五筋の低い尾根が星の形に広がっている所から、この名があるらしい。)
 
 

 「晴(はる)な続かんでら、沼(ぬま)らって通(たぁ)らでやぃ」
 
 善野の子供相撲の連勝横綱だという出来良(できら)はふっくらした指をまるめて足元を指さした。

 日陰の沢地は雪解けが遅いので、春も深まるまでは湿気が残って足場が悪いのだ。

 教えられて靴の先でかきまわして見ると、なるほど乾いた落ち葉が占めるのは、ほんの地表の数センチばかり、そのまた下にはしくしくと水気を含んで黒錆びた、重たげな腐葉土層が積み重なっている。

 ここで転ぶと実に悲惨な汚れかたをするんだと、自宅からは反対方向になる“近道”に喜々としてつきあっているノリのよい勇二は、自分の失敗談を身ぶり手振りで熱演し、清を爆笑させた。

 油を含んだ朽ち葉の底はなかば泥炭と化していて、肌に染みたら容易なことでは色も臭いも落ちないものらしい。

 たいして昇って来たとも思っていなかったが、林を抜けると一望のもとに視界が広がって、清は歓声をあげた。

 三月なかばに梅が開くここでは、四月も下旬にかかろうかという今が桜のさかりである。

 善野盆地の外輪をかこむ山々からも残雪の消えたころ、銀鼠ににぶく輝く木々の樹冠のうえは日々刻々と微細な彩りを増し。

 河原の土手に植樹されたソメイヨシノとはまた違う、ひときわ白い山桜のほの明かりも、裾模様のあちらこちらに散見されている。

 鳥が梢で高く鳴き、一陣の春風がなまめいた花の香りを抱き込んで、かすかに渡って行った。
 
 
     ☆
 
 
 カスミ沢というのはその名の通り、流れが速いために気泡を含んで濁ってさえ見えるが、本当は、ごく清洌な湧き水をたたえた、幅は一. 五mほどの冷たく鋭い渓流である。

 道とも言えない落葉樹林の踏み敷きあとを抜けて、いきなり見晴らしの開けるあたりは川べりの草地になっていて。

 大人の腕ほどの丸太を三本並べて樹皮ごと縄でくくっただけの、簡素な橋がかけてある。

 「……転(てん)でぇやぁ?」

 二人並んでは通れないそれに心配症の博文から危惧の声が上がったが、苔と水しぶきで滑りやすい幅狭なそれを、しかし平衡感覚は悪くはない清は、難なく乗りこえた。

 橋から下には丸石積みで列を仕切って流水を整えた場所があって、ワサビ田を見るのも初めてな都会っ子はしばらくあれこれ尋ねる。

 橋から上に広がる斜(ずり)面は原山(ばるやま)さんちの牧草
地。

 古くは農耕や運搬に使う小型馬(おおしぃま)を代々産していたそうだが、機械の普及に流されて畜牛業に転換し、今では市内最大の乳牛牧場である。

 まだ春が浅いので牛は畜舎で飼料をはんでいる。

 谷地(やち)口にある青い屋根の加工場で自家殺菌したミルクは近隣の学校給食に卸すほか、問町商店街の一部の店でだけ、その日のうちに買うことが出来ると言う。

 家業の高橋豆腐店で、これはミルクプリンを製造する手伝い(もっぱら味見)をしている博文がつい宣伝を始めると、今度ゼッタイ買いに行くからと、清は目を輝かせて約束したものだった。
 
 
     ☆
 
 
 見慣れぬ自然の風景に、編入生があまりはしゃいで興味を示すので、ついでだから少し回り道して月神宮(つっかんみや)にも詣で、山頂からの善野の眺めも見せてやろうじゃないかという、純粋な好意から出た四人の提案は、しかし裏目になった。

 ゆるやかではあるがけっこう長いダラダラの登り坂……しかも木の根が多くて足場が悪い……の中腹三分の一あたり。

 もともと新学期が始まって以来の緊張と疲労がたまって体調の悪かった(しかもそれを顔に出さないよう我慢していた)清は、とうとう貧血を起こして、倒れてしまったのである。

