「もう駄目……もう、まるで目が見えていないのよ。あなた一人で行って、鋭。そうすれば助かるわ」
 怒り、とか悲しみとか、そんな細かな感情は既に存在しえなくなっていた。心の中全てが吹雪に覆われて、冷たく、真っ白になってしまっているのだ。
 「マーシャ、大事な事を忘れているよ」
 鋭は自分の分の食糧もろとも背負い袋を雪の中に投げ捨てた。
 さもなければ、弱り果てた彼の体力ではマーシャをかついで行く事ができそうになかったから。
 「僕じゃない……君なんだよ。向うで必要とされているのは。」
 マーシャはハッとして体を固くした。絶望の中で、確かにその事は失念していたのだ。彼女の背に腕をまわして用心深く抱き起しながら、鋭はマーシャが万が一にも眠り込んでしまわぬようにと辛抱強く話し続けた。
 「いったい君はこの雪と風の向うに柔かい布団だの安息だのが待っているとでも思うのかい? そうじゃないんだよ、待っているのは……そう、多分、飢えと恐怖。それだけだ。そして……そこに仲間がいる。将来 君が治め、守って行かなきゃならない人たちだよ、マーシャ。君の仲間だ。彼らが苦しい中で救いを求めて待ち望んでいるのは君をなんだ。君は今、闘いに行く途中なんだ。彼らを救うため、君の国を、ダレムアスを守るために……。
わかるかい、君はすでに彼らの皇なんだ。それを君は戦いにおもむく前からあきらめてしまうつもりなのかい」
 マーシャは、ささえようとする鋭にあらがう事をやめてしまった。鋭は痛い所を突いたのだ。そう……これからの苦難を思えばいっそこのまま眠りこんでしまった方が楽だという、病的な誘惑が、疲れ切った彼女の心の中に存在していなかったとは確かに言い切れなかった。
 彼女の両腕を肩ごしにぐっと引き下げて、引きずるように背負いながら鋭はよろよろと立ち上がった。激しい疲労のせいか予想以上に体が重い。……ちきしょう! 僕に雄輝ほどの力と上背があれば……!!
 深い吹き溜りの雪の中を、一歩、また一歩と鋭は歩き始めた。
 疲労困憊したこの体で、今また全ての食糧を捨ててしまった。
 (もって、三日。今日一日だ。)
 精神力だけではそれが限界だと鋭は感じた。だが、あと四日、あと四日歩きさえすれば人のいる里へ出られる筈なのである。歩けるだけ歩いて、その間に少しでもマーシャの回復を望めばいい。
 
 ……後は、マーシャが……。

 ……そして、その後は、僕を……。

 おそろしい考えだが、別に恐いとは思わなかった。鋭が自分からそれを提案すれば、そして、「それ」が絶対に必要とあれば……。
 マーシャならば、するだろう。どんなことがあっても。

 
 西の山脈には、再び激しく叩きつける吹雪が起ろうとしていた。
 彼らは、まだ、地図がすりかえられたものである事に気がついていない……。

 
 
 > 例の飛行機墜落事件を覆線にひいとく必要がありますな。

コメント

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索