敬愛する多戸雅之先生と、

 わたしに環境意識(エコロジー)をおしえ、
 
 生きかたを変える(さばくにきをうえる)力をくれた

 グレンフォード・A・オガワ博士へ。


 
 
 エスパッション・シリーズ 紫昏(しこん)の闇(やみ)
 
 テラザニアの斎姫連(さいきれん)
 
                   土岐 真扉(とき・まさと)
 
 
   序章・照坐苑(テラザニア)

 つよすぎる陽光は影絵のように世界を切る。時刻をあらわす計器だという機械仕掛けの長いほうの指針が二周ほどするあいだ、なにをするでもなくレイは木陰にへたりこんでいた。
 ここは公園、と呼ばれる区画らしい。
 たたきつけるような恒星の直射と、暑熱にからだの溶けそうな街路を逃れて、どこか一休みできる場所をと尋ねて教えられたのがここだった。
 しかし……休息と涼をとるのが目的の施設を、密植された樹林が太陽を遮(さえぎ)るとはいえ気密性のまったくない屋外につくるとは。科学の進みすぎた星間連盟(リスタルラーナ)に籍をおく人間としては冷房装置が恋しくて、理解に苦しむ。
 空調技術がないわけではないのに、地球連邦人(テラザニアン)の発想は、どうなっているのか。
 とはいえ、黒にちかい濃緑の葉を透かして白金色のひかりが躍るさまは確かに美しかった。
 大樹のえだの奥ふかく、砂土の地面にじかに腰をおろすというのも珍しい体験だ。
 たぶん呼気の成分調整や温度管理の効率などよりも、そういった心理面への機能を優先して設計された空間なのだろう。
 当たらずとも遠くはなさそうな推論をはじきだして疑問を消化する頃には、最低だった精神状態もかなりの回復力を発揮していた。
 つまるところ、育った世界がこれだけ違うのだ。解ってたまるか、ばかやろうと。意志の不通のいいわけは文化の相違におしつけて、ひらきなおるに限る。
 遅めの朝食のさなかに相棒と喧嘩をはじめて飛び出したのだから、そろそろ昼だ。容赦のない日光はこれでもかとばかり大地に暗黒を縫いつけている。うすぐらい樹陰にいると外界はまるで白日夢のようだ。
 なにやら賑やかな一団がやって来るのも、はじめは声しか聞こえない。小径をゆくのを眺めていると群青に朱線の混ざった鮮やかな制服姿の男たち。めいめい手にさげた小さからぬ包みは、やがて向かいの樹下に敷物をひろげ、車座のなかに繰り広げるにいたって、豪華きわまりない弁当だと知れた。
 「……大食……」
 ひとりあたりの量と栄養価をおもわず目算して呆れる。とりたてて儀式や挨拶らしいものもなく一斉に食べ始めるのを見れば、祭事や祝日でもなくふだんの献立なのだろう。暗色の肌や彫りの深い顔だちとあいまって、だれも痩身にみえるが、あれを毎日たべて体形を維持するとなると、どれだけの運動量をこなしているのか。
 運動……いや、〈労働〉か。
 機械を使わない人力の作業に手間暇(てまひま)かけたがるのは連邦制を否定している小数民族に多いと聞いた。だとすると、色鮮やかなそろいの衣装は一族固有のものだろう。そういえば来る途中で地下通路の簡易舗装をモザイク模様の細かい敷石に張り替えているところを、高温で朦朧としながらだが見かけた記憶があった。
 みるみるうちに食物の小山はへってゆく。それを見ていると自分も空腹を、覚えるかといえば、このクソ暑いのに食欲のあるほうが信じられない気分だが。
 生命力旺盛な地元民たちは快食快眠を実践し、食べ終えるなりごろりところがって公共施設のなかだというのにどう見ても熟睡している。
 かなりたってから、起きだした彼らが向かった先に、〈護美箱〉と書かれた備品があった。不用品の集積場だが、むろん分子分解機に直結などしていない。ただ入れておくだけの容器である。
 その前で彼らはすこし、揉(も)めているようだった。年の若い、ひとが良くて気の弱そうな男がなにかを主張し、年輩の者たちが軽蔑するような笑みで否定の方向に首をふっている。
 「我らは部族民だ(ノ・グ・マー)。ゆえに我らに従う義務はない(ガ・ノ・ガ・ミ)。」
 ことばが解れば最年長らしい老人の吐きすてたセリフは聞きとることができただろう。
 時報、と呼ばれている合図の鐘が鳴った。
男たちは慌ただしく去り、乱雑に投げ込まれた食べがらが容器からこぼれ落ちていた。
 