 慌てふためいた四人組は、一番の力持ちである出来良の背中に清を背負わせて、おろおろしながら家まで送って行った。

 出迎えた磯原夫人に、「無理をさせてしまってすみません」と、一斉に謝ったのであるが。

 夫人は笑ってとりあわず、逆に、迷惑をかけて申し訳なかったと、頭を下げながら、

 ……こんなのは、いつもの事だから、あまり気にしないで。

 軽く告げられた言葉が、逆に四人の心臓に染みこんだ。

 幼い頃から野山で育って来た彼らにしてみれば、ただ歩き回っていただけのつもりでも、長期療養のあとで筋肉も脂肪も落ちている清にとっては、十分ハードな遊びで。

 毎日それではとても体力がついて来れないと、気がつくと同時に反省することしきり。

 ……これからもどうぞ、一緒に遊んでやってちょうだいね?

 夫人の言葉にもちろんですと、良い子の返事をし。

 天気のよい外遊びの日には清を先に図書館まで送り、夕方また迎えに行って一緒に帰らぁというパターンを定着させたのは、自分もけっこう読書好きな千の発案によるものだった。

 ……そんな風にして磯原の末っ子は、仲間たちに大事にされながら善野の暮らしに馴染んで行ったのである……。
 
 
 
 
 
 
     ☆
 
 
 善野(おおの)市立第二中学、略して〈二中〉(にちゅう)の沢木
民彦(たみひこ)は社会科教諭で、同じ学校の体育科には双子の弟・邦彦(くにひこ)教諭も勤めているために職員室ではもっぱら民彦先生で通っており、元気の良すぎる一部の生徒たちからは最近ほとんどタミちゃん呼ばわりだった。

 対する邦彦は同じ顔でもオニヒコ扱いで、とりわけ顧問を務める武道系部員からはひたすら畏怖されて崇拝さえされている。

 僕はいまいち貫禄が足りでやぃと本人苦笑しながらも、生徒たちに慕われて楽しく天職にいそしむ民彦の毎日だった。
 
 
 沢木はいちおう善野では最も古いとされる家柄〈八十一家〉(やそかみや)の一員で、本家の名字は〈簑作〉(さわぎ)と書く。その血縁(ちながる)の、長男(かみご)である。

 放課後の職員室に民彦を、ある日ふらりと訪ねて来たのは善野郷土史資料館のヌシと称して親しまれるゴマ塩あたまの人物で、ほかの用事のついでのように、出された渋茶を飲みほしながら席をたつ最後になって、さらりと本題を伝えていった。

 「今年(えな)も(ま)懲(こ)りでやぃ《御々十三斎》(ごみそみそい)な禁やうでぃな、出(い)ゆるやぃ」

 ニヤニヤ笑いの人の悪さは、その昔けっこう悪名高かった沢木の双子も同じわるさをやらかして、当時の〈警護衆〉(しめごし)に厳しくとっちめられた事実を、まだちゃんと覚えているからだろう。

