幻(まぼろし) (仮題)
 
 不吉な予感にせかされて、オートロックの具合も確かめず、古めかしい、はっきり言えばとうの昔に取り壊されてしかるべきだった安アパートの非常階段をかけあがる。
ガランとした灰色の空間。
ガランとした空虚な空。
じめじめした路地裏を、彼女の高い靴音だけがカンカアアンと吸い込まれる波紋のように渡って行った。
冬の早朝。
光の無い町。
サキはダンダンとドアをたたいた。
開かない。
彼の気配がない。
ノッブに精神を集中させる。
1、2、3!
ものの三秒とたたぬ間に、鍵は弾かれたようにはねあがった。
 パッ、と目に飛び込んだのは、キャンパスいっぱいにきらめいている虹色のガラス玉と、浮かぶようにまどろんでいる美しい裸身の女神。
その下で彼が冷たく満足気に横たわっていた。
右手に絵筆を、左手に紅く染まったタオルを握りしめたまま、死でさえ彼の頬に浮かんだ幸福の輝やきを消すことはできなかった。
  ああ、そうか。できたんだね……?」
サキはそっとドアを閉め、鍵をかけた。
 
 サキと彼とが出会ったのは真っ暗な、星一つ見えない晩だった。
ビルの谷間を縫ってサキは戦っていた。
相手はおよそ30人。
腕利きの殺し屋集団。
全員がA級(クラス)の超常能力者だから防御(ガード)が固くて精神攻撃は利かない。
跳躍(テレポート)して背後にまわり込み、光線銃(レイガン)を発射して再び移動(ジャンプ)!!
右へ、左へ、後ろへ、下へ、撃つ、跳躍(ジャンプ)、撃つ。
さしものサキも苦戦を強いられていた。
多勢に無勢。
ましてサキは不意打ちの最初の一撃で左肩に傷を負っている。
流れ出る血が生暖かく胸を濡らし、彼女は次第に息が荒くなっていった。
手当てしようにも息つく暇もなく攻撃され、精神を集中して傷口をふさごうとすれば、殺し屋たちが逆に傷口をねらって精神攻撃をしっけてくる。
 それでもようやく半数ほどを倒し、残る15人をまいて走り続けるうちに、いつしか彼女は半ば崩れ始めた旧市街の下町(ダウン・タウン)に迷いこんでいた。
「どうやら追跡をあきらめたらしいな。」
サキは荒く肩で息をしながら、光線銃(レイ・ガン)を握ったまま手の甲で額の汗をぬぐった。
手がこわばってなかなか光線銃(レイ・ガン)がはずれない。
調べてみると、最後の、三個目のエネルギーカプセルを丁度使い果たした所だった。
 緊張感から解放されると同時に恐ろしいほどの疲れが出た。
傷の手当てをする気力もない。
  ここはどこだろう。とにかく歩かなくちゃ。
腕をつたって血が滴たり、前世紀の石畳に跡をつけてゆく。
ガランとした細長い空洞に化け物じみた建て物がのしかかってくる。
こういう所ではなにかが背中からおそいかかってきそうだ。
殺し屋ではなく、人を取って食う幽鬼どもが。
意識が遠のく。
と、その時、奇跡的に生きながらえていたただ一つの灯りの下を、だれかが角を曲って歩いて来た。
見覚えのある髪の色  レイだ。
  レ……イ……」
 
 
 