            ☆
 
 昼の休憩時間が終わったということなのか公園から人がいなくなる。とはいえ午後の灼けつく日ざしのなかでは動きまわるにも気力もない。夕暮れまで待とうと覚悟を決めて、けだるく足をかかえたまま、争点になった四阿(あずまや)をながめていた。
 直射熱をさえぎるぶあつい屋根のしたに大きさのちがう箱がとりどりに並べてあり、男たちの使ったものは中央にあって一番大きく、中身があふれてあたりに散っている。
 ここで、分子還元するのでなければ、どういうシステムで処理しているのだろう。
 箱の表面には二十七種あるという地球系開拓惑星連邦(テラザニア)の公用語が色分けされて書いある。
 最上段の第一言語だけはさすがに修得済みなので、好奇心にかられて単語をひいた。
 〈無分別〉=分別のないこと。前後の考えがないこと。思慮のないこと。
 「つまり……、馬鹿だと言いたいのか?」
 これは、悩む。不要品の処分と罵倒語(ばとうご)に関連が、ないこともないような気もするのだが。
 そこで否定型をはずした語幹にあたる。
 〈分別〉= 一.心が外界を思いはかること。事物の善悪・条理を区別してわきまえること。
 「………………??」
 ますますわからない。
 謎ときに頭をひねっていると何かをひっかくような音が微かに耳に届いた。
 視線を転ずれば誰かが道をやってくる。
 女、だろう。奇妙にからだを屈めながら、白く塗った細い棒を地面すれすれにさし伸べて、左右に振っている。
 砂漠のまちの午睡の樹林にしずかな律音(リズム)。とおりすぎる風にさわりと濃緑の硬い葉が歌う。
 杖のさきが小径におちたガラスにあたって、キィンと鳴いた。
 「あら」
 女は重たげに屈みこむ。
 「あら、あらあら、あら」
 探るような手のひらがぱたぱたとゴミのころげた地面をなでる。
 目が、みえないのだと、気づいて驚いた。
 近くまできた女の顔には、あろうことか眼球がない。
 まぶたのあるべき位置にはよじれた肉丘の亀裂がのこるのみ。
地球連邦では遺伝子の伝達情報に誤差のある人間も珍しくないのだと聞いてはいたが。厳選された染色体を人工母胎で合成するのが常識の星間連盟では、とても考えられない。
 膝をついて紙片を拾いはじめた女の頭巾のうえに七色の星があった。
 その意味に、一瞬、ひるむ。
 同じ星型がきのうから自分の肩にも縫いつけられている。
 説明された機構のしくみをまともに理解した自信はないが、とにかく相互扶助協定のたぐいの識別証であろうと見当だけはつけている。
 地球圏(テラズ)では絶対的な権威をもつ組織だそうだ。
 〈仲間〉が困っているときに、見捨てるわけにはいかないらしい。
 しかしどうやってと悩むよりは先に、座りこむのに飽きたからだが反応をおこしていた。
 「手伝おうか?」
 まだ使い慣れない第一言語でたずねる。
 耳をこちらに傾げた女はゆっくりと腰を伸ばした。
 左右で歪みの異なる奇形の瞼(まぶた)が異星人には怖かった。
 よくみれば四肢の骨格もどこか微妙に、基本の数値からズレている。
 非論理的というよりは、単純に原始的な嫌悪感が背筋をはいのぼって毛根を刺激した。
 と。いびつな眼窟(がんか)のしたでふっくらした頬が、純白の歯をみせてふわりと笑った。
 「珍しいわね……あなた参加者(ゲーマー)なの?」
 第一公用語はおなじく不慣れなようだ。
 「ああ。でも加入したばかりで、まだよく解ってないんだけどね」
 女のやわらかい笑窪がますます深くなる。
 「だれでも最初はそうよぉ。……見せていただける?」
 「え? あんた、目……」
 「あら? だいじょうぶよ。えとね、あなたの〈星〉に、触らせてもらえるかしら?」
 手のひらを立てて探るような動きをみせる。
 とまどったが、腕をつかんでひきよせた。
 小さな指が小さな金属をたどる。
 楕円形に七角の星が浮き彫りになった装置には、表示された色数に応じて点々と奇妙な突起が出る。
 「赤と橙(だいだい)が七つずつに、黄色がふたつ。渡航権があるってことは、よその星から来たの? この惑星(ほし)には参加者(ゲーマー)は少ないのよ。たいてい知り合いですもの」
 「…あ…? これ、文字なのか?」
 「そうよーぉ」
 女はますます嬉しげに、
 「盲字も知らないなんて、じゃ、どこかの部族出身ね? 連邦参加制度(ゲーマーズ・システム)に登録なさった気分はどぉかしら?」
 「え…、っと…」
 じつは非合法に入国した、異世界人です。
 とは、言えない。
 「個人誓約を守れる自信がないんで困ってる」
 「まぁ、なんで?」
 「喧嘩っぱやいんだ」
 「……あらあら」
 芝居がかった大きなためいき。
 「〈暴力行為の否定〉は、連邦機構の最大原則よぉ。それじゃ、いつか減点になってもいいように、今のうちにたっぷり稼いでおくことね?」
 「…だ、ろうな」
 「いいわ。ここの掃除で得点(ポイント)を稼ぐのはあたしの特権なんだけど、今日はとくべつに手伝ってもらおうかしら。でも、全部はやろうとしないでちょぉだいね? 視力がなくとも、あたしにもちゃんと出来るんだから」