 〈掟破り〉(きんやうでぃ)の出ない年など実はほとんどないぐらい、それは善野の伝統の、血気盛んな子供たちならではの、冒険なのである。

 本当のところ、大人たちは毎年の騒ぎを心待ちにして、はては密かに煽ってさえいるという事実を、純真な子供たちは一向に預かり知らない。

 今年注意するべき相手は民彦が担任しているクラスの誰それと名前を挙げられて。

 最近ようすがおかしいのは薄々気がついていた民彦は、「やっぱりそうやらし?」と、苦笑しながら監視の役目を引き受けた。
 
 
     ☆
 
 
 その民彦の受け持つ一年三組には、別の意味での問題児が、もう二人ばかりもいるのだが。そのうち一人の名前を杉谷好一という。

 入学式にも出席しないばかりか、新学年が始まって以来一度として中学校に顔を出さない生徒の家に、今日も留守番電話のメッセージを入れながら、民彦はぐちぐちとぼやいた。

 「なぁんで俺ばっかり……」

 貧乏クジが大挙して押し込まれているクラス編成を見た時には、彼は思わず天を仰いだものだ。

 毒をもって毒を制すと学年主任は言ったが。

 もっとも一学年四クラスのうち、他の担任がたは定年間近で持病持ちの老人と、九月に出産予定の女性、初めて担任を持った新米という取り合わせなんである。

 「俺って職員室でイジメに合ってるって思わねぇ?」

 「どうせ俺が手伝うのが解っているからだろうが」

 邦彦は、小テストの採点を手伝ってやりながら、笑いをこらえて応じた。

 首都圏の予備校の寮に一年間と大学・大学院、二年ほどの留学も含めて合計十年ほども野外で過ごした沢木の双子の会話は、二人だけの時にはすっかり標準仕様となっていた。

 「ほれほれ、さっさと家庭訪問に行って来い」
 
 
     ☆
 
 
 その少年が夕方になって家に帰って来ると、見知らぬ男が応接間に上がり込んでいた。

 「おにぃーチャン、オキャックさぁまだ、よぉ」

 どうも自分の影響で男言葉の日本語を覚えてしまいつつあるらしい妹が、タドタドしい発音で苦労して言いながら、お茶の準備をしている。

 「……ユミ、オレの居ない間に知らないヤツを家に上げるなと言ったろう!」

 警戒心から、つい声を荒げると、

 「? ガッコのセンセだてぇ、言ってるよ?」

 白い指で紅茶の葉を数えている、その動きを止めて怪訝な顔をした。

 「教師だからって子供に手を出さない保証があるか? レイプでもされたらどうする!」

 おいおい……、

 アメリカ育ちでかなり悲惨な経験もして来ているとは噂話に又聞きしたが、聖職者とさえ呼ばれる身分でいきなり童女強姦魔にされては割に合わないぞと、肩をすくめる民彦であった。

 「ほれ今日は土産つきだ」

 ケーキを差し出されてゲーっ。

 しかもこの銘柄は確か妹がマズイと言っていたやつで。

 「お兄チャンの、お客様よね?」

 自分はまじめに学校へ通っている妹は、兄の不登校については別に何も言わないが。

 甘いものなど大の苦手と知っている妹に、ニッコリ笑って皿の上のケーキを差し出され。

 番茶とはしでもって無理矢理流し込む好一なのであった。
 
 
     ☆
 
 
 なんでこんな目に合わねばならんのだ! と父親の陰謀に憤る。

 この市にある秘密を捜せと言う。見つけて、なおも日本に興味が持てなければ、帰国するなりどこかへ留学するなり、好きにすれば、良いと。

 慣れない日本語の学校で苦労している妹を見て、早く謎を解いてしまわなければと、内心の焦りを抱いている彼なのだった。
 
 
     ☆
 
 
 その時の杉谷の顔を思い返しては笑いを堪えつつ、これは美味しいと定評のある地場産のミルクプリンを購入した民彦は、次いでもう一人の登校拒否児の家へと向かった。
 
 
 善野学園の代々の外国人講師のために用意されていると言う官舎の一つ、善野の景観の名物でもある古風な洋風建築のそれは、二階建てで、木造・石積み・赤レンガと無秩序な建材でもって増改築を重ねたらしい奇妙な外観で、前庭の木立になかば隠されて、表の砂利道からは隔たっている。
 
 その玄関口に辿り着くと、取り替えたばかりと覚しい新品の青い引き綱に、「御用のあるかたは、この紐を引いて下さい」と、丁寧な手書きの木札が下げられていた。

 言われる通りにしてみると、ドアの内側でかなり大きな呼び鈴の鳴る音が、カランコロンと賑々しくも華麗なリズムを奏でる。
 
 
 
