アトランの西南に位置したと思われる大国レグの国史の中に、少女ウィナ …… 後の処女王アーゴンシュカ …… の両親であるとされる2人は上のような形で登場して来る。2人はありとあらゆる因襲を一笑に付して払いのけ、自ら成した巨額の財力を背景に、この時代、この地方に於ては信じられない程の自主独立の姿勢を保っていた らしい 。レブの一臣下の立ち場でありながら、帰順した周辺諸国家の元首並みの扱いを、ダイ王から受けていた、と記録にはある。とまれレブのダイ王の三十七年、ズードリブールの侯爵妃は一女をもうけ、ウィナ・アケイン・アンゴルシュカと名づけられた。(※)


 バシャッ。
 中庭で起った水音は、幼いウィナが泉水の中に飛び込んだのである。熱い夏陽のもとで、芝を敷いた中の石造りの泉はいかにも涼味を誘う。八歳になったばかりの生意気盛りの少女が母の言いつけを破っても再三泳ぎたがるのは、まあ、無理からぬ事であった。
 館(たち)の中で執務中であった父母も窓下で虹をはね散らして遊ぶ楽しそうな様を見てしまっては、我が子の親ゆずりの反骨精神を苦笑する以外手がないのだろう。もとより溺死の危険性を案じての禁止であったのだから、ウィナが魚なみに泳げる程になってしまえば止める理由もないのである。
 ウィナは背中を下に、手先と脚だけを使って深く深く、水面下へともぐって行く。泉水の深さは3m程か、ピタリ、と張りつくような姿勢で30秒も横たわっていればすぐに息が苦しくなって浮上してしまうのだが、それでも少女はそうやって光きらめく空 − 水面をながめるのが好きだった。
 ひとしきり1人で泳ぎ回った後、ウィナは泉の噴き出しの上によじのぼって体をかわかすのが常である。周囲の木立の影では遊び仲間の子供達が女頭領の帰りをながめながら待っているわけなのだが、



(※)アンゴルシュカの娘ウィナの意。当時正式名は成人式の際に贈られた。

   ウィナ様 …… で、ウィラ。
   ウィラ・アーゴンシュカ = アーゴン王のウィナ様。
 

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