 「……あたしは何をしたらいいのかな?」
 「あら、いや。主語の性別を間違えてるわよぉ」
 苦笑する女に、公用語は慣れてないもんでと、レイは高い背のうえの広い肩をすくめた。
 風にのって、歌うような呼び声が響く。
 「キィー…ルー……ゥ? キーリ……アー…スっ?」
 レイの姓名はキリアス・ヤンセン=エラと、偽造の証明書には記載されている。
 声の主を悟ったとたん思いきり嫌そうに顔をしかめた反応に、気配で女は感づいたらしい。
 「お友達が迎えにきたんじゃない?」
 「あんなん、ダチじゃねーや」
 ぼそっと吐き捨てたのは母国語だったので相手には聞き取れなかったろう。
 わざわざ探しに来るからには用事ができたということだ。
 〈仕事〉のことなら、無視するわけにもいかない。
 「〜〜〜〜〜〜っ。ここだ!」
 再度の呼びかけに応えて怒鳴りかえす表情がかなり複雑なものだったのは、聴覚だけに頼る人間にも伝わったのか、どうか。
 ここの手伝いならもういいわよと女は笑って手をふった。
 直線コースを突っ切ったのか、薮(やぶ)から少女が現れる。
 「あーもう、こーんなとこにいてっ!」
 怒気をふくんだ第一声は、余人の存在に気づいたとたん、調子をがらりと変えてみる。
 「失礼。…こいつってば、なにか悪さをしませんでした?」
 「あらぁ、いいえ。ここの得点(ポイント)を半分コしましょぉかって、話していたとこよ」
 「ほんとに?」
 「なんでそこで疑うんだ?」
 「おたくが善行をつむなんて誰が信じるって?」
 数年ぶりにふんだ故郷の地(テラズ)での記念すべき最初の食事を、寝起きの悪い相棒に一方的に喧嘩を売られて台なしにされた恨みは深いらしい。
 はなから喧嘩ごしのふたりは、だまって並んでさえいれば似合いの恋人同士としか見えない、なかなか美形な青年と少女なのだが。
 「…………っ?」
 しばらく視線を飛ばしあっていたが、さきに理性を取り戻すのはいつものように少女の方で。
 「人手(ひとで)が足りないのなら私も参加させて貰いますけれど?」
 相棒が〈必殺愛相(アイソ)笑い〉と評する極上の笑顔にころりと切りかえて、第三者になら礼儀正しく、あくまでもコビを売る。
 「そぉねー。でも急ぐんじゃぁ、ないの? 私、もう少しで貴金属階級(メタルクラス)に上がるところなのよね。がんばっちゃおぅかなー」
 「ああ。じゃ、代わりに、ごあいさつ点を受けとって下さいね?」
 にこにこにこと、人畜無害どころか、地球の宗教でいう神様とやらの使いのごとき。
 「いいのぉ? あなたの点が減っちゃうわよぉ?」
 「ふっふっふ〜」
 こんどのかおは満腹した猫のようだ。
 「〈視(み)て〉下さい。これに関しちゃ威張って歩いちゃう」
 ひょいと腕をつかんで自分の星に触らせた。ええっと女は叫ぶ。
 「まだ草花級(フラワークラス)だっておかしくない齢なのに、光彩(ライト)どころか、もう貴金属(メタル)なの?」
 「語学がちょっと得意だったもんで。公用語ぜんぶ、資格とっちゃいました」
 「うそぉ、すごーい……! 偉いっ?」
 「どうもー?」
 公用語二十七種どころか、その倍はかるく解するに違いない超越天才児のくせに。
 つくり笑顔でない、はにかんだ表情で、白い歯をみせた。
 「おい……急いでたんじゃないのか?」
 レイの機嫌がますます悪くなるのに拍車をかけるつもりなのか少女は片目をすがめ、
 「誰のせいで時間がなくなったんだ?」
 「おまえだ」
 「あのねぇえっ」
 はたからは痴話喧嘩としか聞こえないのだろう。女は笑いをこらえた顔をしている。
 それでも、予定があるのは本当らしく。
 ゴミ捨て場である四阿(あずまや)の一隅の、ちいさな戸棚をあけて公用端末をひきだすと、手早く自分と彼女の記章をさしこんで規定の指令をいれる。
 淡い緋色の金属でできた少女の記章に変化はないが、光画面表示の女のほうには新たに青紫の一線が加わった。
 「じゃ……楽しんでくださいね(ラクエリータ)」
 「どうもありがとぉ。あなたもね?(エドレノーシュ)」
 少女が本気で立ち去りかけるのに違和感をおぼえて、レイはあわてて心話(はな)しかけた。
 『おい…、いいのか? 彼女、眼球が無い』
 『出来ることを自分でやるのは人間の権利でしょ? それに…盲目なのは地球圏(テラズ)では別に、悪いことじゃない。音声で話していいんだよ』
 御先祖サマが原因な(わるい)んだから変に気をまわすほうが、よっぽど失礼だよと言いさして、でも気をつかってくれてアリガトウと言いなおし、やっと表情をやわらげる。
 それではじめて天災少女の低気圧の原因が、自分だけではなかったらしいと、不仲な相棒は遅まきながら感づいたのだった。

              ……続く……
 
               .

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