 
     三、
 
 それらの印刷物になっている資料は、戦前に、強制的な国の徴兵によって戦場で命を落とす者が増えたために、それによって大昔より語り伝えられて来た〈神代秘事〉(かむなぃひめじ)を継承する者が絶えることを恐れた神事衆(かみごし)……〈八十一家〉の家長たちによる寄り合い……が、“銃後”に残る女性たちを、(それまでの善野では性別に関係なしに、生まれた順序か本人の適性によって、家督を管理する長子衆と、善野を警護する末子衆とに分かれていたのであるが)、姫御衆(秘護衆/ひめごし)として再組織して、秘め事を後の世に託そうとして編纂したものが、基盤になっている。

 (それまでは完全に口承であって、さして重要ではない伝統についても、神聖なことに関しては、決して文字に書いてはいけないとされていた)。
 
 
 
     ☆

 その話は、戦後まもなくに遡る……。

 過労により脳梗塞で早逝した壮一との跡を継いだ、ここ数十年で飛躍的に事業を拡大し、法すれすれのきわどい商法でもって成り上がった杉谷貿易(株)の代表取締役は、好一の父親である良一だった。
 この町の中でも、ひどいスキャンダルを起こしたのは、十年近く前になる。
 杉谷グループの強引な攻略に負けて買収の憂き目を見た、おなじく八十一家の一員である栄田商事は、しかし当初は、外界の他の会社に吸収合併されるよりは同じ野者の杉谷のほうがと、楽観的に考えていたのである。

 栄田は会田の分家に当たり、それだけ主筋の間に近い。
 けれど借財の取りたては苛烈を極めるほどで、苛瞼誅求とさえ称された。
 「裏切りもの!」と、この対応は、野者から糾弾されることになる。
 時代の流れについて行かれずに酒に依存する傾向の強かった、栄田の当時の若社長であった御曹司は、身代のすべてを奪われると知って逆上のあまり。
 猟銃を持って杉谷の留守宅に押し入り、まだ幼い二人の子どもをタテに取って、要求を遠そうとしたのである。
 善野という土地の閉鎖性に甘えた行動では、あった。
 
     ☆
 
 好一が、覚えているのは深紅。

 にんげんが、ぐちゃぐちゃになって壊れてしまった、そのおと。

 倒れる、さっきまで生きていたもの。

 狂乱の叫びをあげる、その、連れ。

 「きー……、きさまぁ……っっ!」

 ナイフを持って五歳の子供に突きかかって来る男が。もはや正気だったとも思えない。

 再び銃の引き金に指をかけた子供は、妙に冷静に、相手の腹に狙いを定める自分自身を見ていた。
 
 
 「大人しくしろ」

 そのころその家には鍵をかける習慣はなかった。南に面したフランス窓から、覆面をした男たちは、ある日とつぜん押し入って来た。

 わずか三歳の妹が泣きじゃくるからと言って壁にぶつかるほどひどく蹴りつけられて。

 自分の悪行も大勢から恨みを買っている事も自覚していた杉谷良一の子育ては苛烈を極め、当時五歳に過ぎなかった息子にも、すでにして一通りの護身術や武器類の扱いを教え初めていたほどで。

 (もともと良一自身が警護衆の中でも腕利きの戦士であった)。

 子供ながらに明確な殺意があったのか、それとも脅してみようというだけの子供らしい無思慮な行動だったのか。

 「ユミ、目ぇつぶってろ!」

 父親の手入れするのを見慣れていた猟銃(違法改造の散弾銃)を打ち放した好一は、悪質な誘拐犯を自ら撃退した英雄では、あったのだが。

 いまだ血まみれで遺体も転がったままの自宅に急を聞いて駆け戻った父親は、妹を守って戦った息子を抱きしめ、よくやったと誉めた。
 
 
     ☆
 
 
 五歳の子供が殺意を主張したとて外界の法に照らせば罪に問われるはずもない。しかし人の口に戸はたてられず、狭い善野にこれ以上は、住んではいられなくなった。

 ちょうど世界市場へ打って出る計画中を進行中だった父親につれられて、アメリカへ渡って行って十年近く音沙汰もなく、旧藩時代の士族の邸宅が集まる住宅地のさなかにあって、杉谷家の本邸は、なかば幽霊屋敷と化していたのだが。

