×       ×       ×
 
 雨だった。窓際に席をもらっているリツコは、さっきから外の景色ばかりを見るともなしに眺めていた。
とりどりのアジサイの花にぐるりを囲まれた校庭。その、校舎とは反対側にある正門のむこうから、おりしも一台の車が入って来るところだった。
 ((あ、))
 リツコはその車を見つけた時、何か世界が一回転してしまうような不安定な気分になった。連日の雨でこれだけぬかるんでいるのだ、本当なら自動車のタイヤのあとがはっきり残るハズだ。と、言ってもリツコがこの時それに気がついたというわけではなかった。リツコがくらりと来て思わず机にひじを突いてしまったのは  その、わりに大型の自動車の、本当に奇妙な色合いのせいだった。
 いつも大人しく座っているだけのリツコが不意に動いたので、隣の席の男の子がどうしたの?という顔でこっちを見る。((あのね、))リツコは手真似で窓の外を見るように云おうとした。
 「清峰クン。」 先生の声がする。
 「はい。」 隣の子は、別にあわてるでもなく行儀良く立ちあがる。
この間 書いた 工場見学の感想文を順ぐりに返してもらっているところなのだ。
 「あなたのには漢字や言葉使いのマチガイもないし、字も丁寧で、構成もしっかりしてる。細かいところまでよく調べてあるし、加工行程の合理化案なんてのも考えてあって、先生とても興味深く読ませてもらいました。
ただ、ねェ、先生は感想文って云ったでしょう。前に出してもらった読書感想文の時もそうだったけど、清峰クンの書いてくるのは感想文て云わないの。レポートなのね。……どうして、面白かった、とか疲れた、だけでもいいから、自分で感じたことを書かないのかな?」
 「あの  すみません。でも……」
 男の子が困ったように云いはじめる頃、リツコは例の車の様子が変わったのに気がついていた。ゆっくり走ってそろそろ校舎にたどりつこうかという頃になって、ちょっとかしいだかと思うと止まってしまったのだ。
いや、ちゃんと止まったわけではないようだった。タイヤは回っているし、慌てたように揺れたりかしいだりしている。  よく見ると、その自動車は空中に浮き上がってしまっているみたいだ。
 「僕は  」 清峰クンがなおも言いよどんでいると、突然、
 ガラッ!!
        激しい いきおいで 教室のドアが開いた。
 
 「早く! 急ぐんだ!!」
 黒板のすぐわきで叫んだ ぼうっと黒っぽい人影は、ドアからかけこんで来たというよりは その場に湧いて出たようにリツコには見えた。
机の列を飛びこえるような勢おいで、2-3歩で教室を横切って来る。
 「え、……」
 まだ立ったままだった清峰クンは、いきなり腕をつかまれてキョトンとした声をだした。
 「あの、……どなたですか?」
 「急ぐんだったら!!」
 影はひどく切迫している様子だった。
 「説明しているヒマはない。今すぐわたしと来るんだ。早く! もう時間がない。奴らを抑えておけるのはあと少しだ。」
 「……あの。ええと  
 迫力負け、というよりは“影”の必死な表情に圧されて少年はもう少しでハイと云いそうになった。と、
 「   アノ! 困ります!」 ようやく気をとりなおした先生がわりこんだ。
 「誰ですかあなたは! どっから入って来たんです?! 今は授業中ですよ。あたしの生徒に手を出さないで下さい!!」
 聞きなれた早口に生徒たちも一斉にさわぎはじめる。
 「あんただれ!?」
 「清峰クンどうしようっていうのよ」
 「出てけよ  !!」
 
 騒動が頂点にたっし、そろそろ隣近所のクラスからも廊下に出て様子をうかがうらしい音が聞こえ始めた。と、その時、
 グ、ガッ!!      
 耳には何も聞こえなかったのに、みんな頭のをなぐられたようなショックを感じて立ちすくんだ。それと同時になんだか教室内が暗くなったようなのだ。
天井のライトはまだついたままなのだったが、目に届く前に光と明るさが、どこか別のところへ流れだしていってしまう感じだった。「寒い。」と誰かがつぶやき、普段から頭の良い子とか絵や音楽の得意な子、ユリ・ゲラーごっこにいつも成功する子などは本当に気持ち悪そうにして倒れてしまった。先生があわててそちらの方へすっとんでゆく。
 けれど一番てひどいショックを受けたのは例の“影”のようだった。
 “影”は妙な音がひびいた瞬間、はじき飛ばされたように机にぶつかって突嗟に少年の腕を放してしまった。それから二言三言聞きとれないことを叫び  そして、がっくりと膝を折る。
 「駄目だ  !! わたしの“力”ではどても足りない!」
 ふと思いだしてリツコが窓の外を見ると、さきほどの不審な自動車がピロティの下に消えるところだった。
 
 「  って云わないの、レポートなのね。……どうして  
 ((えっ、))
 リツコが振りむいた時には、そこはもうまったくいつも通りの授業風景だった。外の雨など知らぬげな明るい室内で、まじめに前を向いている子、熱心に内職をしている子。
 「どうしたの? 清峰クン。聞いてるの?」
 生徒あいてにはめったに怒らない、朗らかで優しい先生の声  
 「はっ、はい! でも、あの……」
 ガタンと立ち上がったハズミに椅子を蹴倒しそうになり、リツコが突嗟に手を伸ばしてそれをささえた。一瞬、2人の子供の眼が合う。
   きみ、見たんだね  少年の淡い色の瞳が少女に語りかける。
 ((ええ、)) リツコは首をタテに振った。今日ばかりは赤くなっているヒマもなかった。
と、4時限目の終りをつげるチャイムの音がする。
 「あら、もう? ……今日はやけに早いわね」
 先生が腕時計と黒板の上の壁時計を見くらべながら云う。
 「起立!」
 先生が云い、
 「礼!!」
 学級委員が云う。
 雑然となりかけた教室にドアをノックする音が響き、リツコたちはギクッとして班態形に直そうとしていた机をひっくりかえしてしまった。
 「清峰クン。」
 用務員のおじさんから用件を聞いていた先生が振りかえって、呼んだ。
 「お客さまがおみえだそうよ。先生といっしょにちょっと来てちょうだい。」
 倒れた机を直そうと身をかがめていたリツコは、目の前で少年の色白な手がギクリと握られるのに気がついた。
 「  ……はい。今ですか  ……?……」
 ぎごちなく云いながら、男の子は先生の云いつけに従った。
 リツコはひとりで2人用の木の机をおこし、給食当番なので廊下へ白衣をとりに行った。
 
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