◎就学年齢の年に、皇女は隠れた館で
 育てられるため大つ森に向かったが、
 ボルドムにおそわれ(!?)絶体絶命の
 ところを白狐に引き入れられ、
 夢が夢中で反対側に飛び出してしまった…… 資料No.1

 
   一、
 
 少女が森の中の有澄(ありずみ)夫妻の別荘に現われたのは、昭和の時代が終って新しい天皇が即位してより六年目のことだった。
十月の高地の嵐の晩に、別荘の裏手を流れる急流の天然のダムに打ちあげられていた所を有澄夫人に発見されたのである。
三日三晩の生死の境をさ迷う高熱が引いた後、小女の心の中には過去の一切の記憶が既に残っていなかった。
 が、不思議なことに、この少女は自分に記憶がないことになんの恐怖も疑問も抱かないようであったばかりか、長い戦いが過ぎて久し振りの休暇をもらった戦士のような一種の雰囲気、  開放された者の明るさ  さえ持ち合わせていた。
 少女は明るく、愛らしく、無邪気で、慣れぬ耳には絶えず旋律の変化する歌のようにも聞こえる風変わりな言葉を使い、(有澄夫妻には通じないのは承知の上で)しょっちゅう楽しげに話しかけた。
まるで生まれたばかりのまだ空を飛べそうな赤ちゃん(バリの『ピーターパン』参照)のようだったと後に有澄夫人が語っているが、とにかく言葉が通じないのではしかたがないと夫人が身振り手振りを混えて教え始めた日本語を、あっと言う間に驚くべき速さで身につけてしまった。
一月もたつうちには、発音や言い回しを別にして、年相応に(推定で6歳前後と見られた。)正確な日本語をしゃべることができるようになったのである。
 
 
 
(★「昭和の時代が終って新しい天皇が即位してより六年目」
 ……と、いう、文章を書いていたのは、私が中学校の頃だから、つまり
 昭和の50年代前半です☆ (<「近未来FT」だったのね〜☆)


(☆「コクヨ ケ−60 20×20」原稿用紙、シャーペン縦書き。)

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