 何を考えたのか、昨年の秋にひょっと兄妹二人だけが、市外で雇った住み込みの家政婦を連れて戻って来て住み始めた。

 アメリカで敵を作りすぎて家族の安全を慮んぱかったのだとも言い、恥知らずにも御々十三斎に参加させようとて送り戻したのだとも言う。

 明確な敵意を持つ旧・栄田系の親族と、どう対応したらよいか判断しかねる他の氏族の曖昧な黙殺の中。

 わずか三歳で母国から切り離されて日本語さえおぼつかない妹は、しかし本人には全く罪もない事とて、小学校ではぼちぼち受け入れられていると聞く。
 
 
 問題は、みずからの意志で殺人を犯したと、五歳にして大人に負けず冷静に主張していた兄のほう、その天才が善野の基準で言えば大罪人である良一にうり二つだとささやかれる、好一なのだった。
 
 
     ☆
 
 
 (栄田は経済優先策で善野の自然を脅かした。軍部への積極的な協力、杉の植林、化学染料による染色工場の建設で、日の代川の汚染)。

 やそかみやは感情的なことは各家で判断せよ。このかみやは別の考え方と立場がある。
 
 
 
     
 
 (さらに言うなら、その妹に日本語の日常会話を教える職務をも兼ねていた高級取りの最初の家政婦を、“気に喰わない”という単純な理由で叩き出したのは好一の責任である。

 当初、日本式の台所の使い方がわからなかったユミコは家政婦のあとを付いてまわって、米の研ぎかた・味噌汁のダシの取り方からと教えて貰い、日本製の調理用具はアメリカのより小さくてオモチャのようだから、子供の自分には使いやすいと、喜んでいたが。

 女言葉の日本語を話す身近な人間がいなくなったという点を抜きにしても、いくら家事一般が趣味とは言え毎日の食事の支度をやらせているとなると、本人は文句ひとつなくこなしているとは言え、負担は大きいだろう。

 とは思うのだが、その後も二人の家政婦を、睨みつけて怖がらせたあげくに、退職させてしまった……)
 
(2016.09.22.)

こちらの中味は下記へ移動しました。
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http://p.booklog.jp/book/109566/read
リステラス星圏史略 古資料ファイル
5-2-1-4 『 Never Ending Streets 』


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5-2-1-4 『 Never Ending Streets 』


☆ ありえる・たうん 付録三 ☆
 
『八十一家氏姓一覧』
 
     ☆

   主筋
・翼(つばさ)
・鳳(おおとり)
・間(はざま)

   行政
・翼音(つばさね)
・大鳥(おおとり)
・会田(あいだ)
・間来(はざまく)

   祭祀
・白鳥(しらとり)

   警備
・鍔実(つばさね)
・鷹嘴(たかはし)・高梁(たかはし)・高橋(たかはし)
・稲架幕(はさまく)
・出来良(できら/旧:いでくら)
・去行(さりゆき)
 
 
   山林業他
・七木(しちき)
・杣谷(そまや)
・苫屋(とまや)
・居築(いつき)
・樹守(いつきもり)
・道守(みつぃもり)
・竹中(たけなか)
・杉谷(すぎたに)
・沢木(さわき/旧:ざぁき)
 
   農耕・牧畜業
・畑司(はたしぃ)
・稲司(いなしぃ)
・栄田(さかえだ)
・原山(はるやま)
 
   手工業
・炭司(すみしぃ)
・彫手(ほりてぃ)
・塗部(ぬりべぃ)
・織戸(おりこ)
・蓑作(みのさし)
・井筒(いつつ) 
 
 
(2016.09.22.)

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http://p.booklog.jp/book/109565/read
リステラス星圏史略 古資料ファイル
5-2-1-3 『 E.T.』
  
(2016.09.22.)

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