 虹、虹、虹、見渡す限りにきらめき、飛びかう無数のガラス玉の夢の中で彼が歌うように繰りかえしていた。
  そうだ。そうだ。そうだ。きみのいるべき所はここなんだよ。これがきみのあるべき姿だ。虹だ。虹だよ。虹色のガラス玉の中だよ。忘れちゃいけない。絶対に忘れるんじゃないよ。いいね、サキ。いいね。いいね……。
「待って!どこへ行くのルーカス!?」
ハッと目覚めたサキの目に飛び込んで来たのは、赤く浮きだした壁の時計(デジタル)。
12月2日、午前3時40分。
人は、死の瞬間、恐ろしい程の感能力(テレパシー・エネルギー)を持つという。普通人も、死の瞬間には恐ろしいほどの感能力(テレパシー・エネルギー)を持てるものだと、言う。
サキはその時にほとんど全てを了解した。
知りたくはない、が、行かなければならないのだ。
彼女は手早く服を着て宙艇格納庫へ向かった。
 
 
 
 ……彼、ルーカスにその事を聞かされたのは二度目に彼のもとを訪ずれた時、そう、その日がちょうど三ヶ月前の今日だった。
宇宙の闇と輝きの中をリスタルラーナ母星の小さい方の月、リエスにある古いドーム・シティに向けて宙陸両用のロケット・カーを操りながら、彼女はその日の事を思い出していた。
 ……薄暗い、まもなく閉鎖される旧市街の、高層ビルの谷間の一角。
前時代の遺物のような鉄製の箱型エレベーターさえ故障して動かない彼のアパートのドアをノックすると、少し以外そうな彼の声がどうぞと答えた。
「やあ、きみは……」
「今日は。この間はどうもありがとう。ろくにお礼も言わないで出ちゃったんで気になって……。少しおじゃましてもいいかな。」
「どうぞどうぞ。退屈してた所なんだ。大歓迎だよ。」
「へー。あんたん所(とこ)にお客が来るなんて珍しいじゃん。」
部屋の隅のおよそ旧式なガスコンロで料理していた青年がニヤついた。
「しかもこんな美人!あんたも隅におけないなー。おい、紹介しろよ。」
「バカ言え。さっき話ししたろ。この間ケガして血まみれでころがりこんできた奴だよ。」
「ああ、なーんだ。でもあんたこんな美人だなんて言わなかったじゃん。殺し屋に負われてる女スパイだなんて言うから、おれ、こーんなの想像してたんだぜェ。」
青年が両手で目尻をつり上げて見せたので、サキと彼は一緒にふきだした。
「ところでルーカス、昼メシの仕度はできたんだが、あんたそろそろベッドに戻る時間だよ。」
「おいおい。せっかく久し振りのお客が来てるってのにそうそう重病人扱いしないでくれよ。」
 サキがどこか体の具合が悪いのかと尋ねると、彼はうかない顔をしてたいしたことはないと言った。
青年はニヤニヤしながらお盆を持って来た。
「あっは。どーも不粋な事を言っちまって……。お嬢さん、おれ帰るからこいつよろしくねェ。こいつさァ、このとうりの貧乏暮らしでエーヨーシッチョーにかかってんのよ、栄養失調。だから無茶してまたぶっ倒れるようだったらやさし〜く介抱して、なんか栄養のあるものおごったげてよ。頼んだねェ。」
にぎにぎしく騒ぎたてながら声の主はすっとんで行って、最後の声ははるか階段の下から怒鳴っていた。
「……ルーカスゥ、へんな気おこしておそうなよォ!」
「! あのイカレポンチ野郎!!」
サキは一人で笑いころげていた。
 彼が食事を始めると、しばらくの間部屋の中は食器のカチャカチャあたる音だけになった。
  殺風景な部屋だなァ。
西向きの窓が一つ。
部屋の隅のすり減った流し台と旧式ガスコンロだけの台所(キッチン)。
バスに通じているらしい、ガラスにひびの入ったドア。
味気ない粗末な鉄製のベッドと色のはげたテーブルが一つづつに同じくがたの来たイス二脚。
それから、窓の前の空間をでん、と占領している、かつては豪華であったろうと思われる  今では元の色もわからないほど古ぼけた  ソファーの影にかた寄せられたイーゼルや絵筆、カンヴァスの山……。
「あれ、あなた絵を書いているの?」
「え、……ああ、金が続かなくて美大は中退しちゃったが、一応画家の卵だよ。……ところできみは食事は?」
サキがもうすませて来たと答えると、彼は本も何もなくて退屈だろうから、興味があれば彼の絵を見てもいいと言った。
 職業柄芸術方面にも知人の多いサキは、絵、特に新人や画学生の書く新鮮で荒けずりな絵を見るのは好きだったので、大喜びで手近にあった数枚を手に取った。
 「……きれい……」
灰色の部屋の中いっぱいに、一時(いちどき)に深山(みやま)の春が訪れたようだった。
峰々を望む高原の、キスゲの群れ咲き乱れる6月。
「……これ、女神マイラね!? こっちのは英雄マイルダイ・シャサ?」
「きみ、あの神話を知ってるのかい?!」
  ああ!もちろん!! これはあの双生児(ふたご)の皇子と皇女でしょう?! これは  ああ………………すごい!! イメージどうりだわ!!なんてすてきなの!!」
彼女はルーカスも超能力者であればよかったのに、そうすればこんなたどたどしい言葉ではなしに、思いもかけない場所で愛する人々に出会うのがどんなに幸福(しあわせ)か伝えることができるのにと、灯のともった胸を左手で包むようにして考えていました。
サキの灰色の瞳がまるで貝の火の火明(ほあか)りのふうにして部屋の中の輝やきを増しています。
彼はそんな彼女のかもしだす不思議な輝やきの空間をじっとながめているうちに、不意に食べかけのお皿を置き放したまま立ちあがった。
「きみ、今は休暇中かい?ロケット・カーで来てるんだね?」
「え、……うん。」
「頼みがあるんだ。母星(リスタルラーナ)のサリールカ高原までつれて行ってくれないか。」
 サリールカ高原と言えば地球(テラ)のアルプス山脈と並んで烏忠一と称されている広大な花畑が広がっている所。
サキも長い戦かいで心が疲れた時など、花の中に埋もれてただ涙が流れるにまかせていたことが少なからずあった。
  でも、あなたは  。」
体の具合が良くないのでしょうと言おうとして、サキはその時始めて彼の笑わない悲しい目に気づいた。
  うん。いいよ。」
彼女は持っていた絵をていねいにもとの所へもどすと、そっ、ともう一度触れるか触れないかほどに手を動かして、席を立った。
 
 
             (未完★)

コメント

りす
りす
2007年5月18日3:35

>キャンパスいっぱいにきらめいている虹色のガラス玉
>虹、虹、虹、見渡す限りにきらめき、飛びかう無数のガラス玉の夢の中

……え〜、この、「無数の虹色のガラス玉」云々というのは、私が金縛りだの自縛霊が見えるだの取り憑かれただの天井裏に百鬼夜行(?)が見えるだの、実はキノコ型宇宙船に度々誘拐されていて生殖機能や記憶をイジラレテイルのでわとか数々の超常現象的妄想(幻覚?)にふりまわされて怯え狂い、何とか自力更正しようと旧約聖書や仏典や『ムー』だの『仙術入門』だの『日出ずる処の天子』などなどの、トンデモ本まで含めた手に入る限りの関連書籍(?)を読み漁りまくっていた中学1〜2年の頃に、とうとう『般若心経』に出会って唐突にそれら常軌を逸した諸現象からの自力更正が叶いつつあった頃に、繰り返し見ていた夢(ビジョン)の中の、「転生輪廻を繰り返して無限の成長を続けて行く魂たちの物語」という世界観の、象徴的イメージであります……。
 
 
>きみのいるべき所はここなんだよ。これがきみのあるべき姿だ。虹だ。虹だよ。虹色のガラス玉の中だよ。忘れちゃいけない。絶対に忘れるんじゃないよ。いいね、

(これは実際、私が夢の中で受け取ったメッセージのそのまんま)。

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